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□何が嫉妬を殺すのか
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「おれと手を組まない?」



黒いローブに半身を包み、重力を感じさせない佇まいで地面に足をつく姿が印象的だった。

湿ったようにも見える癖のない髪は、光の加減で漆黒にも白銀にも輝いて、一人の人間を別人みたいに変えてしまう。


「悪いけど、他をあたって?」

「悪い話じゃない」

「私はね、お金と自分しか信用してないの」

「信用なんていらない。おれはただ、あんたの盗みの腕が欲しいだけ」

「……私に利はあるの?」


血管の筋も凹凸もない皮膚、色味のない唇、飾り気のない指先、高くも低くもない声。

誰の指も触れていないような美しさと対称的に、世界の裏も表も見てきたような陰りのある瞳。



「あんたは、好きなときにおれを利用すればいい」



惹かれたのは、自分に少し似ていたから。きっと、それだけ。



ーー―



「どうしてあの島に?」


よく目に写していた人を視界に入れ、よく嗅いでいた香りに包まれる。そうすると、あの薄暗い地下街で、ひび割れたカップから立ち上る湯気の向こうに映した景色が広がった。

二人が足をのばすのがやっとの、決して広くはないスペース。そこに、必要なものだけを座らせて、時々夢の話をして、それに飽きたらキスをして、朝には互いを利用し合う。

大きな野望も小さな望みも、そこにぶら下がる漠然とした焦燥もあったけど、あの頃の私にとって、彼は紛れもない現実だった。



「1年前、泥棒から足を洗った。今の雇い主の依頼で、あの島に潜入中だったってわけ」

「そう……まさか、こんなところであんたに会うとは…」

「ねぇ」

「……何?」

「海賊専門の泥棒が海賊になってるなんて、…………おまえさ、馬鹿なの?」



握りしめた拳と同じくらい固くした口角を、不自然に上へ上げていく。

いけないいけない。こいつの挑発なんて、乗っているときりがない。


「……まぁ、色々あんのよ。それに、私は自分の意思でここにいるんだから」

「ふーん、随分とお気楽な奴らみたいだけど、おれがスパイだったらどうするつもり?」


コーヒーに濡れた薄い唇は、いつものように私を試す。

キッチンカウンターに預けた背中の線が、弓のようにしなやかに丸みを作った。


「あんたが私の知り合いだから信用してくれただけ。ありがたく思いなさい?それとも何?本当に東の海から私のことストーカーしてきたとか?」

「だったらどうする?」


そうね、本当にやりそうで、笑えないのよ。

にわかにたじろいだ私を見て、イクトは満足げに目を細めた。


「……たかだか私のために、あんたがそこまでするはずない」

「実際、おまえが突然姿を消してから、おれはおまえを探し回った……」



ーー殺すつもりでね。



無機質な声が鼓膜を揺らす。本当に、本気なんだから笑えない。立つ鳥跡を濁さず。いくら急な出港だったとはいえ、きっちり精算しておくべきだった。


「私に何かしたら、仲間が黙っちゃいないわよ?」

「勝手に逃げ出しといてどの口が言うわけ?おまえは本当に人の言うことが聞けないね」

「逃げたわけじゃ……だから、色々あって…」

「おれに黙っていなくなって、どういうつもり?」

「それは……そのことについては、謝る。でも、」

「でも、何?言い訳なんて聞いてやる筋合いはないよ」

「ごめん…………ただ私、」

「許さない」

「っ、イクト、」


青い瞳の奥の黒い闇、一瞬でも気を抜けば二度と自分に戻れない。そんな気がして。


「ナミーー」


掴まれた手首が、彼の体温に染まっていく。迫った首筋の辺りから漂う香りが心をじんと締め付けて、思い出したの。



ああ私、この人のことが、好きだったんだわ。




「てめェ、……いい加減にしろよ」


いつの間に現れたのか、扉の前で腕組みをしたゾロが、様子見はやめた。とでも言うようにこちらを見据えていた。



「はぁ?…………何が?」



綺麗な顔が器用にその表情を操って、相手はいつも、この男の思う壺になる。

もしかして、私もこれに騙された口なのかもしれないが、物事を客観的に見ることができるのは、残念ながら当事者ではない。

普段はこんなことで冷静さを欠いたりなどしないゾロも、あっという間に沸点まで温度を上げた。


「何が?じゃねェ。この船で勝手な真似してもらっちゃ困る」

「勝手な真似?何の話?」

「そいつに何かしてみろ。おれを含め、船の連中は黙っちゃいねェぞ」

「例えば何?…………連れ去るとか?」



仲間の自分でも恐怖を覚えるほどの威圧感を受けてなお、イクトが動揺を見せることはない。

それどころか、掴み上げられた襟口が伸びるのを気にかけて、間の抜けた独り言を呟く余裕さえある。


「てめェ、ふざけやがって……!」

「あんたとふざけたって楽しくないよ」

「てめェは次の島までの居候だ!せいぜい大人しくして、海王類の餌にされねェように気を付けることだな!」

「本当、海賊って野蛮だから嫌いだよ。あぁそうか、あんたたちのルールにのっとるなら、連れ去るよりも、……”奪う“かな?」


ガチャン!!と甲高い音をさせ、カウンターに置いてあったカップが粉々に砕けていった。

中身の黒い液体があちこちに飛び散り、染みとなって広がっていく。


「上等じゃねェか……やれるもんならやってみろ」

「後で返してとか、格好悪いこと言わないでね」

「チッ……てめェ、こいつの知り合いだかなんだか知らねェが、」

「知り合いじゃない」

「あァ?」

「おれたちは、ただの知り合いじゃないよ」


ーーね?そう目配せしてきたのが気に入らなかったのか、ゾロはもともと硬い拳をさらに硬くする。

確かに、ただの知り合いかと聞かれれば、それ以上の関係だったことは否めない。


でも、それはあくまで過去の話だ。ゾロも、それを分かっているはずなのに。


肺が焼けるような息苦しさに、私の中の癇癪玉にもヒビが入った。


「ちょっと…………こんなところで喧嘩しないで」


興がさめたのか、イクトはゾロの手を振り払って壁際のソファに座り直す。

こんな状況では、到底楽しいお喋りなんてできそうにない。


「…………あんた、ナミの男?」


「だったら何だ」と吐き捨てるゾロと私を見比べて、イクトはピエロでも見たように鼻で笑った。


「……いやァ、ナミも、男の趣味が変わったなぁと思ってね」

「そうだな。てめェみてェなひょろひょろより、幾分マシな趣味になったんじゃねェか?」

「いくらガタイが良くても、それを使えるだけの頭がないとね。脳ミソ筋肉剣士って、よく言われない?」

「あァ?!!」


例えば私だったら、こんなことにはならないわ。

ゾロの元カノが突然現れて「ゾロを奪う」と言ったって、華麗に無視してやるか、玉砕仕込むくらいのことはする。

だって今さら、ゾロが私以外の女に靡くはずがない。自信があるもの。ゾロは、私と一緒にいるのが一番幸せなんだって。


「だいたい、ナミみたいな女には、もっとイイ男がお似合いだよ」

「余計なお世話だ!部外者が口出しすんじゃねェ!」

「あんたたち部外者が、勝手にその子を拐っていったんでしょ?知ってるよね?ナミが海賊嫌いだってこと」

「ここにいることは、こいつが決めた事だ!!」

「こんなところにいて、危険な目に遇わせて、賞金首にまでして……それでナミが幸せになれるとでも思ってる?本気で?」

「それはっ……!!」

「ナミは、本当にあんたのことが好きなの?ただ単に、一緒の船に乗ってるからそうなっただけなんじゃないの?」

「……っ、てめェそれ以上口開いてみろ…!!」


ゾロの足が、踏みしめたカップの欠片をさらに細かく砕く音がした。




そうか、あんたは本当に鈍感だからーー私に愛されているという自信がないのね。






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