過去拍手御礼novels

□愛を気取るな
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「あんたにとって私ってどんな存在?」



「…………あ?」



私がローにその質問をしたのは、

7組目のカップルが仲睦まじく目の前を通りすぎたときだった。



「だから、あんたにとっての、私よ」


「……………恐ろしく俗な質問だな」



“そんなくだらねェことをおれ様に訊くなんて、おまえはバカなのか”

通訳するとそんなところだろう。

訝しげに細められた瞳には、哀れみの色さえ浮かんでいる。


「失礼ね。それをわかった上で質問してんの」


さっさと答えなさいよ。と、ベンチの影の中にあった石ころを蹴飛ばした。



「おまえはおれの女だ……」



真っ直ぐ見つめてくる瞳に思わずトキめくと、

そんな私の瞳の潤みを知ってか知らずか、ローは開いていた医学書に視線を戻した。



「…………とでも言ってほしかったか」


「……………………」


すましたその顔目掛けてぐーのパンチをお見舞いしようとしたら軽くかわされた。


む か つ く ! !


「そんなことを聞いてなんになる」


8組目のカップルが、手をつないで通りすぎて行く。



「なんになる……じゃないわよ!じゃあなんなの!?あんたと私はなんでもないのにこの『恋が成就する噴水』なんていうカップルだらけの恋愛スポットにふたりして!ベンチに座ってるっていうの!?違うでしょ!なんでもないならこんなとこ、私に誘われたからってあんたは来たがらないわよね!?えぇ?そうでしょ!?しかも海賊だってバレないようにわざわざ私服で!なのにさっきから悠々と医学書なんか読んじゃってさ!私と話する気あんの?ないの?だいたいねぇ!普段は散々『おれ以外の男と寝たら殺す』だの、『おまえはおれから逃げられねェ』だの言っておいて、じゃあ私はあんたのなんなのって聞いたらいつものらりくらりとはぐらかす!あんたの女じゃないなら私はなんなの!?この関係はなんなの!?私たちは、なんなのよーーーッ!!?」



「…………………………」



言いたいことを一気に捲し立て、ゼーハーと息を切らしながらローを睨み付けた。



「なんとか言いなさいよ!」


「……………よく喋るな」


「………………」


表情を崩さずマイペースな発言を飛ばしてくるローに、ガックリと項垂れる。

なんなんだ、この温度差は。



「ひとつだけ訂正しろ」

「…………なによ」

「他の男と寝たら殺すとは言ってねェ。バラしてホルマリン漬けにでもして傍に…」

「死んでるでしょーがそれッ!!!」


意味合いが違うなどと呟いたローは、医学書に視線を這わせながら話をするという器用な技を見せる。



「おまえがおれのなんなのか……?そんなものは、言表すに値しねェ……」


「ことあらわすにあたいしねぇーっ!!?言ったわね!?私たちの関係がなおざりだって、認めたわねーっ!!?」



そもそも愛なんて感情をこの男に期待した私がバカだったわ。

一繋ぎの大秘宝と医学にしか興味のないこの不健康夜更かし男に。



「一繋ぎの大秘宝と医学以外にも興味のあるものくらいある。それに夜更かしなんじゃねェ、朝が遅いだけだ」


「…………なんで」


「声に出てんだよ、バカ」


「………………」


ベラリとページをめくる指先は、珍しく半分ほどが服の袖で隠れている。



「愛なんて偶像だ。そこに拠り所を求めるのは不毛の極みだな」

「……なによ、また難しいこと言って適当に誤魔化す気でしょ」


向こうで若いカップルが移動販売のフランクフルトを仲良く半分こしている。

という光景を、私はじとりと見据える。


「じゃあ聞くが、おまえにとって愛とはなんだ?」


「なにって……」


温かくて新鮮で、それでいて安心できる、

だけどドキドキと胸が高鳴って、時には締め付けられるような苦しみに襲われて、

だけどまた求めてしまう……



「おまえは今、愛には喜びや悲しみ、怒り、妬み……いろんな感情が含まれていると、そう思ったはずだ」


「…………まぁ、思ったけど」


「背中合わせの意味は教えてやったよなァ?世間一般じゃ愛は憎しみと表裏一体だと言うが、それだけじゃねェんだろ?つまりは全ての感情の裏返しであって、切り離せねェもの……形も根拠もねェそんな曖昧なもんにひとつの名前を求めるな。靄みてェな不確かな代物になんて固執するだけ無駄だ」


「………………」


そもそも背中合わせの意味なんて教えてもらったかしら?

フランキーとロビンがいつもやってるあれよね?


ローの言葉を精一杯飲み込もうとしていると

ここまで言ってもわからねェのか?とでも言うように浅く息を吐いて、

彼なりに噛み砕いた説明をしてくれる。



「何かはわからねェ心の中の複雑な感情を、人は都合のいいとき、都合のいいように愛と呼ぶ。要は脳からの伝達によって感情が揺さぶられる状態はともすれば、なんでも愛とやらになり得る」


「……じゃ、じゃああんたは私に対してその、感情が揺さぶられる瞬間がないわけ?」


ローは瞳の動きを止め、考える素振りをしてみせた。



「…………ある」


「……だったらそれが愛なんじゃ…」


「だが、おまえだけじゃねェ。ベポにも、ペンギンにも、シャチにも、不本意ながらおれの感情は揺さぶられる」


「…………それはほら、仲間愛ってやつでしょ」


「じゃあその仲間愛というやつと、おまえが求める愛とやらはどうやって区別する?」


「………………」


9組目のカップルの笑い声が通りすぎた。


「親、兄弟、師、仲間、恋人……国家や自然にいたるまで、愛するという言葉は通用する。世の中の凡人共は不明瞭な感情全て、やれ愛情だの愛しさだの、愛だ愛だと抜かしやがる。だがそういう感情は個人によって価値基準も異なれば、普遍的なもんでもねェ。それを科学的な脳の働きとして説明できるやつなら山ほどいるが、情に従った言葉として表せたやつは、ただの一人もいねェんだよ。なぜだかわかるか……?」


「…………どうして?」



ローは科学的な話も好きだが、哲学的な話も好きだ。

本を読むだけでなく、頭の中で考える。それができる人だ。

ローと話をする度に、自分の考えがいかに浅いか思い知らされる。



「人の感情には、実態がねェからだ。当然だよなァ?考えてもみろ、そんな抽象的なものに名前をつけるなんざ本来それ自体がバカげてるんだよ」


「…………」


「だから、そんなもんで繋がってるおれらの関係に、名前なんて付ける必要はねェ。わかったか」



10組目のカップルが、歩調を合わせて通りすぎた。

よく見ると、ふたりの手首にはお揃いの腕時計が。



「…………わかったわよ。もういいわ……」


ローが私の望むものを与えてくれないこと。

それはよくわかった。



「まだ、続きがある」



いつの間にかこっちを見つめていたローの顔を見ることができす、俯く。


「もういいったら。私があんたのなんでもないことはよーくわかったか…」

「ひとつだけ確かなことを教えてやろう」

「………………」


私の言葉を遮ったローに眉をひそめると、それを気にするでもなくまたつらつらと喋り始める。



「そういう得体の知れねェ感情は、それを向ける対象があって初めて成立する」


「……そりゃそうでしょ、自分を愛するのだって自分が必要だもの。誰かを愛するのにも相手が必要だわ」


「だがその感情は言葉には表せねェ、形もねェ……まるで人間の肩に置かれた神の指みてェにな……つまり、」


「つまり、誰も見たことがない神秘的で、奇跡みたいなものってこと…?」


的を射てるじゃねェか。と口の端を吊り上げたローは、

目の前を元気よく走り去って行こうとした子供の頭を突然がしりと捕まえた。


「うわああ!な、なに!?おにいちゃん、顔こわっ…!」


「ちょ、ちょっとなにやってんのロー!」


不審者不審者!どう見ても凶悪犯!!


「おいガキ、キャンディを3つやる。おれの質問に答えろ」


「えっ……?ほんとぉ?」


恐怖で引きつっていた子供の顔は一瞬でキラキラな笑顔に変わった。



「愛とはなんだ?」


「愛……?うーん……よくわかんないけど……」


真顔な大人に愛とは何かと問われた子供はしばらく考えを巡らせた後、にかりと笑った。



「ママがパパに、チキンのいちばんおいしいところをあげること!それが愛だよ!」



ローはふっと笑って、その子の手にキャンディを握らせてやった。





「あんなガキでも、誰かが誰かに抱く感情で、それが単純な言葉じゃ表しきれねェ情に対する働きかけだとわかってやがる。言葉でどう表現するかより、言葉に表せねェそういう感情を、どれだけ無意識に持ち続けていけるか……それが最も必要なもんだと思わねェか?おれにとっても……おまえにとっても……」


「…………」


両親と思わしき男女のところに走り寄った子供は、そのふたりにキャンディを1つずつ差し出した。



「……どうして今日、おれがここに来たかわかるか?」


「…………私のご機嫌とり」


くくっと喉を鳴らしたローを指差した子供に、両親は僅か眉を寄せ心配そうにキャンディを眺めた。



「おれは恋愛成就なんてもちろん信じちゃいねェし、興味もねェ。おれとおまえが特別な関係だから、デートでもしてやろうと思ったわけでもねェ……」


「じゃあどうして……?」



ローは背もたれに背を預け、穏やかに笑った。




「おまえの喜ぶ顔が見たくなった……」


「……………………」


「おれは、言葉や、証や、とりとめもねェ上っ面なもんなんてどうでもいい。そんな薄っぺらいもんはとっくに海の底に捨ててきた。ただ知識を蓄えて、外から世界を見ているだけじゃ何も掴めねェと解ったからだ。もっと中をえぐってみろ、もっと切り崩し、探るんだ、ナミ……人間は、もっと深ェんだよ。どんな言葉を尽くしても表せねェ、どんな難しい本にも載ってやしねェもんを、たくさん持ってる」


「もっと……深い……」



その瞳で見ている大きな世界を


私も、知りたい。



「言葉で示せるくらいの固定観念で塗り固められた想いなら、所詮三流か、子供騙し程度、“誰にでも想像できるレベルの”ちんけなもんってことだ。世界中のどこを探しても当てはまるものがねェ自分だけの躍動こそが、人間の心理で……心の、全てだ……」


「……………………」



「例えば……」と呟いて、ローは少しだけ刺繍の見えた指先で私の髪に触れた。



「今おれは、損得感情関係なく、ただおまえの傍にいてェ…………」


「………………」



ゆっくりと髪の線を辿るその指先に、私の胸は悲しみ、怒り、喜び、ドキドキと高鳴る。



「簡潔で、無意味だが、最も難解で奇跡的な感情だ……おれから、おまえだけに向けられる、唯一無二の……な」


「………………」



目の前を、また1組カップルが通りすぎて行ったけど、何組目か数えるのを忘れていた。




「質問の答えがわかったか?」


「……あんたにとって、私がなんなのか?」



結局よくわからなかったけど、もうそんなことはどうでもいいような気がして

足元にあった石ころをベンチの影の中に隠してやった。



「あァ、よく思い返してみろよ。おれはちゃんと、一番最初に答えを言った」


「…………一番、最初……」




“ 言葉でどう表現するかより、言葉に表せねェそういう感情を、どれだけ無意識に持ち続けていけるか…… ”


“ 世界中のどこを探しても当てはまるものがねェ自分だけの躍動こそが、人間の心理で……心の、全てだ…… ”


“おまえがおれのなんなのか……?そんなものは……”





「おれにとっておまえは、言表すに値しねェ存在だと……そう、言ったはずだが……」


「………………」


「言葉で表せるようなありきたりな存在よりも、おれにとってはよほど価値のあるものだ……」


「………………」



真っ直ぐ見つめてくる瞳に目を見張る。

向こうではフランクフルトのカップルの彼氏が、最後の一口を彼女に譲っていた。



「それ以上のものが、この世のどこにある……」


「………ないわ……どこにも……」


「あァ……海の果てまで行っても誰も持ってやしねェ究極を、おれがおまえに対して抱いてる……それを言葉で表す…なんて、不毛の極みだ」



いつの間にか落ち始めた太陽を背に、3人の親子が仲良く手をつないで家路を目指す。




この世界には、言葉で表せない優しいものが


たくさん溢れている。





「……ねぇロー……」


「……なんだ?」


私は、噴水の影に隠れて半分しか見えていないその看板を指差した。



「アイス、食べたい」


私の指の示した方を見たローは、抑揚なく呟く。


「おれは別に食いたくねェ。こんな秋島で」


「私は食べたいの!あのオレンジミルクコーヒーチョコチップ!ずっと気になってたんだから!!」


子供のように駄々をこねた私に、「なんでも混ぜればいいってもんじゃねェだろ」と眉をひそめたローは、

開いていた医学書をぱたりと閉じた。




「……おれはその組み合わせに興味はねェが……まァ、おまえが食いてェんなら、付き合ってやらんでもねェな……」




そう言って立ち上がったローは、

冷えた私の指先を温めるように手首まで袖をまくり、

刺繍を露にしてこの手を引き、歩き出す。



興味はないと言いつつ、きっとどんな味がするのか気になっているはずだ。


彼がその味を気に入ったならば、最後の一口は、譲ってあげよう。



その手の温もりと、大きな後ろ姿を前にして、私は彼に気づかれないよう小さく笑った。






きっと、



本当に大切なことは



こういうことだ。










愛を気取るな










「ん……!美味しい……!」
「…………嘘つけ」
「本当よ!ローも食べる?」
「…………食う」







END

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