過去拍手御礼novels
□水の上に、字を書くように
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「まるで海底に眠る神秘の宝、真珠のようだ」
「…………なにが?」
ぷかぷかちゃぷちゃぷと波間に揺れながら、ぽけっと顔を傾げるナミさんに、
「も〜う、わかってるくせに」と笑顔を向け、滑り落ちないようきゅっと浮き輪の端にしがみつく。
「ナミさんに決まってんだろ?その水着、すげェ似合ってる。眩しすぎて意識が遠退きそうになっちまった」
「当然よ」
世界一ツンデレが様になる気位の高い彼女はドーナツ型の真ん中に細くて白くてぺたんこなお腹を乗せて、ニコリとも、クスリともせず言った。
「はぁぁ、やっぱりナミさんのスタイルは完璧だなぁ」
「今さらね」
「見惚れちまうよー」
「あ、そう」
長い足を投げ出してパシャ、パシャ、と水を蹴るナミさんは、
最上級のおれの誉め言葉をいつものようにツンと澄ましたお顔で華麗にかわして眩しい日差しに大きな瞳を細めている。
「どうしてそんなにおれのことを魅了するんだい?プリンセス」
腕を伸ばし剥き出しの肩に指を這わせて水着の紐をくるくると弄んでみると、
ナミさんは事も無げにおれの手を振り払い、質問にも答えずに「暑いわー」と呟いた。
「つれない君も好きだ」
「そう、」
「けど、やっぱりちょっとはおれに誘惑されてほしいなァ」
「へぇ、」
「そうやって照れてる君もかわいいよ」
「………………」
へらりと口元を緩めたポジティブなおれに寄越された視線はじとりと湿って、「照れてないわ、バカじゃない?」とでも言っているようだ。
あぁそんな素直じゃない君も素敵さ。
「…………ねェ、そろそろおれの彼女になってよ」
「気が向いたらねー」
ナミさんと出逢ってから、何度告白をして、何度かわされたかなんて数えきれないけど
ハッキリ断られたことは一度もない。
おれの溢れんばかりのこの想いを顔色ひとつ変えずにさらりと流して、淡い色なんて一切見せず惚けた態度でおれを見る。
確かにこれだけアタックしていればただの軽い男に見えるのかもしれないが、好きだとか、付き合ってとか言うのは彼女にだけ。
冗談ではないことなんてとっくに気づいているくせに、全くとりあってくれないのは
ナミさんがただのお高い女だからではなく、おれがまだまだ胸に余るこの愛を伝えきれていないからなのだろう。
「おれはナミさんのことが本気で好きですよ」
「ふーん、」
「四六時中君のことを考えてる」
「そうなんだ、」
「この世の何よりも、愛しい存在さ。おれの全てを捧げるよ……命を懸けて一生守る」
だから、
だから早くおれを選んでよ。
「イエス」って一言、そう言って欲しいんだ。
いつになく真剣な表情で見上げる先には白い喉を反らして太陽を見つめる女神の横顔。
「はいはい、ありがとサンジくん」
興味なさげに淡々と返されて、眉を下げる。
どんなに言葉を尽くしても、そこに込められた気持ちまであっという間に波に拐われていく。
まるで口の中でしゅわっと溶ける綿あめのように、
肌寒い日和の朝露のように、
春の夜の夢のように、
君に向けるおれの想いは
一瞬にして掻き消されてしまう儚い幻みたいだ。
「おれはナミさんとふたりでいられるなら、この波の赴くままどこか遠くに流されたって構わねェ」
「…………それ、ただの遭難じゃない」
砂浜の方から聞こえるクルーたちの騒ぎ声という日常を無視して、おれはナミさんの身体を浮かべる丸い輪っかにしがみつく。
「大真面目だよ、おれはナミさんから離れるつもりなんてねェんだから。…………おれの言葉、大袈裟だなんて思わねェでくれ、本気なんだ、おれは本気で君が…………」
「知ってるわよ」
ピシャリ、遮るように呟かれた言葉に大人しく口を閉じると
既に長い睫毛を伏せて眠り姫のようにまどろみの中へ溶けようとしている彼女が
億劫そうに浮き輪の中に腰を深く埋め直した。
「ねェ、プリンセス…………ひとつ、訊いてもいいかな……?」
「…………なーに?」
よっぽど眠たいのか目を閉じたままとろんとした声でおれの言葉に応答するナミさん。
おれは浮き輪が傾かない程度に身を乗り出して、オネムなお姫様の傍に身体を寄せた。
「おれの気持ちを知ってるなら、どうして拒みも、受け入れもしてくれないんだい……?」
「……………………」
そっと優しく小声で囁いたおれを
無視しているのか、それとも眠ってしまったのか……
無反応なところを見ると本当に夢の中なのかもしれない。
とことん自由奔放なレディに苦笑いして、浮き輪の縁にぺたりとつけた両腕に顎を乗せたとき、
王子様からのキスもないのに眠り姫の瞳がゆっくりと開かれた。
「あれ…………おれのキスで起こして差し上げようと思ってたのにな」
「教えてあげる」
本当の軽口を、小さいけど凛とした声色に流されておれは顔を引き締める。
教えてくれるというのはおそらくさっきの質問の答えだろう。
聞きたい気もするし、聞くのが怖い気もする。
「…………あァ、どうしてなんだい?」
ナミさんがビニールの表面に肌を擦らせながらもぞもぞとうつ伏せになるまで、
おれは浮き輪が揺れないようにしっかりと押さえた。
そして頬に貼り付かせた濡れ髪を掻き上げるなり、
揺れる海の水面に人差し指で線を描きだした彼女の行動をじっと見つめる。
「………………」
「………………」
最初は何か文字でも書いているのかと思ったが、スーっと浮かんでは波の揺れに消えてしまうそれにどうやら深い意味はないようで
拗ねた子供が砂いじりでもするみたいに無造作に繰り返される行為をしばし見つめていたら
ぴたりと指の動きを止めたナミさんが、一瞬にして消えていくその線を眺めながら呟いた。
「ずっと書き続けてほしいから、消してくの」
言葉の真意を読み取ろうと黙ってナミさんを見つめていると、射抜くような瞳が「わからない?」と訴えかけるように真っ直ぐおれを見た。
「………………それってさ、おれにずっと、何度も愛を囁かれたいから、あえていつも流してるってこと…………?」
どんな口説き文句にもいつだってポーカーフェイスだったナミさんが、おれのその一言に、うっすらと頬を染めた。
「…………あっ、あんたの気持ちがいつまで続くか、試してるのよ!私はっ!」
不貞腐れたようにそっぽを向いたって、そんなに潤んだ瞳で言われればおれの心臓は踊るように鳴り出して、
緩む口元をくっと一度歯の間に巻き込んで、愛の囁きを待っている欲張りなプリンセスに
お望み通り、極上の味を乗せた甘い響きをお届けする。
「好きですよ」
「…………へぇ、」
「大好き。何もかも、君はかわいい」
「…………そう、」
「………………ナミさん、」
「………………なに?」
チラリ、こちらに向けた真っ赤な頬に、浮き輪が揺れることも構わず身を乗り出してチュッとキスをする。
「………………愛してる」
「……………………うん」
何度掻き消されたって、何度も生まれて絶えることのないこの想い。
言葉に乗せて、瞳で示して、伝えても伝えても、足りないと言うのであれば
プリンセスの仰せのままに、何百万回でも喜んで。
君の心の中に永遠に刻まれて、消しても消しても消えなくなるまで…………
おれは、何度でも、
胸に余るこの愛を、伝えるよ。
水の上に、字を書くように
儚い幻は、いつか消えない痕になるのでしょう。
END