■ChanSung's Room■
□朔の女
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今来たばかりの薄暗い廊下を戻る。
背後に女の気配を感じて軽い寒気を感じた。
自分の部屋に着くとドアを開け、少し前に片づけたばかりの質素な机の上に女の手荷物を乗せた。
チャンソンの部屋には何もなかった。
あるのはベッドと机と椅子。
そして机の上にある卓上ランプ。
古びたチェストの中には、普段作業をする時に着る薄汚れた着替えが入っているだけだ。
使うあてもない鍵も一緒に机の上に置いた。
コトリという音が部屋中に響く。
「あなた・・・チャンソンと言うのね?私はマトリョーナ。口が利けないとか・・・。」
呟くような小声で話す女だった。
瞼を軽く閉じ答えるチャンソンの左手を自身の右手に取り、親指と人差し指を動かして肌の感触を確かめる。
「そんな男が欲しかったの、今夜は。あなたにお願いするわ。」
卓上ランプの柔らかな光が、女の顔を覆っているヴェールを微かに通り抜ける。
左目から頬にかけての醜い火傷跡が生々しかった。
「そのランプ・・・私には少し明るすぎるわ・・・蝋燭は持っている?」
なるほど、この女はランプの下で自分の顔をさらすのが嫌なのか。チャンソンは机の引き出しの中にたった一本残っていた蝋燭をつけると、蝋を小皿の上に垂らし
その上に蝋燭を乗せ軽く固定した。
「ありがとう・・・。」
シルクドレスの衣擦れがしたかと思うと、女は窓に近寄り外を眺めた。窓枠に掛かる左手の形はやはり不自然で、何らかの深い事情を感じさせられた。
どうしたらいいのだろう?
ジュンスからは、女の言われた通りするようにと内線電話で伝えられている。
おずおずと女の胸元に手を伸ばす。
まだヴェールで隠されている顔に触れるわけにはいかなかった。
女が左手でチャンソンの手を制した。
その感触は氷のように冷たく、そして固かった。
「今夜は私の身体に触らなくてもいいのよ。ご覧の通り私の身体は・・・見るに堪えないから・・・」
女の左手に目が行く。
よくよく見ればその形は先ほどからぴくりとも動かない。
(義手・・・?)
「このままでいさせてもらうわ。そのかわり・・・」
戸惑っているチャンソンを気にも留めず、女は続けた。
「私の目の前でしてくださらないかしら?普段通りに。それが見たいの・・・今夜は。」
つまり、女の目の前で自分を慰めろというわけか。
「私のことは気にしないで。それともあなたにはもうそんなことしなくてもいいお相手がいるのかしら?」
チャンソンは首を振った。
「じゃあ、想い人は?」
一瞬ジュンスの顔がよぎった。
しかしあれはあの時だけのことで、その後は・・・。
「あら、いるのね?じゃあいいわ。その人のことを思いながら自分を慰めてちょうだい。
そしてそれを見るのが私への慰めにもなるのだから・・・。」
他人の行為を見ながら自分を慰めるつもりなのか?チャンソンは、女の歪曲した趣味にやや嫌悪感を感じた。
「曲がった趣味だと思っているのでしょう?でもね、世の中にはそうやってしか己を開放できない人間もいるの・・・それだけはわかってちょうだい・・・」
チャンソンは、ゆっくりとベルトを緩め始めた。
「でもその前に・・・最初は上を脱いで・・・。下はそれからよ。」
どうやら女には脱ぐ順番の好みがあるらしい。チャンソンは言われた通り、シャツから脱いだ。
両手を交差し、裾をまくりそのままゆっくりと上げていく。
部屋の空気が直接肌に触れるのを感じた。
胸の突起が自然と固くなる。
「素敵な身体をしているのね。無駄がなくて、でも・・・フフフ・・・好きよ。あなたの身体。」
舐めるような視線を感じた。
ヴェールの奥にあるのであろうその瞳には、自分は一体どのように映っているのだろうか?
脱ぎ終わったシャツを椅子の脇に落とすと、女が寄ってきて鼻先を胸に近づけ肌を擦りつけた。ヴェール越しの鼻先の感触はどこかひんやりとした。
「感じるわ、あなたの体温を。このヴェール越しでも感じる・・・」
そして今度は唇を近づけ、固くなった突起を食んだ。
ぴくりっ
一瞬身体がしなった。
「感じやすいのね、あなた・・・」
反射的に両腕を上げ、女の肩を抱こうとしたその瞬間・・・
「だめよっ!!!」
女が大きな声を上げた。
しかしすぐに落ち着きを取り戻し、先ほどまでと変わらぬ声でこう言った。
「・・・・・・・私の身体には触らないで。そのまま・・・じっとしていてちょうだい・・・」
いくら何の感情も抱かぬ相手とはいえ、身体に触れられているのに相手に何もしないというのも不自然な気がした。
人はそういう風にできている。
求められれば、返したい。
あの時もそうだったように・・・。
「あなた、優しいのね。お客の私に触らずにはいられないのね・・・だったらしばらく触れないようにその優しい両手を縛っておかなくては・・・」
そう言うと窓まで戻りカーテンの襞脇を触ると、鈍い黄金色のループタッセルを持ち帰った。そして女はその紐を後ろ手にしたチャンソンの両手首に器用に巻きつけ、縛った。
「私のこの手ではきつくは縛れないけれど、解こうとしなければ解けないわ。」
そう諭してチャンソンをベッドの縁に誘った。
「ねぇ・・・ここに腰を下ろして。そうよ・・・これであなたの顔がよく見えるわ。」
ベッドに座ると女の胸元が目の前に見えた。
ミッドナイトブルーのシルクドレスが美しいカーブの膨らみをますます魅力的に見せていた。もっとも不自由なその両手ではその膨らみに触れることはできなかったが。
「大きくてきれいな瞳・・・でも私には騙せないわよ。その奥にあるものを見せてもらわなければ・・・」
ヴェール越しの口元が動き、呪文のような言葉がこぼれ出す。しかしチャンソンには何を言われているのか分からなかった。
自分には、何もない。
自分はただの掃除番だから。
ただジュンスに言われた通り、この女の言う通りのことをするしかないのだ。
「さぁ、じゃあ今度は下を脱いでもらうわ。」