novels3

□あの日、貝殻に詰めたもの
1ページ/1ページ




こんなにむくれてしまった船長を初めて見るが、機嫌を損ねたのは自分なのだから、手放しでは笑えない。

むっつり胡座をかいて、見るともなく海を眺めるルフィの頬は、今にもパンッ!とはち切れそうだ。


「ルフィ……まだ怒ってるの?」

「怒ってねェ」

「じゃあこっち向いて」

「向かねェ。いそがしいんだぞ、おれは」


海だって気まぐれに波を起こしたりするのだから、17歳の少年がたまにヘソを曲げてしまうこともあるだろう。

とは言っても、夕陽も隠れようとしているこんな時分にゆらゆら釣糸を揺らす姿は「いそがしい」に程遠い。


「暇じゃなきゃ釣りなんてしないじゃない」

「あのダイアル釣って、もう一度聞くんだ」


驚いた。聞き分け以上に、諦めが悪いらしい。もしルフィが金槌じゃなかったら、あのとき迷わず海に飛び込んで、あれを拾い上げてしまっていただろう。


「……ダイアルが落っこちたところから、どれだけ船が進んでるかわかってる?」

「“落っこちた”んじゃねェ!ナミが“投げた”んだ!」

「……細かいことはいいでしょ」

「どこが細けェんだ!おまえ!全っっ然細かくねェぞ!」


ふんっと鼻をふくらませたルフィが、さも大悪党のように私を見るのは、これがなかなか面白くない。

この男に嫌われる。それは、この男以外の人間全員に嫌われるよりも、何故かとても恐ろしい気持ちになる。


「……わかった。あんたがシキに敵わないとか、シキのところで航海士をするって言ったことは謝るから。許して?ね?」

「まさかなー、ナミにあんっなこと言われるなんて、シツボーだ。夢にも思わなかったぞ、おれは」

「あれはああ言うしか仕方なかったの。不可抗力よ」

「フカヒレスープ?」

「違うッ!!高価な食べ物の名前を覚えない!!」

「謝ったってムダだ。おまえ、証拠隠滅までしたんだぞ。あーあ、いたーーく傷ついた」

「……ねぇ、ルフィ、私が悪かったわ?お願い、機嫌なおして?」


背中にぴたりとくっついて上目遣いに見上げた私を、ルフィは数秒見つめてますます口をへの字に曲げた。


「おれはサンジじゃねェから、きかねェぞー」

「そうよね、わかってるわよ、まったく……」


くるり、そっぽを向いて、水面にちゃぷちゃぷ浮きを揺らし「釣れねェなー」と呟いている。つれないのは、あんたのくせに。


「ルフィ、どうしたら許してくれる?このナミちゃんが特別サービスで、あんたの気のすむことならなんでもしてあげるわよ?」

「おう、じゃあ、最後になんて言ったか教え、」

「却下」

「……ナンデモって言わなかったか?」

「それ以外でよろしく頼むわキャプテン」


私だって悪いと思っている。結局ルフィはシキに勝ってしまったのだから、私のあれを裏切りととられても、文句は言えない。

だからこうして非も認めているし、粘り強く向き合っている。

でも、あの言葉は鈍感なルフィのためにわざわざ残したようなものなのに。

それを最後まで受け止めなかったのだから、今さら私の口から言ってやるつもりはない。


「それ以外はねェ!言えナミ!船長命令だ!」

「もう覚えてないわ?ちゃーんと聞いてなかったあんたが悪いのよ」

「シキのところに行っちまったおまえが悪いんだぞ!他のやつの航海士になるなんて、おれは認めてねェだろ!」

「……ねぇルフィ、ひとつ、訊いてもいい?」

「なんだ!?」


何もくっついてこなかった釣竿。

それを苛ついた手つきで甲板に放り投げ、私の正面に立ったルフィの背中でトレードマークが揺れている。

憤りの中に切なさを滲ませた瞳が見えた。近づいて腕をかけたその両肩は、いつの間にか逞しくなりつつある。それなのに……

そこから手を回し触れた麦わらの感触は、昔とちっとも変わらなかった。




「私の最後の言葉なんて、知らないくせに…………」



どうしてあんたは、私を助けに来たの?




ルフィが私を見るのをやめないから、真実しか宿ることのない黒を、私もずっと見つめている。

一瞬か、永遠か、波の音しか届かぬ刹那を経て、ルフィの声が紡いだ。




「ーーー当たり前だ…」




それは、どこかで聞いたことのある言葉だった。違う、いつか、感じたことのある心だ。

それ以上飾られることはなく、語られることもない。

それ以外に何もない。

それだけが、全て。



「…………ルフィ、目を閉じて。あんたが私を許してくれるような、とってもいいことしてあげる」

「んー?ホントかー?どんなにうめェ肉だって、おれは許さねェからな!」

「いいからほら、ちゃんと閉じて」


大きな瞳を素直に閉じて、難しい顔のまま佇むルフィ。

いつもより何倍も曲がった唇に、触れるだけのキスを贈った。



「…………おい、ナ、」

「あんたが、絶対、絶対、私を助けに来てくれるって…………」



信じてたーー。



顔も見ず、たったそれだけ呟いた私に、ルフィは「そっか、それならいいや」と笑ってくれた。

肩に抱きつく私を、大きな手のひらが受け止める。

なんだ、本当に、私ったら野暮なことをしてしまったみたい。

誰に何を言われようが、ルフィは当然、私のところに来てくれたのに。



「あれはもういいの。最後のメッセージも、あんたにはとっくに伝わってたみたいだし」

「んー、ま、いっか!もしまたナミがどっか行っちまったら、その時は、また助けに行くだけだ!」



考えてみれば、私なんてとっくに世界の大悪党だった。でも、だから何だというのだろう。

この男以外の人間全員に嫌われたって、たったひとりこの男が、必ず私を必要としてくれる。

ずっとずっと昔、初めて麦わら帽子の感触を知ったあの日、やっとの思いで絞り出したその言葉。

今は、迷いもなく「私と一緒に命をかけて」そう言えるようになったのだ。

もしもまた私が何かに囚われる日が来たとして、どうしようもなくなってしまったならば。

海の底から引っ張り出した貝殻を、もう一度鳴らすから。

どんなに苦しいときだって、きっとあんたには、私の声がちゃんと届くわ。




あの日、貝殻に詰めたもの





「にしてもよー、貴重なダイアルを捨てるか?普通」
「もういいじゃねェかウソップ!今日はナミの快気祝いに宴やるんだぞ!」
「へ?おまえ、もういいのか?あんなに拗ねてたのに」
「にししっ!喧嘩はおしまいだ!楽しくやろう!」
(ナミのやつ、どんなセコイ手つかったんだ?)
「なんか言った?ウソップ」
「ひっ!何も言ってません!」




END

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]