短編/連作

□コーンフィールドゾンビ
2ページ/17ページ

ブルーノ・マックイーンがゾンビのかかしを購入した理由は単純に、安かったからだ。また、1ヶ月の試用期間が設定されており、期間中に鳥追いとして役にたたない事が判れば全額返金する補償もついていた。サニーズホームセンターは実際、小さいながらも良心的な店で、マックイーンは発電機を無償で直してもらった事もある。その店主が推薦する商品であれば買って損はない、彼はそう踏んだのだった。
ウィローヘッドタウンの畑は大半がマックイーンのものだ。とうもろこし畑の面積はそう広いものではなかったが、収穫は上々、ただ数年前からカラスの被害に悩まされていた。藁クズを詰めた人形や目玉模様の風車なども導入したが、どれもすぐ効果がなくなった。マックイーンは、ゾンビかかしがそれらよりも優秀ならば他のとうもろこし畑や、或いは麦畑にも導入したいと考えていたのだが、結論から言えば、かかしは可もなく不可もなく、といったところだった。
最初の数週間はめざましい成果をあげた。鳥たちはかかしを完全に人間だと信じて警戒していた。ところが1ヶ月も経つと鳥はゾンビにだいぶ慣れてしまった。もちろん追われれば、逃げる。しかしすぐに戻って来てとうもろこしを啄(ついば)み始める。ゾンビもすぐ反応して掴みかかるが、なにぶん動きが遅い。鳥たちはゾンビが半径80cmの範囲に近づいてくるまでとうもろこしを啄み続ける。逃げては啄み、逃げては啄みの繰り返し。マックイーンは、最終的な収穫はおそらく例年よりほんの僅か多いかどうか、という程度だろうと判断し、ゾンビかかしの追加購入を見送った。
そのため、かかしの様子を見に来る事があまりなくなったマックイーンは、レイ・キャラックが彼のかかしに何をしていたのかを、かなり長い間知らないまま過ごす事になったのである。

夏が終わる頃までには、レイ・キャラックはほぼ毎日とうもろこし畑のゾンビを見に来るようになっていた。何をする訳でもない、ただ時間の許すかぎりゾンビを眺めていただけである。町の他の住人たちはマックイーンのかかしにとっくに飽きており、わざわざ畑に足を運ぶ野次馬などレイ以外には誰もいなくなっていた。
「よう、」
レイ・キャラックは畑に来ると先ず、そう挨拶する。そうしてピュウッと口笛を鳴らす。かかしのゾンビが振り返るのを確認すると、彼はカウボーイハットのつばを軽く上げ、柵に寄りかかるように肘をつく。
「元気にしてたか」
ゾンビはほんの僅かの間、レイを見つめて首を傾げるが、すぐ鳥を追う仕事に戻る。レイがサニーズホームセンターで読んだゾンビかかしのカタログによれば、かかしたちは小脳に加工が施され、人間に襲い掛からないよう訓練されているという。人を喰おうとした瞬間に、かれらの小脳にはショックが与えられる。ゾンビかかしは反復される学習工程によってそれをよく学んでいる。とうもろこし畑のゾンビも、レイに掴み掛かって来るような事は一度もなかった。
「真面目だな」
よろめくような足取りで鳥を追いかけるゾンビの後ろ姿に、レイは以前飼っていた犬を思い出し、少し可笑しくなる。
犬の名はシングル・アイ。名前の通り片目の、誠実な犬だった。もともとは野良犬で、少年の頃のレイが拾って世話をしていたのだがレイの父親が蹴りつけたために死んでしまって、今はいない。
レイはもう一度口笛を吹いた。ゾンビは律儀にまた振り向く。首を傾げる。レイはその仕草を真似て自分も首を傾げて、クックッと笑い声を洩らした。
「なあ、もっと近くに来いよ」
そう言ったレイを、ゾンビはしばらく立ち尽くして見つめていた。真後ろで鳥がとうもろこしをむしっている。
「心配するなって。おれはそこらのガキみたく石を投げたりしないぜ。ほら、何も持ってないだろ」
レイは両手を開いて振って見せた。しかしゾンビは結局、彼に近付いてくることは無く、またそのまま踵を返して作業に戻ってしまった。
「クールだな」
クックッ、と笑ってからレイはふと、あることを思いつく。彼は足元に置いていた布袋を開くと、昼間マーケットで買った干し肉を一切れつまみ上げ、
「食う?」
ゾンビのほうへとそれを差し出した。
「毒なんか入ってないぜ。もっとも、入っていたとしてもお前は平気だろうけどな」
レイは柵から身を乗り出して肉を振ってみたが、ゾンビは無反応だった。目の前を狙って肉を投げてやっても、匂いを嗅ぎにすら来なかった。
「やっぱり干したやつは気に入らねえか…」
呟いて、レイは袋を閉じ、肩にかける。
「またな」
彼はゾンビに手を振って立ち去った。道の向こうから来た女とすれ違ったが、女はレイを避けるようにして歩いた。レイはわざと気が狂ったように一回だけ大声で笑ってみせた。女は走って逃げていった。


翌日は雨だった。
親戚の農場での牛の世話が終わるとレイ・キャラックはまたとうもろこし畑へと向かった。ずいぶんひどい雨で雷も鳴っていたが、彼は傘も差していなかった。もともと傘が嫌いなせいでもあったが、この日、レイ・キャラックは傘を邪魔に思うほど急いでいたのだ。
風に流される雨粒を正面から浴びて、彼は坂道を大股に駆け降りる。
「よう!」
レイは薄い唇を、にいっと持ち上げ、とうもろこし畑に向かって叫んだ。
「今日な!いいことを!思いついたんだ!試してもいいかい!」
雷鳴が轟き、畑の真ん中で濡れそぼっているゾンビの姿が一瞬白く照らされる。鳥は一羽も見えない。他に反応すべきものがなかったからなのか、ゾンビはレイの声に顔を上げた。しっとりと貼りついたブロンドを払いのけもせず、ゾンビはまっすぐにレイを見た。
「おいおい初めてじゃないかおれの声に反応したの…オーケーとみなすぜ」
レイ・キャラックは濡れて腕に貼りついたワークシャツの右袖を捲り上げる。そしてチャップスのポケットから小さなナイフを1本取り出し、
自らの右腕に突き立てた。
「…これだろ?」
額を伝った脂汗が雨と風に洗い流される。レイは口角を上げたまま歯を食い締め、ナイフで掻き混ぜるように腕の肉を抉り取った。ちょうど一口サイズの大きさだった。
「…お前、これが好きなんだろ?」
稲妻に視界がパシッと光った。かかしのゾンビはレイ・キャラックの差し出す肉片をじっと見ている。髪の先から水滴がしたたり落ちる。ゾンビはゆっくりと口を閉じたり開いたりした。
「遠慮するなよ…おれのおごりだぜ。それとも、手から直接食うのが怖いか?」
レイは左の利き手で思いきり、肉片を投げてやった。肉片はゾンビの足元に落ちる。雨にかき消され、音はしなかった。けえ、とも、くう、ともつかない呻き声を上げ、ゾンビはじっと肉片を見つめ、それからもう一度レイの顔を見た。
「食っていい。それはお前にやったんだ」
まるでレイの言葉を理解したかのように、ゾンビはとうもろこしの間に屈み込んだ。ぎこちない手つきで肉片を持ち上げ、
「おっ」
ぱくりと口に入れたのだった。レイ・キャラックはほとんど目を閉じるようにして、クックッ、と笑った。どこかに雷が落ちる。右腕からしたたる血液を雨に洗われるままにして、レイはゾンビが彼自身の肉を食らう姿を眺めた。ゾンビの首輪の下の、青白く細い首がゆっくりと波打ったのを見届け、
「……またな、」
レイは足早に歩きだした。カウボーイハットを深く被り直す。レイはシングル・アイの事を考えた。投げてやった干し肉を嬉しそうにくわえる小さな雑種犬で頭をいっぱいにしておかなければ、まっすぐ歩けないような気がしていた。腕の出血のせいだ、と、レイは結論付ける。これは、腕の、出血の、せいだ。
稲妻が瞬く。今度はさっきよりもずっと近い所に落雷したようだった。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ