その他ジャンル夢(羽哉)
□こっちを向いて
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絵の具のにおいが染みついた、薄暗い教室…
気付けば彼は、いつもそこで1人、絵を描いていた――――
「電気くらい、付けたら良いのに…」
そう絵に熱中する彼の背中を見ながら呟いて、ぱちん…と入り口の傍にあったスイッチを切り替える。
すると、急に明るくなった事に反応した彼は、手を止めてすっとこちらを振り返った。
「あれ…珍しいですね、あなたがここにくるだなんて」
「……課題」
そうにっこりと微笑んで言う彼に思わず目を逸らしながら答えると、私は入り口近くのテーブルの席に腰を下ろした。
「なるほど……あ、お邪魔なら帰りましょうか?」
「いいよ、気を遣ってくれなくて。大体、今邪魔してるのは私なんだから…」
「今、良い?」そう聞くと彼は、「勿論」と言ってまた微笑んだ。
彼は、よく笑顔を見せる。でも…その笑顔は、まるで笑っている気がしなくて…個人的には少し苦手だった。
苦手と言えば…今、手元に真っ白なキャンパスを広げて取り掛かろうとしているこの作業もまた、私にとっては苦手なものの一つであった。
「(好きなものを写せ…って、言われてもなぁ)」
美術が苦手…というよりかは、もう嫌いの域に入っていた私は、授業でもろくに集中出来ずにいた。
それが影響してか、一応ちゃんと提出物は出していたのにも関わらず点数が十分に与えられなかった私は、クラスで唯一、追加課題をこなす羽目になってしまった。
その追加課題というのが「好きなものをデッサンすること」。
『陰陽等といった細かい所は良いから、とにかく何か写してみなさい』
そう先生に言われたのは良いものの、好きなものと言われてもイマイチぱっと思い浮かばなかった私は、何か良いものは無いかとここに来た。
今思えば、どうしてここに来たのか……確かに、デッサンにはよく使われる石膏像なんかは沢山あるけれど、好きなわけではない。
寧ろ、私の席から見た角度で奴らを見ると、まるでこちらをじっと見られているようで怖い。
ともなれば、あと目につくのは彼くらいなのだが……
「(あの絵…抽象画かな……)」
彼の肩ごしに見える絵の一部を見て思う。
そういえば、彼――サイは、うちのクラス…ううん、この学園内で一番の絵描きだと有名だ。
それは先生の態度にもよく表れていて…
特に美術の先生は彼の事を気に入っているらしく、彼がいつでも創作出来るようにと、この美術室と中にある画材は全て自由に使ってもいいと許可までしている程だ。
そんな、絵心がなさ過ぎて追試を出される私とは、まさに天と地程の差がある彼のことを好き…、だとは今まで微塵たりとも思ったことはないけれど
でも……――――
「(……な、何やってんだろう…私)」
気付けば、真っ白だったはずのキャンパスに描かれていた、彼の作業に取り組む後ろ姿…のつもりの絵。
何故描いたのかはこの際置いておくとして……我ながら、下手な絵だなぁ…なんてしみじみ思っていると、不意に後ろから、サイが声を掛けて絵を覗き込んで来た。
「これ、もしかして僕ですか?」
「!?っさ、サイ!いつの間に!?」
「後ろからずっと視線を感じていたので気になって…それより、ちょっと良いですか?」
「えっ、あっ……」
慌てて抱え込んで隠したキャンパスを手前に引かれ、ぐっと力を入れて拒む。
すると、ふと肩に手を置かれたかと思うと、耳元で「少しだけですから…」なんて言われたものだから、私は諦めて再び絵を机の上に置いて見せた。
「最初のうちは、こんな風に…形を捉える為にもあまり線を重ね過ぎずにはっきりと描いたら良いと思うよ…」
「っ…う、うん……」
後ろから伸びて来たあまり血色の良さそうではない手が、私の鉛筆を手に取ったかと思うと私の描いた絵に少し手を加え始めた。
相変わらず、肩には手を置かれて、前屈みになった彼の顔がすぐ隣で私の絵を見つめている。
その状態に酷く緊張して、折角のアドバイスもあまり頭に入らないでいると、ふとサイが手を止めてやっと私から離れた。
「流石にこれ以上はバレるだろうから出来ないけど…少しはマシになったと思いますよ」
「…あ、有難う……」
そう微笑んで言った彼にお礼を言って、さっと前に向き直る。
少しは…か。確かに線がくっきりと出てさっきよりも良く見えるようになった自分の絵を見て思う。
ちょっと手を加えただけでこんなに変えちゃうなんて…やっぱり、絵の上手い人は違うな……。
「そういえば、課題内容は何だったんですか?」
「ああ、何でも良いから自分の好きなものをデッサンするっていう…」
そこまで言って、はっと口を押える。
しまった…思わず……!
「へぇ…○○さんて、僕の後ろ姿好きだったんですか」
「や、そのっ…そんなんじゃなくて!ただ、夢中で絵を描いてるサイの姿見てたら、何となく素敵だなぁって…!!」
って、何言ってんのぉぉ!?私っ!!!
ガタリと席を立って弁解に出たのは良いものの、気付けば余計恥ずかしくなる事を言ってて、頭がパニックになる。
こんなんじゃ駄目だっ…一回落ち着かないと…!そう思って、必死に次の弁解の言葉を考えていると、ふと前から笑いが零れる音がした。
「っ…面白いね、○○さんて。僕もあなたの今の顔が好きになったので、デッサンさせて貰っても良いですか?」
「止めて下さい、お願いします!」
そう言えば「僕、描くの速いのですぐ済みますよ?」だなんて……そんな問題じゃないんだけれど。
でも、私はある事に気づいた。
さっきの笑顔……あれは、何だかいつもとは違うような…………
心がこもっているようなそんな感じがして……何だか、一瞬だけ胸がトキめいたような気がした。