■@2PM■

□月夜のサーカス
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ジジジジジ・・・

飾り箪笥の上で揺れている異国製の蝋燭の灯が、苛立たしげに踊っている。

男は興味深気にその男の白い背中を眺めていた。
斜めに走る裂傷が数本。
目の前にある少し丸まった背中に指を伸ばし触れると、その背中は痛みで弓なりに反った。

「この蝋燭が怖いのか?」

しなった背を元に戻すと、もう一人の男がこくりと頷いた。

「大丈夫だ。何も起きないから・・・」

背中の持ち主が諦めたようにため息をついた。
炎を見つめていると、心の奥がざわめいて落ち着かなくなるのだった。

何か悪いことが起きるのではないか?

そして、自分の背中を見つめている男はそのことを十分承知していながら、自分を呼ぶ時は決まって部屋に蝋燭だけを灯して待っているのだった。

「あの女の趣味はまだ変わっていないんだな・・・。」

伸ばした手の先で、今度は優しくその傷の持ち主の頬をなぞる。

「悪かった・・・お前を差し出した私のせいだ。許してくれ。」

そんなことはない、と言いたかった。
あの女の趣味はたぶん昔から同じで、きっとこれからも変わらないのだから。

ただ、自分を拾ってくれた恩人の役に立つのならなんだってできると証明したかっただけなのだ。

痛みを忘れるために雇い主の部屋を見渡してみる。黄金の縁で飾られたバレリーナの西洋画。
長椅子に置かれたままのシルクハットとステッキ。テーブルの上のワイングラス。

暖炉前で腹ばいになっている黒豹が自分を見つめている。その動かぬ両目には赤い蝋燭の炎が映り込んでいた。

お前も命が欲しいのか?
空っぽになったその身体を熱い何かで満たしたいのだろう?

しかしその想いも心に秘めておくしかなかった。
背中に感じる痛みも、たぎるようなその想いも決して口から吐き出せないのだから。

そう、その男は口がきけなかった。
詳しく言えば聴唖者で、なぜか聴くことだけはできるのだった。

「チャンソン・・・」

口の中に温かい赤ワインの味が広がる。
口移しで流し込まれたワインの味は、少し重めで渋みがあった。

「ジュンス・・・」

そう言えたならどんなにいいだろう。
小間使い同然の自分に、こんなにも優しく接してくれる人間などこの世にいるだろうか?

同じ人間であるのにいつも虐げられてきた自分を抱きしめてくれるこの雇い主の名を何度胸の中で呼んだことだろう。

自分だけは知っているのだ。
冷たく光るこの瞳の持ち主の唇がどれだけ温かくそして罪作りかを。

「さぁ、始めてくれ。」

自分だけが許されている行為でいつもの儀式を始める。まずは雇い主の胸元のボタンをひとつづつ外してゆき前衣を開くと、両手を胸に当てて両肩から外す。

チャンソンはその動作の一つ一つが好きだった。その身体を眺めているだけで、体が熱くなるのを感じられたからだ。

「あの女が汚したお前の身体を、私がきれいに拭ってやろう。」

ジュンスは知っていた。
あの女のやり方を。
以前は自分の常客だったのだ。
市長の妻は、残虐で陰湿だった。
それは自分の体が覚えている。

「ここで巡業できるのも、いまではお前のおかげだよ、チャンソン。」

「あああ・・おお」

思わず声が漏れた。

胸の突起を軽く啄まれながら、チャンソンはジュンスの髪を指に絡めすくい上げた。
身体の芯が熱くなり、体中に激流が走る。

この人の普段見せぬ表情をもっと見てみたい。
サーカスという大きな集団をたった一声で動かせるジュンスの舌が、今は自分の身体の上を這っているのだ。

もう立っていられない・・・。
長椅子の上に置かれたジュンスの持ち物を片手で振り払うと、チャンソンは身体を横たえた。

「私の目を見なさい。」

わき腹から唇を離すと、ジュンスの口角から光り輝く唾液の滴が零れ落ちた。そしてそれを手の甲で拭い、チャンソンの顎をくいと引き上げた。

「あの女を・・・舐めたのか?」

首を横に振りたかったが、あの女に強要されたことはジュンスに知れている。チャンソンはジュンスの顔を見れずにいた。

「この舌で、あの女を悦ばせたのか?」

ジュンスの口づけはいつもより深かった。
甘く深く、それは奈落の底に堕ちてゆく自分の姿が瞼に焼き付くような

口づけだった。

「ぐぐぅぅ・・・」

責められているのだと思った。
あの女に強要されるがままに不本意にも自分の舌をそのような行為のために使ってしまった自分への罰なのだと。

長椅子から無理やり立たされて身体を後ろに取られた。背中がジュンスの温かい身体に触れると痛みよりも悦びの方が込み上げてくる。

どんな罰でもいい。
それが何よりの清めになるのだから。

ぴくっ

ジュンスの手がチャンソンのそこに触れた。

「あの女は上手だろう?何度も何度もお前を・・・逝かせただろう?
そういう女だ、あれは。だから仕方がないんだよ、チャンソン・・・」

そしてジュンスはあの女と同じ手の動きをする。それはあの女から得た手業なのか・・・それとも。

チャンソンの先から先走った滴が垂れると、ジュンスはそれを指で撫でつけ、さらに強く扱き始めた。

「がぁぁぁぁ・・・」

チャンソンが溜まらず声を漏らす。
ジュンスはそれを責めるように、耳元で囁いた。

「私だ、チャンソン。お前をこんな風にしているのは私だ。私の方だ。」

涙が溢れ出る。
そうだ、この男なのだ。
この身体も心も全て預けたのは。

このサーカスが小さな村にやってきて、家族を亡くして身寄りのない自分を拾ってくれた。薄汚れた衣服に裸足の自分を射るような瞳で見つめた後に、訳も聞かずに移動バスに乗せてくれたのだ。

何もいらない。ただそれだけで良かった。

いつもの手順で準備をした後、片腕を強く掴まれた。そして覚悟していた通り、ジュンスはゆっくりと中に入ってきた。

この男はなんの躊躇いもなく自分の懐に入ってきては、心の中の闇に手を伸ばしてくる。

「誰にもできないことをしてやるから・・・お前を解き放ってやる・・・」

頭を激しく横に振りながらチャンソンは耐えた。
だめだ・・・このまま記憶が無くなってしまうのは耐えられない。

また何か恐ろしいものが自分の中から飛び出してしまいそうで気が狂いそうになった。

「ああああぁぁぁぁぁぁ・・・・」

押しては引くさざ波のように悦楽の潮が身体を支配し始める。そして徐々に意識が遠のいていくのだ。

今までにもあった。
それはジュンスとのこの時間にだけ扉が開くのだ。闇の支配者が這い出る扉・・・。

ジュンスの声にならない息遣いが部屋中に響き渡る。チャンソンの遠のく意識の微かな光が消え入る時、闇の扉が開いた。

「またオレを呼んだの?」

ジュンスの唇の端がにやりと持ち上がる。

「来たか・・・」

「またアンタ?こいつをこんなにしちゃってさ。アンタ変態じゃない?」

自ら腰を引き身体を引き離すとチャンソンはジュンスと向き合った。

「哀れな弟をどうする気?口も利けないんだぜ、コイツ?」

「お前はぺらぺらと口を開いているが・・・?」

ジュンスは落ち着き払って長椅子に座った。

「アンタ、なんのためにコイツを拾ったの?ていうかさ、オレなんだけどね。」

自虐的に笑うチャンソンをジュンスは見つめた。

「まぁオレの出番を作ってくれてるのもアンタなんだけどさ、それにしてもいつもこういうシチュエーションだからなんていうの?照れるよね?」

蝋燭が置いてある飾り箪笥の前を高笑いしながら落ち着きなく歩き始めるチャンソンに、ジュンスは好奇の眼差しを送った。

「怖いのか?」

その一言で激高したチャンソンは、ジュンスのいる長椅子に飛び乗った。

「バッカじゃないの、アンタ?なんでオレが怖いんだよ?」

自分の雇い主に罵声を浴びせるチャンソンは、実は何が起こっているのかはわからない。
次の朝になれば忘れることだからだ。
それはジュンスにもわかっていたことだった。

「さぁ、それで私をどうする気だ?」

わざと気に障るように挑発する。
それがジュンスのやり方だった。
そしてそれが唯一の方法だった。

チャンソンの、過去を解き放つ唯一の方法。

「アンタのその高慢な顔を、歪ませてやる・・・」

チャンソンはそう言うと、ジュンスの身体に馬乗りになり自分の雇い主の身体の自由を奪った。

「好きにすればいい・・・」




蝋燭の炎は相変わらず気が短そうにゆらゆらと揺れていた。部屋には苦痛に耐える男の喘ぎ声と骨が軋む音が満ちていた。

雨が降り始めていた。
その雨は徐々に量を増し、全ての音をかき消して行った。

たった今生きる悦びで輝きを放っているチャンソンの記憶が朝日と共に

薄れて無くなってしまうように・・・。



翌日、半年に1回ほど行われる移動サーカスのショーがその市で開催された。2週間の間、街はサーカスの話題で持ちきりになる。

動物ショー
空中ブランコ
力比べ
ナイフ投げ
ピエロ

華やかな技の饗宴が繰り広げられるのだ。

そしてその光の陰で、ある一匹の獣が解き放たれる。

その姿は、まだ誰も知らない。




cr. neru

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■suggested music■
ハチャトリアン作曲 仮面舞踏会より「ワルツ」(Masquerade)
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