■ Books Maison ■

□■チャンソン妄想■ 「襖」
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湯に浸かった身体は程よくほぐれ、先ほどの緊張が嘘だったかのように感じられた。
部屋に戻ると、夫がもう時間だと教えてくれた。
全身マッサージで九十分のコースだからと。

フロントがある母屋の外れにそのスパはあった。
玄関には竹のオブジェと灯篭があり、日没手前の弱々しい太陽の光を浴びて、心細そうに私を招き入れた。

「六時からご予約の、高橋秋生さまでいらっしゃいますね?」

影の薄い受付の女性が個室まで案内をしてくれた。

「こちらでお待ちくださいませ。」

施術室は和室だった。
個室のスピーカーからは、微かに水流の自然音が流れている。
完全に無音なのは逆に緊張してしまうし、かといって好みに合わないヒーリング音楽は耳障りだ。
柔らかな蝋燭の灯りに心を奪われていると、担当者が戸をノックする音が聞こえた。

「失礼します・・・。」

(男!?)

俯きながら若い男が個室に入ってくる。
あの時の子だ!!
あの・・・あの部屋から出てきて私の背中を熱い視線で犯したあの若い男だ!

「全身マッサージ九十分コースですね?よろしくお願いします。担当のチャンソンです・・・」

(チャンソン・・・?韓国人なの・・・?)

私の胸の鼓動が響きだす。

「それではしばらく席を外しますので、お召し物を脱いでこの衣を身体の上に掛けてお待ちください。」

青紫色をした紫陽花模様の薄絹を布団の側に置くと、その男は戸を開けて出て行ってしまった。
着ている服を脱ぎ、用意された薄絹を身体に乗せた。
しっとりとした絹の感触が私の肌を敏感にさせる。
それはまるで全身を冷たい手で触られているような感触だった。
もう一度戸が開き、その男は入って来た。

「失礼します。それでは施術に入ります。」

衣を腰まで下げられると、私の剥き出しの背中が部屋の空気に触れた。

「もう少し、力を抜いてください・・・ここ、固いですよ。」

肩甲骨のあたりを軽くなぞり、その骨に沿った溝に指を入れてゆく。

「指が入りません。それだけ凝っているんですね・・・」

「普段は意識しないんだけど、こういうところにくるとよく言われるの・・・でもそんなに?」

「はい・・・それに少し体温も低い・・・」

私の背中を丁寧に探りながら、身体の様子を調べているようだった。

「でも肌は綺麗ですね?ふっくらしてるし、張りもある。」

夫以外の男に自分の肌を、しかもこんな部分を触られながら評価されるなんて・・・。

「初めはリラックスしていただくために軽く、その後はしっかりと揉みほぐしていきます。」

「・・・はい・・・」

一度足先へと移動し、ゆっくりと足の甲、足の裏、爪先を揉みほぐす。
指がツボに入り、老廃物を押し流す痛みとその後の解放感が、私の身体をじわりと包み込んだ。
この男のツボを押すリズムの絶妙さに心を奪われる。
ぐっと押したかと思うと、ゆっくりと力を抜き痛みを解き放つ施術が、私の心の中のもやもやまで押し流してくれるかの様だった。

いつの間にか眠っていたらしい。
耳元で名前を呼ばれ、初めて自分が眠り込んでいたことに気づいた。

「とても幸せそうな顔をして眠っていらっしゃったので、施術が終わるまでそのままに。次はまた明日。ご主人様から、二日目はお部屋での施術と承っております。」

「そうなんですか?部屋ならそのまま眠ってしまえるから都合がいいですね。ありがとう、それではまた明日よろしくお願いします。」

不思議な青年だった。
施術が始まる前までは、あんなに妖しげで憂いた表情だったのに、終わってしまえばヒーリングという世界にぴったりな優しげな青年に見える。
実際私の身体はすっかり癒されていて、心までほっこりしていたのだから。

帰りの通路で、夫にかける感謝の言葉を考えながら私は部屋までの道を歩いていった。




cr. kyonco
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