特殊作品

□短編集
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妖々





人間界に滞在できる申請が受け入れられた彼が思い浮かべるのは、一人の男の事。
彼の命の恩人の事。

手がかりが一切無い状態から兎に角探して、やっと見つけた男の姿は、昔と殆ど変わっていなかった。

場所はとある雑居ビルの屋上、時刻は夜明け前。
其処から遙か遠くの風景を見つめている、命の恩人。


十年以上も昔の事だ。
ツクバは彼、鴨川に助けてもらった事がある。

自分がまだ未熟者だった時、猫の姿で生き倒れていたところを介抱してくれたのだ。

ケット・シーは恩を忘れない。
彼に恩を返す為、必死で一人前になろうと努力した。

結果こんなにも時間がかかってしまったが、ようやく彼の隣へ行ける。


「あ……あの……っ」


声に気付いて、彼が振り向く。

胸のどきどきがおさまらない。

気付くわけがないと分かっているのに、気付いてほしいと願う自分がいる。


「お前は……」


気付いてください。
だって貴方から、


「あの……ぼくは……」


自分と同じ『匂い』がするから。


「…………」
「え? 今、何て?」
「こっちへ来いと、言ったんだ」

緊張しながら、再び背を向けた彼に近付いた。
今の反応だけでは、この先の展開が見えづらい。

受け入れられるのか、拒絶されるのか。

「隣に座れ」

何を考えているのか分からなくて、どうしても行動がゆっくりになってしまう。
間接も強ばっている気がして、自分の緊張具合に溜め息が出る。

完全にただの不審者じゃないか。

落ち込んで何も言えなくなったツクバに、ぽふ、と優しい感覚。
視線を上げれば、其処には笑みを浮かべた鴨川がいる。


「おかえり」


顔に熱が集まった気がする。


「分かるんですか……?」
「気付かないとでも思ったのか。お前らの気配は少々独特だ、猫の妖精、ケット・シーよ」

顔を真っ赤にしたまま、じっと鴨川を見つめる。

気付いてくれた。
分かってくれた。
それだけで色々と報われた気がした。

だけど、今も昔も分からない事がある。


「貴方は、何者なんですか……?」


人ではない事は確かだ。

助けてくれたのは十年以上前。
その時の姿と今の姿は、そのままと言って過言ではないほど全く変わっていない。

「分からんか」
「あ……はい……、すみません……」
「謝らなくて結構だ。分からんもんはしょうがないからな」

その時丁度、朝日が姿を現した。
それに向かい彼は両腕を広げる。


「う……わ……」
「私はヤタガラスだ。いや、だったと言うべきか。堕ちたヤタガラス。だから不老長寿で、動物と魔物を見分けられる」

鴨川の背中には、黒々と闇を吸い込んだような、漆黒の翼が広がっていた。
だがそれはどうやって傷付いたかボロボロで、これではもう二度と空を飛べないだろう。

「堕ちても朝日は浴びんと一日体調不良になるとは、何とも不便でならんな」
「あっあの、だったら……」
「ん?」
「ぼくの力で貴方を堕ちる前の姿に戻します!」

鴨川は酷く驚いた顔をした。

ケット・シーはある程度の願いなら叶えられる。
だが堕ちた存在を元に戻す事は滅茶苦茶だ。

理論上はできる。
だが失敗するか、成功しても術者は消えてしまうだろう。

「本気で言っているのか、私を元に戻すなど……!」
「貴方はぼくを助けてくれました。だから、」


「馬鹿者! 貴様は恩などという些末なものの為に命を捨てるのか!?」


怒鳴られて、目をつぶり身を縮めた。
その際に変化が微妙に解けて、猫耳が出てきてしまったが、そんな事を気にする余裕はなかった。

怒られた理由が分からない。
否、全く分からないわけではないが、それでも困惑の思いは隠せない。

それを見た鴨川は、少々失敗したと思ったような顔をした。

「すまん、怒鳴るつもりはなかった。だがこれだけは言っておく。私はこの現状に、不満を抱いた事は一度もない」

つまりそれは、このままでいいという事で。

「何故、ですか? 堕ちた生き物が本来の、栄光ある姿に戻りたいと願うのは当然……」
「確かにそうだろうな。だから私は昔も今も、愚か者と言われ続けている。何とでも言うがいい。私はこの生き方を変えるつもりはない。お前も猫の国に帰れ」


そうして去ってしまった彼の後ろ姿を見て、強いなぁ……と思った。

自分にはそんな事、怖くてできない。
ケット・シーは礼儀正しくて、正義感強くて、勇敢で……なんて言われているが、ツクバにはそんなもの欠片もない。

本来なら、倒さなくちゃいけないんだろうなぁ……

汚れた存在は許されない。
だが殺す事など考えられない。


人から猫の姿に戻る。

だがその毛色は青色。
あり得ない色だから、最近ではしない色。

だがこの色を選んだ。

鴨川に助けられた時にしていた色だから。










「……帰れと言った筈だ」

何かの実験をしていた鴨川が振り返らずに言う。

彼の背後にあった窓辺には、青色の猫がバランスよく座っていた。

「帰れませんよ。恩人に何もせず帰ってきたなんて、こっちじゃいい笑い者です」


それに、


「貴方に会いたい、本当はそんな理由なんです。恩返しなんて、ただの周りへの言い訳です」

仲間にも書類にも恩返しという理由を言った。
だが本当は、側にいたいという自分勝手な理由。

礼儀を重んずるケット・シーに、私事など許されない。

だが、止められなかった。

彼を好きになってしまったのだから。

「貴方の側にいたい。恩返しじゃなくて、ただの我儘になってしまったけれど……」
「否……私にとって最高の恩返しだ」

抱き上げられて。
抱き締められて。

変わっていないなと思った。





落ちこぼれだと言われていたけど、自分にもできる事を見付けた。

彼と一緒に朝日を見る事。
それだけ。










加筆修正 H24/8/1
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