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□■チャンソン超短編妄想■ 「Rain」
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晩秋の冷たい雨が道路を濡らしていた。
女は、わざと傘を持たずに会社から飛び出してきたのだ。周りにおつかれさまの挨拶も言わずに。

この雨のせいで辺りはもう薄暗く、ひとつひとつ時間差で街灯が灯り始めた。

「夕方には上がるって言ってたのに・・・ちっとも当たらない天気予報のバカ!」

女は鉛色の空に向かってそう吐き捨てた。
しかしその鉛色の空は、腹の虫が収まらない女の顔に向かって、ただひたすらたくさんの雨粒を叩きつける。

「大体・・・私だって好き好んで中堅社員をやってるわけじゃないんだから・・・新人だって入ってきて、でもお局様の顔色は伺いながらなんとかやってるんだから・・・なのに・・・なのに・・・」

女はたったさっき起きたことを反芻しながら雨宿りの場所を探した。お局様と呼ばれている職場の先輩に、簡単な電話応対もできない新人に対する指導の甘さを指摘され、酷く叱られたのだ。しかもその直後に、上司から仕事上の事務処理ミスをその新人の前でねちねちとつつかれ、いてもたってもいられなくなり、逃げるように職場から出てきてしまったのだった。

しばらくすると、降りしきる雨の中にコンビニの明かりがぼんやりと浮かんで見えた。
外が寒いせいか、店の窓が曇っている。
もうすぐ冬がやってくるのだ。

女は店の中に入るとホットコーヒーと大好きな袋入りのドーナツを買い、店の軒先で雨をしのぎながらドーナツを食べることにした。

「別にいいや・・・周りにどう見られたって・・・どうせこんな雨だもん。コンビニの前でドーナツ食べてる女になんか目をやる暇もないでしょ。」

ざぁざぁ降る雨を眺めながら、女はがぶりとドーナツを頬張った。

「あーあ・・・私なにやってんだろ・・・ばかばかしい。なんか・・・やってらんな・・・い・・・」

小さな声で呟いたつもりだった。
しかし自分の耳でその言葉の破片を拾ってしまえば、弱った自分の心にちくちくと突き刺さるだけだった。

涙が頬を伝った。
冷たい外気に慣れた頬には、それは驚くほど温かく感じられた。

気が付けば隣には大柄な若い男が同じように雨宿りをしている。

端正な横顔が印象的で、どこが物憂げな表情をしている。上から羽織っているレザージャケットの下は黒いタンクトップだ。顔つきは子供っぽいのに、タンクトップの胸元は微かに盛り上がっていて、丹念に鍛えられていることを物語っていた。

なのにその表面はすべすべとしていて柔らかそうだ。むさくるしさが一切ない。そんな男性も珍しかった。

それにしても寒くはないのだろうか?

「あの・・・タオルあります・・・けど・・・」

じっと見つめ過ぎただろうか?
女は男が話しかけてきたことに驚いた。

「え?タオル・・・?」

男はすでに半分ほど濡れているタオルを女に差し出した。

「これで・・・拭いてください・・・そのカバン。」

よく見ると、溜まった仕事の書類でパンパンに膨れているカバンがびしょ濡れになっている。

「え?あ、いいんです、こんなの・・・濡れてしまっても構わないんです。」

「でもそれは・・・お仕事の書類みたいですね。それと・・・えっと・・・顔の・・・・目の下もちょっと・・・」

目の下と言われて女ははっとした。

(マスカラ!?さっきの涙で?)

「えっと・・・使ってください・・・」

流暢に聞こえるがところどころに異国訛りがある。韓国人?どこかで見たような気もする。

「仕事なんて・・・もういいんです。なんか、もう・・・」

女は何かを思い出そうとしていたが、差し出されたタオルを突き返すこともできずに、濡れた服を拭く振りをして一生懸命頭をフル回転させた。しかし、どんなにがんばっても何も出てはこなかった。涙をこらえるのには、相当な集中力が必要なのだ。

「僕も・・・仕事が上手くいかなくて辛いです・・・新しい人達と新しい仕事に慣れなくて・・・言葉もあんまり上手くないし・・・」

「・・・でも上手ですよ?私なんか日本語しか話せないけど・・・日本の方じゃないですよね?」

「はい・・・韓国から来ました。」

雨が急に量を増し、お気に入りの靴を濡らしていく。外はもう暗く、車のヘッドライトが眩しく感じられた。

「コミュニケーションとか・・・難しいです・・・」

男は鼻をすすった。
冷たい空気が男の鼻を赤く染めている。

「お国に帰りたいって思いませんか?」

女は寂しそうにしている男の唇を見つめていた。

「少し・・・でも、こっちでがんばりたいんです。仲間もがんばってるし・・・それに少しでも上手くなりたいから・・・」

「ふぅん・・・」

女は少し自分を恥じた。
自分よりは若いであろうこの男は、異国の地でがんばろうとしている。なのに自分はどうだろう?

「そのドーナツはおいしいんですか?」

「あ、これね・・・おいしいですよ。このお店に売ってます。」

「そうですか・・・あの・・・ところで、ここにバナナって売ってますか?」

「バナナ・・・ですか?えーっと・・・売ってたと思いますけど・・・」

女は少し戸惑いながら、男の唐突な質問に答えた。この男はコンビニにバナナを買いに来たのだろうか?

「ちょっと・・・買ってきます・・・」

男が店に入っていく。

女は思った。
最近は仕事で忙し過ぎて、自分の殻に閉じこもりすぎだったかもしれない。
こうして知らない人間と、どうでもいいようなことを話す機会もなかったような気がした。
自分の殻の中で、酸素が足りなくなり息苦しくなってしまっていたのだ。

「バナナかぁ〜〜・・・・はぁ〜〜・・・」

女がそうため息をつくと同時に男が店の中から出てきた。

「戻りました。」

「バナナ、ありましたか?」

「はい、ありました。ほら。」

男は女にバナナを見せ、嬉しそうに笑った。

「休憩時間、終わりなんです。あと、これよかったら・・・」

男はそう言うと、下からひゅっと男物の傘を差し出した。

「これ、使ってください。僕、急いで戻らないといけないんで。じゃあ!」

(傘?じゃあ雨宿りなんかしなくてよかったんじゃ・・・バナナを買いに来ただけなの?)

女は狐につままれたような思いでもう一度コンビニの中を覗いてみた。はっと思い、コンビニの雑誌売り場を振り返る。

雑誌で見た顔だ。
先日テレビでも見たような気がする。

「怪盗ロワイヤル!?」

女がそう口にしたと同時に男は軒先から出ていった。

(そうだ、この間テレビに出ていた!韓国のボーイズグループの!!なんだっけ・・・名前が出てこない!!)

女はたまらず、雨の中レザージャケットを頭にかざして走り去ろうとする男の背中に声をかけた。

「ねぇ!え・・・と名前を!!」

男はにっこり微笑みながら振り返ると、右手で文字を作りながら答えた。

( 2・P・M)

そして男は、まだ降り続いている雨を照らし出すヘッドライトの光の中に消えていった。





cr. kyonco

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