指先だけで、甘い熱を…
□しだれ桜の夢幻。
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暫く廊下を進み、誰もいなくなった薄暗い所で大きなしだれ桜を見て、息を飲んだ。
『ほぅ…』
「すげぇだろ?」
鯉伴がそう言いながら隣に立つ。
その視線が風に揺れるしだれ桜に向いているが、どこか心ここに有らずだった。
私は「あぁ」と答え、広い庭に出るとそっと桜の気に触れた。
「…乙女の事、助けてもらって悪いな」
『フン。不本意だが…たまたま目に入って見ていられなかったから助けただけだ。…人間だとは思っていたがまさか妖怪だったとはな』
「唯一そこだけには驚いた」と言うと、鯉伴は少し笑みを漏らした。
「あいつは俺らの中でも一番人間らしいからな…。俺の可愛い妹分だ」
『妹分…ねぇ?』
少々疑いの目を向けながら私はくるりと反転した。
月明かりに照らされた銀の髪が一糸一糸、美しく光る。
鯉伴は自然とそれに見とれていた。
「あんたのその髪…不思議で綺麗な色をしているな」
そっと…私の髪の一束を持つとまじまじと毛先を見つめる。
『触れるな』
パッと手を叩いて(はたいて)睨みつける。
それに目を丸くした鯉伴は、ゆっくりと手を下した。
「…嫌だったか?」
『私は他人に触れられるのが嫌いなんだ。…特に、気に入らない奴はな』
「フン」と、言って鯉伴から視線を逸らし、ひらりと桜の木の上へ飛び乗る。
鯉伴はそれを見つめると、口元に笑みを携えながら同じように飛んできて、隣に腰を下ろす。
ここからうっすら見える花街の灯りが眩しく見え、私はその遠くを見つめながら悲しい気持ちになり、ぼそりと呟いた。
『……。…この世は、酷く汚れているな』
「っ…」
呟いたと思うと、隣で息を飲む音が聞こえた。
『…どうした?』
そう声をかけてもただ呆然と私の顔を見つめる鯉伴。
(何か変に思う事でも言ったか…?)
なるべく緋里とは重ならないように振る舞っていたつもりだが…と、思う。
だが、鯉伴は私の顔を見つめたまま、一言。
小さく女の名前を呟いた。
「琉威…?」 ……と。
しだれ桜の夢幻。
(魅せたのは、愛しい遊女の片影)
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