過去拍手御礼novels3
□イヤーワームの恋
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今までそんなものを感じたことはないけれど、無言のプレッシャーというのはもしかして、こういうことを言うのかも。
いつからそんなものを使えるようになったのか、動きの素早い黒目が私の唇の間から漏れる、シャリッという爽快な音を追っている。
だけどこの私がそんなものに押し潰されるわけもなく、むしろ「ん、おいしい」とかわざとらしく言いながらまた、アイスキャンディを砕いていく。
芝生の木陰に陣取った酒樽の上で足を放り出し、じわじわ溶けるその刹那を、染み込む甘さに任せてただただ堪能。
「独り占めか?」
ガタリ、後ろから覆いかぶさった生暖かい空気が、耳元を掠めてすっと消えた。
少し斜めに顔を傾けた。視線の端を見慣れた赤が陣取っている。広くもない酒樽の円を背中合わせで分け合えば、振り向くスペースなどはない。
麦わらが風にはためく音と、少し汗ばんだ背中の熱を感じながら、シャリっと涼しげな音をさせ、また、アイスキャンディを砕いていく。
「いいでしょ、別に」
「だめだ」
「何よ、文句ある?」
アイスのことか、木陰のことか、それとも座り心地の好いとは言えないこの特等席のことなのか。
確かめるのが面倒というよりは、単に曖昧にしておきたい。そんな気分が、たまたま私の中をくるりと巡っていた。
「ずりぃ」
反対側を向いているはずなのに、やけに耳の近くに聞こえて意識がふっとそちらに向いた。サンダルを脱ぎ捨ててぶらぶらしていた足が勝手に止まる。
ある歌のワンフレーズ、思い出の一場面、夢の断片。そういうの、思いがけない瞬間に再会して、一度思い出せば頭にこびりついて離れなくなるもの。
無防備な酒樽の上の左手を、少しかさついた右手が、触れるか触れないかの柔らかさで覆っていた。
「もーらいっ!」
触れたのは、伸びかけた前髪と、右手だけ。
ーーだったのに。それなのに。それだけなのに。
アイスの表面がじわりと溶け出すのを見た瞬間、先ほどまで意識できなかった熱が一気に押し寄せて、背中にいる人の存在を鮮明にする。
生温かい熱は肌の下に染み込み、腕から肩を通り、首や耳を駆け抜けて、「曖昧」などという言葉を嘲笑う。
ああ、でも全然、不本意ではないけれど。
「……ずるいっ」
「!?」
逃げる右手を今度は私が掴まえて、あたかも盗まれたものを取り返すかのように、迫ってみた。
もう溶けてなくなっているはずの甘いものをごくりと飲み込み、彼の目が見開いた。
唇の、ほんの数ミリ手前でにこりと笑う。
「もーらいっ」
「…っ!」
触れたのは、吐息だけ。
それなのに。って顔しているけれど、不本意とは言わせないわよ。
お互いに、よくよく目を凝らせば、見えなかったものが見えてくることもあるものね。
一度意識に上ってしまうと、どうにもそれがそれだとしか思えなくなる瞬間を、人は無意識に感じているでしょう。
何度も経験するうちに、ふとした瞬間沸き起こって止められなくなっちゃうわ。
最近、それも悪くないかもね。なんて思うから、ただ身を任せるようにしているけれど、そのうち鼻歌まじりに口ずさみそうで怖いのよ。
ほら今も、BGMみたいに流れてる。そう考えれば、実はこれって、錯覚みたいなものなのかもね。
それはいつも、よくよく目を凝らせば深遠で、漆黒でなく深海なの。
飲み込まれた瞬間には、海がたそがれに染まるみたいに、辺りが淡い煌めきに包まれるのよ。
イヤーワームの恋
私の中から離れていってくれないの。
END