過去拍手御礼novels

□見せかけ天使と嘆きの悪魔
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ふわり。



冬の吐息みたいに頼りなく揺れてはあっという間に消えていく白い煙。

その姿は雪かはたまた砂糖菓子か、甘く優しい色のない色に目を細めた。



「………ったくどこ行ってやがる……」



すっかり夜も更けた甲板は音も視界もおぼろげで、

肺いっぱいに吸い込んだ煙の苦さだけが今のおれの、五感の全て。

体内に広がる黒くて鬱陶しい靄さえも、吐き出すと儚い純白に変わる一時の甘い命。



おれに、似てるな……



女部屋の電気が消えたのを横目で確認してため息をつく。

高く昇った月を見上げると痺れも切れてもう一度街を探してみようかと陸を振り返ったとき、

待ちわびたふたりの視線が港場からおれを捉えていた。



「おうサンジー!腹へったー!メシメシー!」


呑気に船の縁から甲板に降り立ったフィに舌打ちをして歩み寄る。


「ルフィ…ッ!てめェ今何時だと思ってやがる!?どこほっつき歩いてた!?ナミさんに怪我させてねェだろうな!?」


「うおっ…!?いきなり怒んなよ!」


「サンジくん、私なら大丈夫。どこも怪我してないわよ」


「ナミさん…!心配したんだよ……?」


「ごめん……疲れたから、お風呂入ってくるわね」


「え……あァ……」


駆け寄るおれの胸に手のひらを当ててから、ナミさんはスタスタと足早に甲板を後にした。


「…………キッチンに食い物あるかー?腹へっちまって…」


「てめェは待てルフィ……飯の前に話がある……」


首根っこを掴んで軽い身体を引き寄せると不満げに振り返ったその顔を見据える。


「……なんだよサンジぃ〜、おれは腹ぺこなんだぞ!早くしてくれ!」



不信な点がいくつかある。


なぜあのときこいつはナミさんを抱えて逃げる必要があった?

一緒にいたのがウソップやチョッパーならともかく、あのとき彼女の隣にいたのはおれだ。

おれやマリモと一緒にいるナミさんを普段は助けになんて来ないルフィが

わざわざあんなことするか……?


「……いいからちょっとこっち来い」


「んんーっ、なんだよ〜」



例えばそう、肩を組むようにして近づくと

こいつから女の匂いがするのもおれの疑念のひとつだ。



「ルフィてめェ……今までどこにいた?探したんだぞ……」


「あー……悪ィ悪ィ!海軍まいた後、ナミと街歩き回ってたんだよなー」


「こんな時間まで街にいたってのに、晩飯も食ってこなかったのか?」


おれの腕の下でぴくりと揺れた肩に気づかないふりをして、

ルフィとは反対側に煙草の煙を吐き出す。


「……金がもったいねェって言うからよ、ナミが」


「………ふーん、ナミさんが、ねェ……」


「………………なんだよ」



肩をぐいっと引き寄せて大きな瞳を覗きこむと、

少し息を止めて動揺を示したルフィだったが、その視線がおれから逃げることはなかった。



「…………まァ、いい……それよりナミさんを危ねェ目に遭わせてねェだろうな」

「あー、うん、それなら平気だ!おれもナミもどっこも怪我してねェ!」

「てめェのことは心配してねェよッ!」

「しろよッ!少しはッ!!」



おかしい……いや、普段通りだが、何か変だ。

最近の彼女の変化といい、こいつの行動といい……


「…おれが気にかけんのはレディだけなんだよ、バーカ」


「………ナミだけって言わねェとこがおまえらしいよなー」


棒読みしておれの腕からすり抜けようとしたルフィをがしりと捕まえる。

いつから嫌味なんて言うようになったんだ?こいつは。



「生意気言ってんな、クソガキ」


頭から落っこちそうになった帽子を手でおさえたルフィは俯き加減で低く呟いた。





「おれはもう、ガキじゃねェぞ……」


「………………」



その口元が不敵に笑っていることに気づいたときには

ルフィはおれの腕から逃れていた。


「さっ!メシメシー!」


「っ、……待てルフィ…!!」


ぴたりと足を止めて、まだなんかあんのかー?と振り向いたそいつの胸ぐらを掴む。


なんなんだ……さっきの笑みは……

含みのある言い方しやがって……!



「てめェルフィ…!ナミさんと……今まで、どこで、何をしてた!!?」


「……っ、なんだよ急に…痛ってェなァ……」


「いいからさっさと答えろッ!!!」


船の壁に叩きつけるように捻り寄って怒鳴ったおれを、

漆黒の瞳が見据える。



「……だからよ、海軍をまいた後街に…」

「あれから…船にも戻らねェナミさんとおまえを、おれは探し回ってたんだぞ!?広くもねェこの島で、外にいる人間ふたり、見つけられねェことがあるか!?」

「……………………」


普段は表情豊かなルフィの無表情がまるで知らない誰かみたいで、

月の明かりを反射したその瞳の濃度にゾッとする。

お気楽な顔ばかりを見ていたから油断した。

惚れた晴れたなんて感情とは結び付かない存在だったから。


だけど、そうだこいつは、ずっと前からナミさんを……


想い続けてる…………



「っ、正直に言えよルフィッ!!それがてめェの取り柄だろうがッ!!今までナミさんとどこにいた!?ナミさんに何をしたんだよッ!!?」




ギリリと噛まれて曲がったおれの煙草にゆらりと意識を向けたルフィは、

焦る様子も、狼狽える様子も見せずに言った。




「何もしてねェ」



「……っ!ルフィッ!!真面目に答えろッ!!」



クソッ……!

愉しそうな目ェしやがって!

嘘が下手くそなんだよ!


「だーから、何もしてねェって」

「そんな白々しい嘘が通じるとでも思ってんのか!?誤魔化さずにハッキリ言いやがれ!!」


ルフィは目を逸らすことなくおれの手を造作も無しに振り払った。



「“なんもねェから帰ってきた”……って言えば満足か?」


「………………は、」



どうして、その言葉を……



「なんかあんなら帰ってこねェ……おまえはそう思うんだろ?おれらは帰ってきたぞ……“なんもねェ”からな」


「………………」


目を見開いて立ち竦んだおれの前をルフィが通り過ぎていく。



“船に戻ってるかもしれねェ”


“なんもなけりゃ帰ってくんだろ……”


あのときの、おれの言葉を、


どうして、こいつが……



「っ、待て…ッ!!!」


「…………いい加減にしろよなァ!おれ腹へって…」


「てめェあの場にいたのか…!?ナミさんと一緒に…!!」


「……だから、なんの話してんだ」


「しらばっくれんな!!でなけりゃおれの独り言なんて知ってるはずがねェだろッ!!あの場にいて、どうして姿を見せねェ!?おれに隠れて何してやがった!!?」


抵抗もせず胸ぐらを掴まれたままおれを見上げたルフィは、

敵と対峙するときのようにニヤリと笑った。




「…………さァな」


「……っ!!てめェッ……!!」



その笑みに、最悪の予想が的中してしまったことを確信して拳を握る。



「おまえがおれを殴るんだったら、サンジ、おれもおまえを殴るぞ………」


「……っ、ナミさんに、何をしたのか…そいつが言えねェようなことなら容赦しねェ……ルフィてめェ……仲間の女に手ェ出すってのがどういうことか……わかってんのか……」


「ふーん、ナミはおまえの女だったんだな……」



今知った。



「……〜ッ!!」



飄々と瞬きする様がおれの身体中の血液をボコボコと沸騰させる。

右手に力を込めて振りかぶると、冷静におれの顔を見つめたままルフィはポツリと呟いた。





「けどおれは、あいつが本気で嫌がることはしてねェぞ」


「…………っ」




どういう意味だ……



腕を引いたままその言葉を飲み込もうとフリーズしたおれから糸も簡単に距離を取って

ルフィはキッチンに繋がる階段を駆け上がった。




「やっぱりなー!おれもナミも、結局サンジに怒られんだ!」


「………………ま、て……ルフィ……」



メシだメシー!と軽快に足を鳴らして遠ざかるルフィの背中を目で追って

すっかり短くなった煙草を震える指でつまんで捨てた。


もう見た目だけが甘い純白の煙なんて吐けないで

呼吸すら黒く塗りつぶされていくように全身が闇の中に落ちていった。







ーー−−







「ナミさん…………」


「ひゃっ?!!……サンジくんっ!!」



脱衣場でタオル片手に、まだ何も身につけていない状態の彼女の背中にふらりと近づく。

びっくりするじゃない!とか、ノックくらいしなさいよ!とか、こっち来ないで!とか

何やらいろいろと声に出して慌てながら首までタオルを引き上げ身体を隠した彼女を抱きしめる。


「ちょっ……!な、なにっ!?なにしてんのサンジくん!?着替え途中なの!放して…!」


「………………ねェ」


「っ、なに……どうしたの、サンジくん……」


ナミさんの濡れた髪がおれのシャツをしっとりと湿らせる。



「きもちいいこと……しよっか……」


「……はっ、……えぇぇっ!!?」



かわいい……

こんなことで真っ赤になって動揺して……



「この前みてェにたくさんしようよ、……ね?」


「…っ!な、なに言って……サンジくん……いきなりどうしちゃったの……?」


「どうもしてねェよ。今日だって泊まる予定だったでしょ?」


「そ、そうだけど……」


「ほら、脱いで……?」


バスタオルに手をかけるとナミさんはおれから逃れようともぞもぞと身動いだ。


「っ、やっ、やだ…っ!サンジくん待って……!」

「……どうしたの?あ、恥ずかしい?だったらおれも脱ぐよ……」


ネクタイを引き抜いてシャツのボタンを開けていくおれに戸惑いながら

ナミさんは棚に置かれている自分の服に手を伸ばす。


「も、もう、だめよこんなところで……それに今日は疲れてるの。また今度にしましょう?」


後ろからナミさんの腕を引いてこちらを向かせると弱々しく抵抗を見せたので

そのまま床に身体を沈めるようにして押し倒した。



「そんなつれねェこと言わないで……気持ちよくさせるから、ね?」

「……っ、なに……酔ってるの…?」

「一滴も飲んでねェよ」

「……やだって言ってるでしょ。手を放して……そこからどいて……」

「………………」


強気な顔で睨んでくる彼女に、いつもならばもちろん従順なおれだがその声を無視して首もとに顔を埋める。


「ッ!や、やめてっ!…待ってサンジくん!!」

「ん、大丈夫……すぐに良くなるから……」

「んっ、あ……おねが、待って……!!」


おれの胸を押し退けてくる手を掴み風呂あがりの熱い肌を貪るように舐め上げる。


「ん、……はぁ……ナミさん暴れちゃだめだよ……」

「やっ……サンジくん、放して!お願いっ!待ってよ…!」

「…怖がらないで?おれに任せて……ほら、手どけて……」


両手首を頭の上で拘束してバスタオルに手をかけると

途端にナミさんの顔色が変わった。



「やッ……だめぇッ!!!」



制止を無視して剥ぎ取ると、

服の上からではわからない胸元や腹に赤い痕が散らばっていて

そこには激しい情事の後が見てとれた。



「……………………」


「…………ぁ、ちが……」


動かぬ証拠をじっと見つめて口を閉ざしたおれの下で

彼女はかつてないほどに狼狽えた。


「………………」


「……っ、あの、」


「………………」


「これは……っ、」


「黙って…………」



目を閉じて彼女の肌に顔を埋める。



「……サンジく…」


「黙って…………聞くつもりねェから…………」


何も見えないように視界を閉ざして何も聞こえないように彼女の口をふさいでしまえば、そこに感じる温もりだけが今のおれの、五感の全て。


「……っ、んっ……聞いて、サンジく……」


「ほら、もっと感じて…?かわいい声聞かせてよ……」


よくもまぁ、甘い囁きなんて出てくるものだ。

腹の中では真っ黒な煙が燻って今にも心臓が熱で溶け出してしまいそうだというのに

吐き出すと色のない一時の甘い夢になる、おれの言葉。



「……や……あぁっ!…っ、ごめ、サンジくん……ごめ…っ」



いやらしく舌と指を動かして彼女の性感帯を刺激してやれば

聞こえてきた甘い声の中で、それでも心の中のものをおれに向けようとする彼女の瞳を見つめた。




「拒まないで………」


「……っ、サンジく……」


「拒まないで……おれを…………」


「…………っ」



苦しそうに眉を下げて見上げてくる潤んだ瞳を隠すように瞼に口づける。


閻魔にでも、死神にでも
この心、くれてやる。


だからどうか、魂を捧げる代わりにおれの願いを叶えてくれ。


例えば嫉妬に狂って消えない所有の証を上塗りしていくこのおれが、


涙で揺らぐ綺麗な瞳に卑劣な悪魔として映っても


揺りかごみたいに心地の好いこの温もりだけは、


他の誰でもなく、どうかどうか、


おれに、ください。






「君はただおれに愛されてくれ………いつものように……何も、言わずに………」






彼女の心に向けて吐き出した自分の声が、まるで泣いているみたいに震えていた。










見せかけ天使と嘆きの悪魔











ふわり。



信じたものは、煙のように脆く儚い。







END

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