dream story

□ひとを呪わば穴二つ
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「──を、呪い殺してほしいんです」

入口を抜けて開口一番に、道すがら長く胸中で渦巻いていたそれを吐き出した。漸く吐き出せた言葉が消えず漂ったのは来たこともない場所で、見知らぬ相手の前だった。

傍らで掃除していた青年は自分が放った物騒な発言を一切気に止める様子もなく、終始無表情で真面目に手を動かしたままだ。唯一反応したのは目前の座敷の上に鎮座した女のみ。女は驚いた素振りも見せず、ただ単純に此方の参上を認識しただけの眼差しで一瞥すると指に挟んだ煙管を浅く咥えた。

「ウチは何でも屋じゃないんだがねぇ…」

吐き出された吐息には奇妙な色をした紫煙がゆらりと舞い上がる。そんな言葉とは裏腹に苦笑を張り付けた瞳には困却した様子など少したりとも見受けられない事に男は少なからず安堵した。目の前の女が店主である事は人伝いに聞いて知ってはいた。紅い椿を髪に挿した年若い女店主。しかし女の詳しい素性などはどの人間に尋ねても明らかにされることはなかったが為に、一抹の不安が拭えなかったのだ。それもそうだ、人を呪ってほしいと頼むからには少しの危険が伴う。下手をすればこの女から漏れてしまうかもしれないのだから。

「しかし貴女に話せば力になってくれると」
「…やれやれ、妙な信用が立っちまった様さね」

全く表情と噛み合わない発言を繰り出す女相手に痺れを切らし、おもむろに懐から取り出した巾着袋を女の前に差し出す。卓上に置いたことで細かな金属が擦れ合ったような聴き慣れた音が其処に響いた事で漸く女の目色が変わる。それを見計らい、そっと巾着袋から手を離す。

「生憎、金目相手に動く阿呆じゃないんだ。舐めて貰っちゃ困るね」
「いいえ、舐めてなどいません」

巾着袋を見るや否や此方を睨むでもなく見据える眼は此方を見透かすかの様で。そんな眼から逃げまいと口を結んで、次に開いた時、女がふと優しげに一瞬笑んだ気がした。

「…話してもらおうじゃないか…何故、呪い殺したいのか。一応世の中には善悪といった厄介なもんがあるからねぇ…こっちもただの悪役は御免蒙りたい」

そう言って再び吹かした紫煙は訪れた時同様、酷いにおいだと思わず顔をしかめる。しかし不思議なことにそのにおいに不快感は覚えない。優雅に頬杖をついて此方の言葉を待つ女店主は優美に微笑む。

「…父を、殺されました」

言葉にした途端抑えていた怒り、悲しみ、憎悪の感情が込み上げ、必死に堪えようと歯を食い縛った。それから少しずつ零すように店主に事情を吐露していく。

「父に信頼され、面倒を見て貰ったにも関わらず…そんな父に対し、非道なまでの裏切り行為、奴の所為で父と私は全てを失いました。地位も名誉も…絆すらも。…父はその後首を吊って死にました」

奴が父を殺した。残った遺書には私への謝罪と、奴に対する憎悪だけが書き記されていたんです──苦しげに歪んだ表情が映すのは、強く握られて皺だらけになった彼の父親の遺言書。

「それでその男に仇討ちって訳かい?大した親孝行だねぇ」

知ってるかい?そんな諭す口調で出されたそれに、俯いていた顔を上げると、視界に映り込んだ妖艶に薄く笑む女に間もなく魅入られる。

「“人を呪わば穴二つ”という言葉があってね…人を呪った分、自分にも少なからず返ってくるのさ」

なにが…息を飲んで呟く前に彼女はこう答えた。呪いだよ、と──。

「人を呪い殺して何が得られる?満足感か?爽快感か?」

目前に迫る女の顔は何と妖美で、怖ろしいことか。女の纏う異様な空気に圧され後退ると背中に衝撃。振り返れば先程から暫く床を掃いていた青年で。その青年が無表情に見下ろす瞳もまた、此方の全てを見透かす様な…否、これはまるで鏡そのものだ。在るものを偽りなく写す、鏡。

「その子はね、“普通”を知らないんだよ」
「え…」
「“正常な人間”とやらになりたいそうでねぇ…今は此処で専ら修行中ってわけさ」

いつまでも此方から目を離さない青年に対し、少しの恐怖心と同情心が芽生えるが、店主が彼を“ぼん”と呼んだことでその目は容易く視界から外され、安堵の息をつく。

「人を殺して何が得られた?」
「……お金?」
「うん、君に聞いたのが間違いだったようだね。」

店主の問いに目を剥いたと同時に素早く背後の彼から距離を置く。店主の言葉が正しければ、彼は人を殺したことがあるということだ。そして次に耳に入った彼の純粋な答えに何だか自分が情けなく、馬鹿げたことをしてるのかもしれないと錯覚まで覚えてしまう。それ程までに店主が尋ねた言葉に返す彼の瞳は濁ってなどいなかったから。

「…それで?自分も地獄に堕ちてまで君はその男を討ちたいと、本気で思っているのかい…?」

煙管を吸って一息吐き、調子を取り戻した店主が至って冷静にのんびりと尋ねてくるそれに対し、暫く言葉が出ないでいた。

自分も地獄に…そう考えて今更になって手足が震え出す。そりゃそうだ、人一人を殺すのだ。例え直接的でなくとも。自分が、奴を。地獄に堕ちても仕方がないかもしれない。男は俯いたまま震える唇を開き、答える。床板にぽたりぽたりと落ちるそれに染みが浮かぶ。

「…お願いです。どうか、奴を──」

顔を上げた男の瞳にはもう憎悪などなく、ただただ哀しげに揺れ、父親を大切に思う心だけが満たされていた。


「兄を…呪い殺して下さい」

「──あい承った。」

彼の涙が零れ落ちた時、女は寂しげに目を伏せ、煙管を咥え静かに吸い込むと彼の前に微風のように息を吹く。紫煙はゆらゆらとたゆたい、そっと瞼を下ろした男を優しく包み込んだ。


「そなたに倖多からんことを」


ひとを呪わば穴二つ
(決して天に昇れはせぬ)

20140212

◎2013〜 短編集の「普通とは何ぞや」をベースに書いた話です。

これちょっとシリーズ化しちゃうかもしれなくもないかもしれない。調子に乗ってキャラ設定まで考えてしまったので以下にて!


▽紅椿(ベニツバキ)
「名は紅椿。以後よしなに…」
一括りした黒髪に紅い椿を挿した女。常に妖美な微笑を携え煙管を吹かしている。

▽梵(ソヨギ/ボン)
「?、フツウって何ですか。」
紅椿の下で働く元殺し屋の青年。人に在る筈の一般常識や感情が先天的に抜け落ちている為、彼の思考を読み取るのは困難。日夜“普通”を学ぶため試行錯誤している。

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