■ Books Maison ■
□■ウヨン短編妄想■ 「eve」
1ページ/1ページ
少し気後れしてしまいそうなほど冷たくモダンな作りの部屋の中で、男女の肌が重なる音が聞こえた。
先程までひんやりと張り詰めていたシーツは人肌でほどよく温まり、部屋に入ったばかりの頃のよそよそしさは消えていた。
ベッド上の濃密な湿度の中で、女はある男の名前を繰り返している。
男は、毎月同じ日にその名前を聞く仕事をしていた。自分とは違うその名前を聞くための仕事だ。
花屋の仕事は気に入っていた。
しかし生きていかなければならないのだ。足りない分は自分で稼ぐしかなかった。娼夫の仕事は、思ったほど苦ではなかった。
今自分の身体の下には、驚くほど大胆に自分の身体を求めてくる年上の女がいた。女は男の腰に両脚を絡め、深い位置で男を飲み込んでいた。
もうすぐ女は背中を仰け反らせ、規則正しいリズムを刻み出すだろう。女がクライマックスに近づいたら、女の上半身を起こして向かい合わせになり、女の頬を両手で挟みながらキスをするのだ。
「愛しているよ、薫・・・」
その女の名前だ。
そして女の瞳からは一筋の涙が流れる。それは無くしたものを必死に取り戻そうとする涙なのだ。
「あぁっ・・・・・!!」
女が高みに達し、男の背中に爪を立てた。今夜も夢の中で取り戻したいものを掴み取ったのだろうか?女はしばらく男を離そうとせず、胸の中で涙を流し続けていた。
「ごめんなさい・・・つい、あの人と重なって。」
「いいんですよ。これが僕の仕事ですから・・・」
毎月二十四日に同じこの女からもう半年以上続けて予約が入っている。いつも同じホテル。そして同じ部屋だった。
別れた恋人の姿を自分と重ねているのだろう。行き場のない感情を受け止めるのが娼夫の仕事だ。
しかし、今となっては逆に自分の感情を処理しきれなくなっている。
(僕にはその涙を拭ってやることもできないのか・・・)
事務所からは、レギュラー客の落とし穴を飽きるほどレクチャーされたはずなのに。相手客の心を救うことはできない。できることがあるとすれば、ただその身体に寄り添うことだけだと。
事を終えた後で、女は身体を上手に隠しながら着替え始めた。あんなに激しく自分の身体を求めてくれたのが嘘のようだ。ベッドの端と端までの距離が二人の本来の関係を物語っていた。
「来月は十二月ですが、予約は・・・どうしますか?事務所から確認を取ってくれって言われました。」
男はジャケットを羽織りながら聞いた。女はミュールの片足を履きながら、小声で答えた。
「その日の夜から二十五日の夜まで二十四時間あなたを貸し切りたいんです。事務所にはそう連絡しておきます・・・」
「あ・・・はい・・・」
思いがけない返事に男は嬉しい戸惑いを隠せなかった。クリスマスイブを一緒に過ごしたい新しい男はまだ見つからないのだろうか?
女は財布を開き、支払いとは別にチップを払った。男は複雑な思いでそれを受け取り、部屋を後にした。
* * * * *
そしてクリスマス準備で忙しい花屋をこなしながら一ヶ月が経過した。
人の幸せのために作る花束。
人の幸せのために飾るクリスマスオーナメント。
街を行き交う人々が、大切な人を思い浮かべながら贈り物を選ぶ季節だ。
それは愛を贈る人がいるという前提で流れる特別な時間。街はイルミネーションの光の洪水で包まれている。
男にはただひとりの顔しか浮かばなかった。二十四日の女の顔だ。
二十四日の昼は表の仕事に当てていた。この日に休めるほど店は暇ではない。この機会に愛の告白をしたい男は山ほどいるのだ。
その日の夕方、人々が家路へと急ぎ出す少し前の時間にようやく休憩が取れた。
さっそくパンでも買いに行こうと自動ドアの前に立ったところで、入ってこようとする女性客にぶつかりそうになった。
「すみません・・・あ・・・」
その女こそ、この日の夜に予約を入れていたあの女だった。
「あ・・・・」
気まずい空気が流れた後、男は女に道を開け、脱いだエプロンを掛けなおして注文を受けた。
「ご注文をどうぞ。クリスマス用ですか?」
男は女がどのような花を選ぶのか知る必要があった。二十四日が特別な理由。それを知る必要があったのだ。
「御仏前用ですが、せっかくのクリスマスなので華やかにしていただいた方が喜びます・・・」
「失礼ですがどなた様への・・・?」
「三年前の今日亡くなった私の婚約者です。」
そうだったのか。
毎月二十四日にその男の名前を呼ぶ理由はそれだったのか。男は真実を知って愕然とした。
クリスマスイブに死んだ婚約者のためだったのだ。
二十四日は月命日だったのだ。
「普段昼間はここで働いているのですね?」
女は男が花を選んでいる後ろ姿に話しかけた。
「はい。お客様のために花を選ぶのが好きなものですから。・・・喜んでいただけるように、精一杯作りますね。」
「ありがとう・・・」
女の視線を背中で感じながら、男は花束を作った。死んだ男に捧げる花は、今まで作ってきたどんな花束よりも華やかでなければならない。
クリスマスイブの日に、目の前から姿を消してしまった男との思い出を、この女は祝いたいのだから。その男なら、この女のためにどんな花を選ぶだろうか?
店内には「ホワイトクリスマス」の曲が流れていた。花を作る間の待ち時間をフランク・シナトラが静かに埋めてくれる。花束が出来上がる頃には、女は窓の外をずっと見つめていた。
仕上げのラッピングには真紅のリボンを結んだ。クリスマス色でもあり、愛に殉教する血の色だ。赤と緑とゴールドを散りばめた、愛の花束。叶うことのなかった愛を讃える花束だ。
「こんな感じで出来上がりました。気に入っていただけると嬉しいんですけど・・・」
女はその花束を見つめ、少女のように微笑んだ。
「きっと・・・気に入ってくれると思います。その日、私のために選んだ花束もこんな感じだったんです。彼と一緒に轢かれて道路に放り出された花束を、彼のお母様が見せてくれたんです・・・」
「それは良かったです。これはその方というより、お客様のために作りました。きっとその方なら、こんな花束をあなたに差し上げたかったんだろうなと思いながら作ったんです。」
「ありがとう・・・」
「僕は七時上がりです。今夜はその方のために一晩中祝いましょう。彼が祝いたかったあのクリスマスイブの夜を。」
「はい・・・・・」
女の瞳には涙が浮かんでいた。
それは哀しみの涙ではなく、喜びの涙だった。女は花束を受け取ると、静かに支払いを済ませ、店を出ていった。男の耳からフランク・シナトラの声がいつまでも離れなかった。
指定のホテルに行く前に、極上のシャンパンを買っていこう。行き場を無くした自分の恋を胸の奥にしまいこむために。
そして祝おう。
永遠に続く秘めたこの恋を。
cr. kyonco