花売りと魔法使い

□第13話〜第17話
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第17話
お題:蜘蛛の糸

扉を開けて屋敷に帰ってきた魔法使いのうなだれた様子を目にして、ルシルは師匠が花売りをディナーに招待するのをしくじった事を一瞬で悟った。
「力作だったんですがね」
弟子は食卓に並べた3人分の無駄に豪華な食事を眺めてため息をついた。
「…か…かまれた…お姉さんに…いたい…ルシル魔法薬とって」
魔法使いは見事にざっくりと貫通した歯形のついた左手をさすりながら嗚咽を漏らした。
「先生、まさか噛まれたくらいで諦めちゃったんじゃないでしょうね」
「ちがうよ噛まれたのはしょうがないんだ…いいんだ、それはさ…でもお姉さんなら、お姉さんなら食べ物には乗ってくると思ったのに…」

夕方、シヴァークの市場から帰った魔法使いは、花売りのもとへいそいそと出かけた。新品のマントもろとも真っ二つにされながらも花売りに大道芸人のペンダントを贈り、ペンダントごと手を噛まれてひとしきり泣き叫んだところで、魔法使いは、遂に本題をきり出したのだった。
「あ、あのー…お腹…すいてるんですか?」
「あァ!?ふつうだいたいいつもすいてんだろっ!」
言った後、花売りは、粉々に噛み砕かれて青い砂と化したペンダントを、ぶべーっと吹き出して魔法使いの顔にかけた。まん丸く開いた目からして怒っている訳ではないようだった。少し安心した魔法使いは、よく顔を拭ってから、ちょっと真面目な調子で告げた。
「よかったら僕の家でディナーを、ご馳走させていただけませんか」
「ディナーてなに!」
「晩ごはんです。昼間、市場に行ったら、珍しい食材とか結構あったので…僕の弟子が色々、凝った料理を用意してくれています…肉とか、」
「肉っ!!」
花売りの目が一瞬輝く。魔法使いは、あ。いけそう、これいけそう!その時はそう思った。

「いや…それはいけると思って当然です。誰だってそう思います。私だってそう思う」
ルシルは尋常なく細やかな人魚の形に飾り切りしたフルーツを頬張りながら口を挟んだ。
「でしょ?…ところがさ、」
ビガール海老の南エトランゼ風ムニエル・マスカドーレソース仕立て、を食べる手を止めずに、魔法使いは話を続ける。

「にく好きだよ!」
言った後花売りは、ほんの少しだけ、空気の匂いを嗅ぐように上を向いた。
うんうん、肉すきだよね、きっとそうだと思ったんだ。
だが、そう思った魔法使いの期待はあっさりと裏切られた。
「でもいかない!」
「…え?」
魔法使いは、唐突に翻った花売りの態度に困惑し、泣きそうな表情を隠すことすらできなかった。
「…どうして…?」
すると花売りは、
「だって今日蜘蛛の巣喰う日だから!あそこいって蜘蛛の巣喰うから!そんな事も知らねえのお前ッ!」
例によって訳の分からない受け答え。
急速に心がしぼんでゆき、体まで崩れ去ってしまいそうになるのを堪えて、魔法使いはかすれた声を絞り出した。
「…そ…ですか…じゃあ…仕方ないですよね……うん…わかりました…あの…ごめんね…なんか、浮かれたこと言っ…」
ああ、この人、もしかしたら、僕を嫌ってるかも知れない。どうしようキモいとか思ってたら、
魔法使いは頭に浮かんだ自らの考えに、深く傷つく。
いやいやネガティブいくない。そんな親しくもない僕なんかにいきなり一緒にごはん食べようとか言われたら困るよね普通断るよね
うん普通普通、だいじょぶしってたしってた、うん…全然、へい、き…
必死で明るく考えようとしたが、あまりうまくいかなかった。
「じゃあ…あの…おやすみなさい…お姉さん……」
やっとのこと挨拶を絞り出し、とぼとぼと立ち去る魔法使いの背中に、花売りが怒鳴った。
「おい!魔法使いッ!」
魔法使いは驚いて振り返る。
「な…なんですか?」
すっかり暗くなった崖の上に、花売りの、微かにハスキーな音色を持つ不思議な声が反響した。

「ばいばい!」


「ルシル…あれは、やっぱり、もう僕に会いたくないってことだったのかな…ううっ…何だかもうわかんない…どうしたらいいんだろ…ルシル、僕ってもしかして女の子から見て結構キモい?」
人参柄のパジャマにナイトキャップ、寝る準備は整っているのにも関わらず、いつまでも暖炉のある部屋でくよくよして寝室に行かない魔法使いに舌打ちをしながらもルシルは、ココアを手渡してやった。
「そう気を落とさないで下さい。先生は背も高いんですから堂々としてれば格好いい(はず)ですよ。いいですか、女の子の気分なんてのは秒刻みで変わるんです。その発言にもきっと大した意味はないですよ」
「そうかなぁ」
「そうですよいいから早く寝てよ灯り消せないから」

けれど、その夜魔法使いはどうしても眠ることができなかった。
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