■@2PM■

□月夜のサーカス
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その男は、いつも走っていた。
湿った石畳の歩道が青い月影に浮かび上がる。
控えめな三日月が秘密を閉じ込め、ひっそりとその姿を隠している。
暗闇が、男の行く手を拒んでいた。

それがどうだろう。
今目の前にあるのは、欲張りでよく肥えた満月。
醜い姿をその光で照らし、哀れにも浮かび上がらせる。

追うものと追われるもの。
さて自分はどちらの方だったのか。

思い返すたびに記憶がすり抜けてゆく。
そう、その男は少し前の自分だった。

オレンジ色の街灯。
後頭部の鈍い痛み。

断片的な記憶だけが繰り返し脳内映写機から映し出される。

そしていつも終わりはこうだ。

「もう慣れましたか?」

鼻に籠ったやや擦れ声の男が上から顔を覗き込んでいる。
何もかも見通したような眼差しで。

そして気が付けば満月を見上げながら、移動バスの中で独り横になっているのだ。
のちに「ウヨン」と呼ばれるその男が夢の中で着ていたトレンチコートと帽子は
部屋の隅にたたんで置かれ、いつの間にかやや古びた普段着に着替えさせられている。

がたごとと揺れる音。
動物たちの生臭い匂い。
ナイフが的に突き刺さる音。
男の喘ぎ声。
鎖が軋む音。
少年の咽び泣く声。

団長と呼ばれる男が言った。

「記憶を失くしているのですよ。どうやら頭を強く打ったようです。記憶が戻るまでここにいたらどうですか?私の名前?
『ジュンス』です。落ち着いたら何か仕事でも手伝ってもらいますよ。」

記憶を失くした自分に何ができるのだろう。
もうすぐ次の街に到着するという。
いや、自分が記憶を失くしてから、いったいいくつ目の街なのかさえも覚えていない。

確かなのは、今自分がいるこの移動バスの持ち主はサーカスの一団で、自分はその一団と旅をしているのだということだけだった。

しかし次の街で繰り広げられるこのサーカス団の裏の所業の全てを記録することになろうとは思いもよらなかった。



cr: neru

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■suggested music■
ハチャトリアン作曲 仮面舞踏会より「ワルツ」(Masquerade)
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