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□急旋回
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「オイ……さっさと船に上がれ……」



刺すように尖ったおれの声にぴくりと肩を震わせたナミは


恐る恐る振り返り、船縁を仰ぎ見た。



「……あんた、いたのね」


「いちゃ悪ィかよ」


「いいえ……どうせまた居眠りでもしてると思ってただけよ。…………じゃあ、ロー……」


「あァ…………」



ご丁寧に海岸まで付き添ってきた隈男に見送られながら

ナミは縄梯子をつたってのぼってくる。



「………ナミ、おまえ、どういうつもりだ……」


「どういうって……」


「ナミ」


長い刀をはさみこんだまま腕組みをしていまだにこちらを見上げている男は

おれからナミの意識を引き剥がすかのようにわざとらしいタイミングで名を呼んだ。



「……どうしたのー?ロー……」


「ナミ、今日の続きは明日の夜にでもたっぷり教えてやる……」



船で待ってる……



上から睨み下ろすおれを挑発するように笑みをつくり、小首をかしげた男は

ナミの返事も待たずに踵を返した。




「………」

「…………さ、サンジくんが戻ってくる前に日誌書いちゃわない…と………」

「待て」

「………」


今の隈男の発言を無かったことにして早足で去ろうとするナミの腕をがしりと捕まえる。



アホか。逃がすわけねェだろ。




「最近あいつと随分馴れ合ってるみてェじゃねェか………どういうつもりだ……」


「べ、別に馴れ合ってなんか……」


「おまえ……自分が誰の女かわかってんだろうな?」


「…………あんたよ。ちゃんとわかってる……当たり前じゃない」



だったらどうして、あんな男と……


このところ燻り続けていた黒い靄が一気に胸の辺りを覆っていく。



「……この島についてから、あの男とおまえがふたりで歩く姿を見かけたってクルーが何人もいんだよ……」


「………………」



先程から強ばりっぱなしの細い腕に

ギリッと音が鳴りそうなほど強く指を食い込ませる。



「買い物に行くっつーのも、測量に行くっつーのも……嘘だったんだな……」


「………………」



否定もせず罰の悪い表情で目を逸らす仕草と

たった今見せつけられた親密なやり取りから、

ふたりの関係を確信して、おれはこれ見よがしに舌打ちした。



「堂々と浮気とは、いい根性じゃねェか……」


「ち、ちがう!ローとはそんなんじゃ……」


「へェ……名前で呼び合うほど情がわいてんのか。本命もあっちに切り替えたか?」


「ちがうっ!……本当に、何もないの……」



困ったように見上げてくる顔は、可愛いが故にひどく憎たらしく見えて

おれは厳しい表情を崩さずにじりじりと追いつめる。



「だったらおれにも、クルーにも黙って……敵船の頭と密会してる理由をどう説明する」


「それは……」


「いくら同盟を組んでいようが、相手は七武海だぞ」


「そうだけど……ローは…あいつは政府の犬なんかじゃないわ。あんただって知ってるでしょ…危険なんてな…」


「だったらおれに隠れて何をしてもいいっていうのか!?そういう問題じゃねェだろッ!!!」


「………………」


ナミはおれの怒鳴り声に身体を硬直させ、息をのんだ。

その瞳にはうっすらと涙を浮かべ、唇は微かに震えている。



「そんな顔して許されるとでも思ってんのか?……甘ェな……」


「……そんな……ほんとにちが…」


「だったら説明してみやがれ。おれが納得するように、一から十まで、今ここで、証明してみせろ」


「……だ、だから、その…………………」



それきり押し黙ってしまったところを見るといよいよ救いようがない。

それでも事実を吐かないナミに、おれは冷たい視線を向け、口元だけをつり上げる。


「今日は随分と早くから出掛けてたみてェだが、そんなにあの男に会いたかったか……」


「ちがう……」


「あちこちの男に色目つかいやがって……どうせ朝からお楽しみだったんだろ?いいご身分だな」


「……っ」



辛辣なおれの言葉に俯いてふるふると首をふるのが、

否定されれば否定されるほど……いや、たとえ潔く認めたとしたって……

ナミが自分以外の男と親密な時間を過ごしていたという事実に

真っ暗闇のような負の塊はおれの頭の先から爪先までをくまなく支配して……



「……明日の夜は何を教えてもらうって?……おれの目を見て言ってみろ……」


「………………」



ナミの腕を掴む手に意識を集中させなければ、

柔い肌をそのまま握りつぶしてしまいそうなほど

おれの頭は激しい怒りと嫉妬にさいなまれる。



「…………言えねェなら、仕方ねェよな……」


「…………ま、待って…!…どこ行くつもり!?」


下ろしたままだった縄梯子に向かうおれを、ナミは焦った様子で振り返る。



「あの男を消す」


「な……っ!」


「おまえらが何をするのかわからねェんだから致し方ねェだろ。消しときゃ何もできなくなる」


「ま、待って!やめて!!」



顔を蒼くしてすがり付いてくるナミを容赦なく払いのける。

それでも必死に服を掴んで行かせまいとするものだから

そんなにあの男が大事なのかと、おれは、

大好きでたまらないはずのか弱い手を、心を鬼にしてはたき落とす。



「放せッ!あの男を生かしたきゃ、おれを今ここで、殺してでも止めてみろ!!!」


「……そんなの……っ」


「できねェだろうがッ!!」


「…………っ、でき、な…」


「そんな覚悟もねェやつが、浮気なんてすんじゃねェッ!!」


「………………」



はたかれた手を反対の手でぎゅっと握りしめながら、

ナミはゆっくりと眉を寄せ、下げる。

今にも溢れ落ちそうな涙を我慢している健気な様子も、

大きな瞳で真っ直ぐこちらだけを見つめるいたいけな表情も、

他のいろんな魅力的な顔をどこの馬の骨ともわからない男にさえ平気で見せるのかと思うと、

今のおれにとっては憎いものでしかない。




「もうついてくんな………」


「ローを生かしたいから……止めてるんじゃない…………」


「……………あ?」



か細い声でそう言って、遠慮がちにおれの服の裾をつまんだナミ。



「それじゃあ元も子もないら、止めてるの…………」


「…………なんの話だ」



ぎゅうっと服ごと拳を握りしめて皺をつくったナミは、

真っ直ぐにおれを見て、途切れ途切れに話し始めた。



「浮気なんて、してない……ローとは会ってたけど、簡単な、怪我の処置法を教わってただけ……本当よ……ベポだって…あの、喋る熊も、傍にいたし、船の中でふたりになることなんて、なかった……」


「怪我の処置法…………?」



どうしてそんなこと……

急に脈絡のないことを言われても信じられず眉をひそめていると、

ナミはくいっと服を引っ張って必死な表情でおれを見上げる。



「あんたがっ……いつも戦闘で、いっぱい怪我するから……少しでも私が……せめて応急処置だけでもしてあげたくて……」


「………………」


「チョッパーに頼んだら……絶対あんたに喋っちゃうでしょ…?内緒でうまくなりたかったの……」


「………………」



「浮気なんてするわけない」と唇を噛み締めたナミは、

小さく震える肩を狭くしておれの胸に顔を寄せ、

斜めに大きく刻まれた鷹の目の傷にそっと手を置いた。




「こんなに大きな傷は……無理、だけど……」


「………………」


「これくらいの、小さな傷なら……私にだって……」


「………………っ」



胸や腕に残る、おれにとっては痛くも痒くもない古傷に視線を当てながら独り言のように呟くナミを

おれはたまらず抱き締めた。




「ろっ、…ローと喧嘩したら…嫌でもまた、傷が増える…………」


「……んなこと……どうだっていい…………」


「よ、よくないの…っ!私は、あんた以外の、誰がどうなっても構わないっ!だけど……っ」


「………………」




力強く締め付けるおれの腕の中で一生懸命に頭を上げて

なんとも言えない顔で眉を寄せるおれと目を合わせたナミは

うるうると瞳をうるませた切ない表情になって、ポツリと呟いた。









「あんたが痛い思いをするのは…………なんだか私、すごくいやなの…………」










その瞬間、現金にも180度向きを変え、姿を変えたのは、



胸の中を埋め尽くしていた真っ暗闇の感情。



あァそうか……



いろんな言い方も、理屈っぽい説明もできるけど、



目の前の女に無性に苛立ち、腹立ち、憎しみを抱く瞬間がやってくるのは、両価感情の裏返し。




つまり、結局、どう転ぼうとも骨の髄まで惚れている。




こいつの瞳を見つめ返せば「愛」と「憎」の背中合わせがしっくりと、腹の底に落ちてきて、




メラメラと燃え盛る炎の竜巻まっしぐらかと思われた、制御不能な嫉妬や憎しみなんてものは





厳しい言葉を吐いていたこの口の、舌の根も乾かぬうちに









愛しさの方へ、急旋回











「身体の傷よりも、おまえがおれ以外の男と馴れ合うことの方が我慢ならねェ」
「ゾロ…………」
「けど、」
「……ん?」
「おまえに手当てされるなら、怪我するのも悪くねェな」
「なっ!それじゃ本当に元も子も…!」
「うるせェ黙れ。夜はおれの傍にいろ。治療なら、おれのカラダで練習させてやる」
「……っ!」









END

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