過去拍手御礼novels

□地獄の門番
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「おれをその気にさせて、どうするつもりだ?」





薄暗い部屋の中で、白いシーツを背景にしたローは言った。



限りなく生気を圧し殺した土のような肌色と

闇の中に膨張する純白のコントラストに、

年代物の絵画でも鑑賞しているかのような錯覚に陥る。



「どうされたいの?」


「決まってんだろ…………」



その唇は誘うように弧を描き、その瞳は舐めるように薄目を開けて上に跨がる女を眺めている。

動いているのが不思議なくらいの整列された左右対称なパーツの中から、藍の瞳がそろりと覗く。

ヒビひとつない精巧な人形か、それとも血の通った生きている人間か……

確かめるようにその頬を撫でながら、ナミは思う。


今日は珍しくこの身体を組み敷いて、焦らして煽って何もかも優位に立ったはずなのに……




「溺れさせてくれ」




どうしてだろう……試されているはずのローの言葉は呪文のようで、甘美な色の誘惑にいざなわれているのは自分の方ではないのだろうか、と。




「…………どこまで沈めてあげればいいのかしら?」




触っている間にさらさらと崩れ落ちてしまうのではないかと思うほど、現実味のないローの頬。

無論、なぞった指先には当然のごとく温もりが与えられるのだが、ナミはなぜか、それがローの発しているものではないような気さえした。



「おまえの意のままに、どこまでも…………」



色っぽい眼差しで唇を見つめられそう呟かれれば、熱を持っているのは自分の方ではないのかとも思う。

誘うように半開きのままになっているローの唇を、ナミは頬から下らせてきた指でゆっくりとなぞる。



「そんなこと言ったら、這い上がれなくなるわよ?」


「奈落の底にでも引きずり込むつもりか?」


「怖いの?私から、抜け出せなくなるのが」



ローが言葉を発する度に湿った息がナミの指先を掠める。

その現象は朝露を弾く草木のそれよりもじとりとナミの体内に染み込むようであった。

ところが視界の端で薄い皮に包まれた喉仏は「いいや……」と揺れ、

ナミは生意気なその喉元を、くつくつなんて二度と笑えないようにいっそ食いちぎってしまいたいという感覚にとらわれる。

そんな焦燥に苛まれたまま首筋に顔を埋めると、ローは両手でナミの太ももの外側を大きく撫で、悦に入ったように上擦ったため息をもらした。




「ぞくぞくする…………」



その言葉通り競り上がる欲を服越しに擦り付け、下着の際どいラインにツーッと指を這わせたローに

やはり今のこの状況を占拠しているのはあくまで自分の方なのだ、

私の匙加減ひとつでこの男を悦ばせることも、苦しませることも思いのままなのだ。

と、ナミは少しばかりの優越感を覚える。



「舐めろ……」



我慢できないのかそう言うなりローはナミの後頭部をがしりと掴んで筋ばった自分の首にきつく押し当て催促してくる。



「せっかちね」


「あァ、早いとこ楽にしてくれ」



いつもの憤然たる態度のローからは想像もつかない随分と余裕のない様子に、ナミは押し付けられた口元を緩ませた。


生地が伸びるのも構わず刺繍だらけのその手を襟にかけロー自ら晒した首元に、

ナミはゆっくりと線を描くように、柔らかくうねる舌を這わせた。

ローは「うッ」と短く唸ってナミの頭と足の付け根、それぞれに添えた手をくしゃっと握る。



「自ら地獄に落ちる道を選ぶなんて、あんたにしては愚かじゃない?」



からかうような口ぶりで濡らしたばかりの線の上にわざと吐息をかけながら挑発すると、

ローは程よく肉のついたナミの尻をぐっと手の中に収め、ゆるゆると腰を動かしながらその形が歪むくらい力強く揉みしだく。



「なァ……教えて、やるよ……」


「……なに?」



吐息と共に吐き出される声はさらりと耳に抜けるうわ言のようにも聞こえるし、邪心に満ちた激しい誘惑にも聞こえる。

そんな響きにさえ、陥れようとしているはずの自分よりも遥かに戒律を乱す罪深き趣を感じてしまうのは、

この男が正真正銘の大罪人であるからだろうか、それとも…………





「奈落の底ってのは、引きずり込んだ方も這い上がれなくなる…………」





ぴちゃっ、と吸い付いた皮膚はやはり生身の人間のそれと差異はなく、先程よりも僅かにほとばしった生温い生気を発散しているのだが、

どうしたってナミにはそれが、人間の皮をかぶった何かであるような気がしてたまらない。

欲にまみれていやらしく身体を撫で回すこの男は、盲目的なふりをした道化者かもしれない。

この男の思惑通りになることはあっても、この男が思惑通りになることなど、よくよく考えればただの一度もなかったのだ。




「……知ってるわ。だから私は、あんたを道連れにするのよ」



「それは無理な話だなァ……」




くつくつと喉を震わせながら下着の中に両手を滑り込ませたローの言葉に、一瞬にして形勢逆転を察したナミには緊張がはしる。





「どこが……違うの?あんたは私に溺れないってこと?」


「おれを引きずり込むなんて端から不可能だ。なぜならおれは、既に地獄の入り口にいるんだからな……」


「…………どういうこと?」





顔を上げ自分の唾液で濡れた唇で疑問を呟くと、ローはまるで闇の中から溶け出した冷酷漢のように瞳を細くし、

赤ずきんを食べる直前の狼のように怪しく、愉快に笑った。









「おれが地獄の門番だ」








だから、落っこちてくるのはあんたひとり。






「………………」






人を食ったような白々しい表情で首を傾げたローに

ナミは言葉を紡ぐことも忘れて目を見張り、その喉仏を今すぐ食いちぎったとて既に手遅れであることを思い知った。

大凶を引いてしまった自分が悪いのか、それともどこまでも黒であるこの男の存在自体が罪なのか、

それを考えることすら無意味なほどに、怪物的な支配力で切り回し、計り知れない畏怖の念を抱かせる、人間の皮をかぶった悪の入れ物のもとへ




ただ真っ逆さまに落ちていく、絶望感にも似た歪んだ快楽。





「あんたはおれを奈落の底へ引きずり込むつもりだったんだよなァ?……だが、どっちだと思う…………?」



「……っ、あ…ッ!」




昂る恐怖と興奮によって身体の中心から沸き立った卑猥な蜜を、ローは二本の指でたらりと掬いとる。

視線を逃さぬまま光らせた指をナミに見せつけ、ねっとりと舐め上げていく恍惚として悪意と悪戯心を張り付けた獣のような表情ときたら、

皮膚の表面から細胞のひとつひとつまでとっても鬼畜極まりない魔の塊であるのだが、

いくら自分が愚かだとわかっていても、そこが愛欲の泥沼ならばもういっそ、窒息するまで浸かってみたいと思う淫らな衝動に、







ナミはたったひとり、この世の淵から飛び降りた。











「その気にさせたのは、あんたか、おれか………………」








耳を傾ければ二度とこちらの世界には戻ってこられなくなるような悪魔の囁き。

しかし耳を塞ぐことも許されぬ魔術のように煩悩を操る言霊。

魂と一緒にぺしゃりと落っこちて溶けた理性を広い集める間もなくて、

ぺろりと差し出された燃え盛る業火と見間違うほどの真っ赤な舌に、ナミは無我夢中で自らの唇を押し当てた。





貪るようなその下でローの唇がゆっくり横に弧を張ったかと思うと、その先には重々しく清廉とした、決して開けてはいけない扉。













地獄の門を、叩くのは









あなたに溺れた私の方だった。









END

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