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□生は闘い
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『毎晩10時、ここに来い。妙な動きがあったらおれの方からおまえの船に出向いてやる。仲間には適当に話をつけとけ。あ?いつまで…?』
……おれが飽きるまでだ。
その言葉を思い出し、船に昇る縄梯子をぎゅっと掴む。
あれから何度か私を抱いた男は、浅く腰を埋めたソファで一服しながら「礼だ」と言って札束を差し出した。
その手を振り払って出ていく私の背中に、男の高笑いがいつまでも聴こえていた。
誰もいない夜更けの甲板を見渡す。
今日は外泊するクルーも何人かいるはずで、同じように街のホテルにでも泊まればよかったが、その考えは微塵も浮かばなかった。
帰ってきて、どうしたいと言うのだろうか。誰に、何を期待しているのだろうか。
とにかく、やりきれない気持ちを少しでも誤魔化すための気休めだった。
キッチンの電気がついていたが、その場所の主と上手く話せる余裕がないような気がして、私は迷わず浴場へ向かった。
ーー−
「…………あ、ゾロ…」
「……おまえ、帰ってたのか。てっきり島に泊まってんのかと思ったぜ」
うっすらと上気した上半身を晒したまま、梯子から顔を出した私を返り見て、ゾロは少し眉を寄せた。
「まぁね」とだけ返事をして梯子を降りようとすると、床を鳴らして近づいてきたゾロに腕を掴まれ強引に引っ張りあげられる。
相変わらずの乱暴さにあたふたしながら床に足をつけると、太い腕が腰に回ってきた。
「今から風呂だろ?洗ってやるよ」
「…っ、バカ!あんた今あがったばっかじゃない!」
「じゃあここがいいか?」
「……な、何がよ…」
「ヤろうぜ?2日もしてねェ」
「た、たった2日でしょ…!ちょ、ちょっと!」
「あ?おれァ毎日ヤりてェところを我慢してやってんだ」
「なっ、……堂々と言うなッ!このエロ助!」
「おー、エロで結構」
狭い脱衣場で逃げる私をじりじりと追い詰めて、ゾロはニヤリと悪い顔をする。
本当にバカで、自制心の欠片もないけど、いつもと変わらない無粋さにホッとした。
壁で逃げ場を塞がれた私の身体を大きく囲いながら近づくと、ゾロはいつもみたいにくしゃくしゃと鋤いた髪に顔を埋めた。
とても落ち着く心地がして、目を閉じた。
「……ちょっと、ほんとにだめよ。疲れてるの」
「……………………」
「ゾロ…?聴いてる?」
「………………おまえ…」
「……?」
ぴたりと動きを止めたまま、ゾロは私のこめかみ付近で独り言のように小さく呟いた。
「………………知らねェ男の匂いがする……」
「…………っ!」
蹴破れるほど大きな音を立てた心臓が、慌てて目の前の身体を力いっぱい押し退けた。
数歩たたらを踏んで、やりどころのない表情で唖然と私を見据えたゾロに、
一瞬にして頭が真っ白になった。
「…………………」
「…………あ、煙草……でしょ…?」
「…………………」
頭で考える暇もなく、開いた口が勝手に嘘を紡ぎ出す。
ゾロはただ黙って私と向かい合っている。
「……ここ来る前に、キッチンに寄ったから……サンジくんの煙草の匂いが、」
「コックはそんな癖のある煙草吸ってねェ」
「………………」
「……………ナミ、」
咎めるように名前を呼んで一歩私に迫ったゾロの脇をすり抜けた。
耳鳴りのような心音がうるさくて、胸の上をぎゅっと握る。
振り返ったゾロの顔も見ることができず、反対側の壁に視線をさ迷わせた。
「……さ、酒場に行ったから、きっとそこでついちゃったのね……」
「…………………」
「シャワー、浴びて……落とさないと……」
「…………………」
「…………………」
すたすたと棚に向かって準備をしだした私に、
これ以上触れないで。そんな空気を感じ取ったのか、ゾロが一度壁にもたれて苛立たしげに肩を上下させたのが、横目に映った。
「…………そんなのつけてくんじゃねェよ……」
…………胸くそ悪ィ。
吐き捨てるようにそう言って乱暴に刀を掴むと、ゾロは私の横を通りすぎて梯子を降りた。
すれ違い様に感じた空気には泣きたくなるような匂いが混ざっていて、
私はしばらくその場を動くことができなかった。
ーー−
翌日、夜まであまり部屋から出ずに過ごした私は時間になると昨日と同じ場所へ出掛けた。
久しぶりのまともな島とあって、朝も夜も、船にはクルーがちらほらといるだけだ。
ロビンもしばらく島を探索するようなことを言っていたから、ひとりになることができた。
いっそみんなを船に連れ戻して出港してしまおうかとも考えたが、昨日の男の言葉が気にかかる。
妙なまねをしたら、すぐわかる。つまりは、どこかに見張りでもつけているのだろうか。
裏の世界でも名の通った情報屋が拠点にしている島で、逃げ場などない。
地獄の果てまで網を張る、とはこのことだ。
「よォ……待ってたぜ、ナミ」
「…………気安く名前呼ばないで」
「何言ってる。毎晩抱き合う仲じゃねェか」
「抱き合う…ですって?バカ言わないで。弱味握って犯してるだけよ。私はこれっぽっちも望んでないわ」
「くくっ、何イライラしてんだよ?カレシにフラれたか?」
「…………死んで」
「その威勢もいつまで続くことやら」
つぶれるほど強く煙草を灰皿に押し付けると、男は力任せに私の腕を引いて唇を合わせてきた。
生ぬるい舌から逃れることもできず、ただグレーの髪の毛先とその奥にある言葉を持たない武器を虚ろな瞳に映す。
そうして二日目の長い夜は過ぎていった。