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□■テギョン短編妄想■「人狼」
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「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・・・・」


男は肩で荒い息をした。
暁の空に薄れつつある満月は、相変わらず知らんふりを続けている。
心臓からドクドクと流れ出る血は温かく、男はその体温を手で確かめると、ゆっくりと仰向けになった。

「俺も・・・ようやく・・・死ねる・・・」

さっきまでうるさかった村の男衆の叫び声は一発の銃声と共に静まり、男が姿を消した後も再び騒がしくなることはなかった。
なぜならそれは暗黙の了解だったからだ。
女の命を救うために。




その村は貧しく、男衆は仕事にあぶれていた。
そうなると男は弱い。
酒に手を出し、女に手を出し、ギャンブルに手を出すようになる。

女の夫もそうであった。
結婚したては良かった。
真面目で働き者の男だった。
しかし流行病にやられて牛達が死に、村の男衆は仕事を無くしてしまったのだった。

そんな時に男はやってきた。
隣の大きな街から、村の牛達の状況を調査しに派遣されたのだった。

虚ろな目をした男だった。
新しい産業で賑わう大きな街では生きる意味を無くし、ただ呼吸をするためだけに毎日を過ごしてきた。
あの街では生きてはいけない。
このような身体では、普通に生きることさえ苦痛なのだ。
どこか遠くへ、未だ恐ろしい迷信が蔓延る寂びれた村へ逃げ込まなくては・・・

そこへ街が牛の流行病の調査に乗り出した。
しかしいくら牛相手とて、流行病が蔓延している村に望んでいくものなどいなかった。
だから男は自分から志願してその村に行くことにした。

しかしやる気をなくした村の男衆は余所者に冷たく、仕事はなかなかはかどらない。
そんな時、村の嫁達のまとめ役の女に出会った。

最近までの牛達の様子。
餌はなにか。水はどこから引いているのか。
働き者だった女は、村の男衆がなんとかやる気を取り戻してくれるよう、一生懸命助力を尽くした。

しかしある日顔に痣を作った女を見て、男は聞いた。

「なぜ?」

女は口を固く閉じて話そうとしない。
しかし村の噂話はすぐに広まった。
嫉妬に狂った夫が女を殴りつけたのだった。
お前の女房が街から来た男に擦り寄ってるみてぇだぜ?と、二人が真面目な話をしている様子を余計な尾ひれをつけて、女の夫をからかったのだ。

男は思った。
なぜこんなにも健気なのだろう。
尽くしても決して報われないだろうに。
そして男は次第に女に惹かれていった。

ある風の酷い夜。
男は思い立って村外れの用水路を調べていた。
飲料水とは別に、牛舎に水が流れている。
これがもしや原因では・・・と思っていると、暗闇から近づいてくる人影が見えた。
一本道からやってくるのは、例の女だった。

よく見れば裸足で、膝上に紫色の打撲傷が見える。
頬には涙が乾いた跡があった。
男の姿を見て顔が凍りついている。

「こんな夜に・・・?」

男が話しかけると、女は膝から崩れ落ちた。

「あぁ・・・・大変なことをしてしまった・・・」

男はとっさにそれを察した。
なぜなら女の両手が真っ赤に染まっていたからだった。

「わかりました・・・私のところに来てください。あそこには誰も来ないから・・・」

村外れに近いところにある小屋をあてがわれていた男は、動揺している女の手を握り案内した。

「血が付いています・・・僕の服しかありませんが、このシャツを・・・」

男の仮宿に着くと、女は動揺しているのか男がいる前で服を脱ぎ始めた。
女の瞳は何も映してはいない。
ただ頭の中でたったさっき自分がしてきた行為を永遠に繰り返し映し出しているのだ。
男は、自分を責め続けている女の姿を見続けることはできなかった。

「あなたはこうして生きている。死んだ男のことはもう・・・。」

女の冷たい唇をゆっくり塞ぐと、冷えた身体をも丸ごと抱きしめた。
女の身体がピクリと動いた。
それは痛みのせいなのか、それとも怯えからくる条件反射なのか。
女の身体は硬かったが、男の舌が絡まるうちにだんだんと緩まってきた。
女の焦点が今この時に戻ってきたのが分かった。

「これからあなたは僕のものになる。そしてこれは全て僕がしたこと。いいですね?
あなたはただ、ここにいてください。僕の言うままに・・・」

女の瞳から温かい涙が溢れた。
長い間閉じ込められていた暗くて冷たい洞窟の向こう側から光が見える。
繋がれた足枷を切って、ようやく入口までたどり着いたのだ。

男は自分の着ていた服を脱ぎ、再度女を抱きしめた。
そして生きていることを感じ合うために二人は抱き合った。
深い哀しみを負った二人の心は、お互いを求め合い溶け合った。
そして愛に飢えた二人の身体は、痛みを忘れ重なり合い貪り合った。

男は、生まれて初めて感じるその迸るような情愛を刻むべく、自分自身を深く花開いた女の身体に突き立てた。
今までにないほど深く、奧の奥まで確かめるように。
その激しさに女が気を失うまで。

明け方近くまだ外が暗いうちに、ドアを強く叩く音が部屋中に鳴り響いた。
村の男衆がドアを蹴破って部屋に雪崩込むが、部屋の中には誰もいない。
床には男の着替えが落ちていた。

男衆は必死に男を探した。
そして殺された夫の家からいなくなった妻も。
松明をかざして一列になって道を練り歩く。
しかし森の入口まで来ると、その足がピタリと止まった。

そこには気を失っている女を両腕に抱く、男が・・・いや、男らしき「生き物」が立っていた。
身体は毛に覆われそれは顔まで被っていたが、よく見ればその顔は一ヶ月ほど前に村にやって来た例の男の顔によく似ていた。

「お・・・お前・・・狼男・・・・・!?」

村の男衆の一人が叫んだ。

「じゃあこの村の牛の病気もお前が運んできたのか!?」

「その女の旦那を殺したのもお前か?」

「この村に疫病神を連れてきたのは・・・お前だろう!!!」

好き勝手に叫び出す男衆は、もはやヒステリー状態になっていて全てをこの男に擦り付けようとしていた。

「そうさ、そうだよ。この女の男を殺ったのも俺さ・・・馬鹿な男さ。」

「みんな、この化け物を・・・殺っちまおうぜ・・・」

男は高笑いを上げた。

「はーっはっはっは!!!俺を?この狼男をか?銀の弾丸でしか殺められないこの気高き命をか?馬鹿な奴らだ!!!!!!」

男は力いっぱい大きな声を上げた。
この男衆の憎しみを一気に引き受けるために。

「おい、誰か銀の鉄砲玉持ってないのか?俺ゃ鉄砲しか持ってないからよ。」

「村長んとこ行ったらあるだろうよ!」

もうひとりの男が叫びながら村に戻った。
全てを終わりにするための儀式を整えるために。

男は思った。
もう終わりにしよう。
永遠に続くこのゲームはもう「上がり」だ。
人並み以上の強さも要らない。
誰か、一人だけでも愛を交わす人間がいればもうそれでいい。

だからどうか、もうこのゲームを終わりにして欲しい。
満月の夜がもう二度と来ない日を誰か俺にくれないか・・・

男と村の男衆の距離が伸びたり縮んだりするうちに、村長の家まで戻った男が手を握り締めながら走り戻ってきた。

「こ・・これだ、これ!銀の鉄砲玉!村長んちにあったぜ!!!」

「早く貸せよ!」

死んだ男の親友と名乗る男が銀の弾を拳銃にこめた。

「へ・・・へへ・・・これでお前もおしまいだ・・・」

女を腕に抱いた男はゆっくりと女を草むらに下ろした。

「そう簡単に殺られてたまるか。殺りたきゃ殺ってみろ!!」

男は森の中を全速力で走っていった。
森の奥深くまで。
あの崖があるあの奥まで。

男衆も負けてはいられない。
男を逃がしてたまるものか。
この村で起きた全てを片付けねばならないのだ。
悪いことはもうしまいにしよう。
俺たちの明日は、もうすぐそこにある。

目の前が開けて、空が見えた。
暁色の空が男を待っていた。

銃声音がその暁の空に響き渡り、崖を飛び降りる直前の男の背中に、銀色の弾が吸い込まれていった。
そして男の身体はその下の河原に落下した。

薄情な満月は、淡くその姿を消しつつあった。
暁色が青に変わる頃には全ての血が流れだし、男は命の灯火を失うだろう。
それでも男は幸せだった。
たった一人の女をその胸に抱きしめることができたのだから。

自分の命をあの女に託そう。
この胸の中に込められた銀色の弾はその証だ。
男は薄れつつある意識の中で、女の顔を思い浮かべていた。

そして毛に覆われた身体はやがてまた白く柔らかな人肌に戻り、顔を包む黒髪が川の水面を走る風に吹かれてふわりとそよいだ。




cr. kyonco
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