□フラストレーション
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幼稚園から大学に至るまで、僕には特定の友人はいなかった。
いや、1人だけいたことはいたけれど、生憎、彼は同学年ではない。
まあ、そんな些細なことはともかくとして。
僕には特定の友人はいなかったし、そんなものを欲しいとも思わなかった。
本当に欲しいと思ったことはなかった。
だけど、それを今は後悔している。
それはきっと、彼と出会ってしまったからなのだろう。





『フラストレーション』





「拓露君。何か食べるかい?」
文彦は、隣を歩く眼鏡の青年に話しかけた。
中路拓露という名を持つ彼は、その言葉を終いまで聞いて、それからゆっくりと振り向いた。
「いや、いらないよ。お腹が空かないもの」
柔らかなテノール。
歌うように声を紡ぐその唇は、林檎のように紅く、緩いカーブを描いている。
冬場になればマフラーを常備する彼だけれど、夏場は流石に暑いらしい。
春が終わる頃から、彼のお気に入りのマフラーを見ることはなくなっていた。
「せっかくのお祭りなのに、何も食べないのかい?」
文彦の問いに、彼はくすっと笑う。
「テキ屋の食べ物は美味しくないよ。お金の無駄遣いさ。まあ、あなたが食べたいと言うのなら、俺は敢えて止めはしないけれど」
言われてみればその通りだった。
神社の参道を挟む、赤や黄の屋台。
初夏の祭り。
周りは人で賑わっている。
それを見ながら文彦は、昔、妹と祭りに来た時に買って帰った箸巻きの味を思い出し、苦笑した。
屋台に飾ってあると美味しそうに見えるけれど、実の所、味は良くない。
それはよく知っている筈なのに。
「お祭りってさ、色んなことを許せてしまう楽しさがあるよね」
言い訳のように口にすると、拓露は呆れたように文彦を横目で見た。
眼鏡の奥の緑色の眼が、屋台のランプに照らされて、いつもより明るい色に煌めく。
「文さん、俺は人酔いで今にも倒れてしまいそうなのに。脳天気なあなたが羨ましいなあ」
台本をそのまま読み上げたかのような口調。
棒読みの言葉。
どうやら、本気で言っているわけではなさそうだ。
その証拠に、彼の顔はいつもと同じ白さをしている。
体調を崩した時の、死人のような真っ青な顔ではない。
「脳天気だなんてひどいなあ。嘘つき」
肘で軽く小突くと、彼は子どものようにあは、と笑った。
その笑顔が嬉しくて、文彦も笑顔を浮かべる。
そこで、ふと思った。
学生だった頃の自分は、果たしてこんな風だったろうか。
もしも彼と同じ学年だったなら、今頃はどうしていただろう。
彼とは出会わず、あの頃のまま今も生きていただろうか。
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