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□君なしではいられない
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side-Marco



「新しいナース?とても戦闘員には見えなかったけど……」


小さな口をカフェオレのカップに近づけながら、アンナはにこりと微笑んだ。

昔もこうしてよくふたりで出掛けていたことを思い出しはしたが、

今は思い出に浸れるほど穏やかな気持ちにはなれなかった。


「……エースの弟の船のクルーなんだよい」


「まぁ!エースくんには弟がいたのね!」


ナミは言葉通りこの店に来るからと、自分の店に荷物を置いて案内してくれたアンナの、

昔の面影と少しも変わらない瞳が、なんだか記憶の中の女と違うように見えた。


「……どうしてナミがここに来ると思うんだい?あいつが走ってったのは反対の方向だったろい」


「ふふ、女の勘よ」


「そうかい……ならしばらくここで待ってみるよい。女の勘ってのは当たるもんだからねい」


アンナにつられておれも窓の外に目をやった。

こんなとき、男の予想なんて少しもあてにはならない。

アンナよりナミのことを知っているはずのおれなのに、全く頼りがないものだ。



「……マルコ、女の好みが変わったわね」


長い睫毛を少し下げると、両手で包みこんだカップで鼻まで隠したアンナが徐にそう言った。


「…………そうかい?」


「えぇ、とっても意外だわ。落ち着いた大人の女性が好みだと思っていたから……活発でかわいらしくて、しかもあんなに若い子が彼女だなんて、」


妬けちゃうわ。


そう言って幼い少女のように笑った。



確かに、今まで隣にいた女はアンナのような物分かりのいい落ち着いた女だった。

この店の中みたいに、いかにも鼻腔をくすぐるような甘ったるい女。

いつでもどこでも女でいる、決しておれに逆らわない従順な女。

そういうのが楽だと思っていたし、好んでそういう女を選んでいたように思う。


………………けど、



「…………あいつにはおれがいてやらねェとだめなんだよい……」


「あら、それって妹を可愛がるお兄さんみたいね」


「…………まァ、そんなもんだよい……」


くすくす綺麗に笑うアンナから目を逸らしてコーヒーを口に含んだ。

いつからおれは、つまらない嘘をつくほど余裕のない男になったんだ。


「……噂をすればほら……」


「…………………」


アンナのその言葉に入り口を見ると、オレンジの髪がすぐに目についた。

しかしその手が後から店に踏み込んだ大きな男の手をしっかりと引いていて、

呆気にとられたおれの足は自分の席から離れてはくれなかった。


「…………いいの?とても素敵な男の子と一緒にいるけど……」


「………あいつはナミの船のクルーだよい」


「そう……まぁ私たちもたいして変わらないかしら」


何度か顔を合わせたことのある、腕の立つ剣士だ。

うちの若いクルーに見習わせたいくらい、修行熱心で感心したもんだと、サッチと話したことを覚えている。


おれの顔をチラリと見た男は、すぐにナミの後ろ姿に視線を戻した。



「……ふふ、ちょっとお兄さん?眉間に皺が寄ってるわよ?」


「………別に」


「……あら、でも見て?本当に仲良しさんなのね」


「……クルーなんだから、仲が良くていいじゃねェかよい…」


楽しげに会話しながら注文を終えたふたりは、おれたちと反対側の席に歩いていく。

ナミがさっきまで履いていた背の高い靴は、いつものサンダルに変わっていた。

ナミは席に着くまで甘えるように男の服にしがみつき、男もそれを振り払ったりしなかった。



席についた男と再び目が合って、すぐにその目が男の表情でナミに向いたとき、

胸の中の苛立ちがため息となって口から漏れた。



「……嘘をつくのが下手になったわね、マルコ」


「………………」


親密な雰囲気で言葉を交わしているふたりに釘付けとなったおれは、アンナに答える余裕もなくなっていた。

男の大きな手がナミの手を握ったとき、今度はおれの足が動かずにはいられなかった。

アンナはおれのコーヒーと自分のカフェオレを持って、黙っておれの後を着いてきた。






「よォ……そこに座れよ」


おれたちに気づいた男はわざわざ席を立ってナミの隣に座り直し、

自分が今まで座っていた向かいの席を勧めてきた。


「……悪いねい。挨拶が遅れたよい」


「こっちこそ。…あー、あんたには気づいてたんだが、なんつーか……女連れだったんで…」


チラリとアンナに目をやった男の向かいに座る。

ナミはおれになんて目もくれず、残りのドーナツをかじっている。


「ごめんなさい、私、アンナよ。昔白ひげの船に乗ってたナースなの。今はこの島で接客業をしてるけど」


「…………へェ……すげェイイ女……さすが白ひげんとこの隊長だな」


「別に、おれとアンナはそんなんじゃねェよい」


舐めるような視線をアンナに向けた男は、じとりとした目で睨むナミの肩を抱き寄せた。



「まァでも…………今この島で一番イイ女を連れてんのは、おれだがな」


挑発するような表情におれの眉がぴくりと動いた。

ナミは丸い瞳で男の横顔を見上げ、アンナは嫌な顔ひとつせず、隣でくすくすと笑っている。


「ふふ、やっぱりあなた、とっても素敵ね。もしかしてナミちゃんの恋人?すごくお似合いよ」


「あんたらもお似合いだぜ」


「あら、ありがとう」


おれが思わずアンナを見たように、否定すらしないマイペースな男に、ナミも唖然とした目を向けた。

男に軽くかわされたナミはじとりとおれを睨んでから、ふいっと顔を背けて男の皿に手を伸ばした。


「……あっ!オイ!最後の一口盗むやつがあるか!」


「うっさいわね!自分で買ってきなさいよ!」


「それだっておれが買ったやつだろ!」


「いいからもうお土産買って帰るわよ!」


「どうせそれもおれが買うんだろうがッ!」


ドーナツの取り合いをするという子供の喧嘩みたいな光景に、

隣のアンナがまた笑う。


本当だ、若くて、楽しくて、かわいらしい、

お似合いのカップルにしか見えない。


よく知っているはずのナミが、まるで知らない女に見えた。



ナミは、自分の船の男とは、いつもこんなに近い距離でいるのか……?


さっき、街でおれたちを見ていたナミも、


こんな気持ちだったのか…………?



「ナミ…………」


「………………」


立ち上がっておれの前から消えようとするナミを呼びとめた。

何も答えず軽蔑した目でおれたちを振り返ったナミに、心臓が鈍い音を立てる。


「………帰るのかよい……?」


「…………そうだけど」


このままここで別れたら、もう一生ナミの気持ちがおれに向くことがないような気がした。


「…………そうか、……なら送っていくよい……」


アンナとは別れて、せめてナミを船まで送るつもりだった。

なのに立ち上がったおれを遮るように男がナミの身体を引いた。


「その必要はねェぜ?こいつにはおれがついてっから」


あんたはそこの女と仲良くやってろよ。


そう言ってナミの手を引き歩き出した男の腕を、

おれは何を考える暇もなく掴んだ。





「………………訂正しろよい……」


「………………」


冷めた目でおれを見て、それでもナミから離れない男の腕を掴む手に、ギリリと力を込める。



「おめェ、ナミの恋人でも気取ってるつもりかよい……」


「………………」


「こいつは、……おめェの女じゃねェだろい……」


「………………」


「海賊にも、道理ってもんがあんだよい…いくら“仲間”でも、ナミとそれなりの話をしてェなら、まずはおれのところに挨拶に来いよい……」


「………………」



聞いてんのか………そう言って強引にふたりの手を引き剥がすと、

頭の中で渦を巻いていた言葉を、吐き出した。




「おれの女に気安く触んじゃねェって言ってんだよいッ……!!!」


「………………」



何が、大人だ。


つまらない嘘をつく余裕さえも、ないじゃねェか。



「………………悪ィ、アンナ…………」



席を外してくれ。そう言うとアンナはふわりと笑って立ち上がり、男の背中を押した。


「さ、あなたは私のお店でお茶しましょうか。おごってあげるわ」


「あ…?……あァ?オイ、ちょっ、ちょっとま、……」


連行される男を唖然と眺めていたナミを席につかせると、おれも向かいの席に座り直した。





「…………まだ、怒ってるかい……?」


「………………」


俯くナミの顔を覗きこむ。

少し赤くなっている瞳がたまにチラリとおれを伺うのが、子供っぽくて、

それでもおれの気持ちを少しずつ満たしていく。



「………悪かったよい……考えてみりゃ、おめェの約束の方が先だった……」


「………………」


「けどなナミ……おれはどこが目的地だろうが、本当はそんなこと……どうだっていいんだよい……」


「………………」


「海でも山でも、カフェでも、ドーナツ屋でも……本当は、どこでもいいんだ……」


「………………」


「何を食べても、誰といても、何をしても、………」


「………………」


「おめェが傍にいてくれれば、それでいいんだよい」


「………………」


「どんなに可愛い服を着て、どんなに綺麗な靴を履いてたって……」


「………………」


「それがおめェじゃねェと、おれにとってはなんの意味もねェんだよい」


「……っ、マルコ、私……」



ごめんなさい。


小さく聞こえたその声に、おれは俯くナミの頭を両手で大きく撫でた。



「……土産を買った後は、どこに行きてェんだい?」


「え……?」


「どこでもおめェの好きなところに連れてってやるよい」


「………………」


「なぁ、ナミ……」



久しぶりの、デートだもんな。



そう言って笑うと、ナミは潤んだ瞳をおれに向けて、


子供みたいに甘えた口調で、「遊園地に行きたい」と呟いた。






アンナには、


「あいつにはおれがいてやらねェとだめなんだ」


……なんて、言ったけど、




本当は、



おまえが必要なのは、おれなんだ。



おれは、おまえがいてくれないとだめなんだ。




どこにも、行くな。




いつだって、おれは、






君なしではいられない。









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