過去拍手御礼novels

□飴と鞭
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「…………なんか、寒くない?」


「……そうだな、冬島だ」


「そういう問題?ここ店の中だけど……」


噛み合わないわね。と緑頭の連れをちらりと見ると、

素知らぬ顔をして後方に目配せをしていた。


「あいつ……見た顔だな……」


「え…………?」


その“顔”を見て、私の思考がピシャリと凍る。

見た顔も何も、見間違うはずもない。

振り向いた先でこちらを見据える猟奇的な目の下の隈と

グラスを握る手にあしらわれた特徴的な刺繍、

どこからどう見ても、私の男だ。



「……よォ」


目が合うとゆらりと立ち上がって私たちの座るカウンター席に歩み寄ってきたローが、

呆気にとられて固まった私を、ゾロと挟んで座る。

その瞬間、グラスの汗か私の汗か、手のひらに大量の水滴がまとわりついた。



「へェ…こんなところで七武海様に会うとはなァ」

「酒場にくらい来る。召集なんてそうそうあるもんじゃねェ」

「はっ、召集されても行くかどうか怪しいもんだが…」


ヤバイヤバイヤバイヤバイ…

半月前に逢ったときも、男とふたりになるなと散々釘を刺されたばかりだ。

ゾロとふたりで飲んでいることを知られたら、

私は睨みだけで焼かれて死ぬかもしれない。

あ、その前にホルマリン漬けにされるんだっ…


「他のクルーが見当たらねェが…………あんたたちふたりか……?」


氷を溶かすようにウイスキーを回す手つきが、なんとも危ない。

早速ナイフのように核心をついてきたその質問に、

もはや目を合わせるなんてできなくて、カチコチな笑顔だけをなんとか向けた。


「い、いや、ちが…」

「そうだ。ルフィに用か?」


ぎゃああああッ!!!

さらっとなんてこと言ってくれんのゾロ!!

空気読んで!!

……って無理か。

ゾロは私たちのことを知らないんだった。



「……そういうわけじゃねェが………そうか、“ふたり”か……」



地獄の門番か魔界の帝王のそれと錯覚してしまうほどものものしい呟きにより、

私の寿命は確実に、半分ほど削除された。




「……おいナミ、飲まねェならよこせ」

「……あぁぁ、もう、……勝手にしなさいよ、あげるから…」

「あ…?ほんとに飲まねェのかよ。珍しいこともあるもんだな」


レーザービーム並みに鋭い殺気をすぐ隣に感じてしまっては、怖くて液体だって喉を通らない。

よくよく見ると店の隅っこには愛らしく手を振るベポと、帽子をおさえて笑いを堪えているペンギン。

シャチに至っては幸運を祈るようにぐっと親指を立てている。

グッドラックじゃなくて助けろってのよ!!




「……あんたたちはよくふたりで飲むのか?酒の好みが合うなら飲みがいもあるだろう……」

「好み以前にこいつと酒で渡り合えんのはおれくらいだ。宴以外で飲むときはたいがい、ふたりだろ……な?ナミ」


あ、あれだわ。

ほらほらあれよ。

ウソップの病気が感染したのよ。

「ゾロとローに挟まれて座ってはいけない病」



「そ、そんなことないんじゃない…?だいたい私はそんなにお酒なんて、ねぇ?飲まないわよ…」


カラン、カランと機嫌の悪いときのローの癖である手の動きを止めようと、

自分で自分に精一杯のフォローを入れてみる。

ウソップが「何かがヤベェセンサー」搭載なら、

私なんて「地獄まであと何メートル?メーター」搭載だ。

……ちなみにあとわずか3メートルほどだ。



「あ…?何言ってやがる。酔いつぶれたおまえを部屋まで運んでやるのは結局いつも、おれだろうが」

「へェ…………」

「ちょ、ちょっとゾロ…!」

「んだよ、この前だって自分で歩きたくねェからって『だっこ』っておれにせがんできたのはどこのどいつだ?」

「!!」

「だっこ……ねェ……」


たった今、0メートルになりました。

そしてローの手の中ではカラン、カランといつもより余計にグラスの氷が回っている。


「あ、オイ、飲むならてめェで頼め」

「ここはおれがおごる」


一気にグラスの中を空にして私の目の前に身を乗り出し瓶を掴んだローが景気よくそう言うと、

単純なゾロはすぐに目の色を変えた。


「おっ、悪ィなぁ!聞いたかよナミ、好きなだけ飲んでいいだとよ」

「………………」

「そうは言ってねェが……まァいい、飲め。たまには同盟を組んでいる海賊同士、“いろんな”話、しようぜ……?」


そう言ってわざとらしくうなじを撫でた冷たい手に、

私は血の流れさえ凍ってしまったように硬直した。


ローさん、ロー様、ロー船長、ロー殿、ロー社長、


どうかどうか、


まだ死にたくありません。


世界地図だって描けてないし、もう一度ビビに会いたいの。

札束のお風呂に入る夢だって叶ってないし、読みかけの本がある。

だいたい私が死んだら蜜柑の世話はどうするの、ルフィが海賊王になるとこだって、まだ……


やり残したことがたくさんあります。


これは浮気じゃありません。

こんな筋肉おにぎり万年寝太郎マリモマンとは、断じてなんでもありません。

どうかどうか、お願いです、


もう少し、生きてあなたの傍にいさせてください。





「どうした……?酒が進んでねェみてェだが……」


「……あ、いや私は……」


「こいつはなァ、こう見えて警戒心が強ェんだよ」


「ゾロ……あんたもそのへんにしときなさいよ」


おごりとあってか上機嫌にどんどん酒を空け出したゾロは、

ローの思惑通り、よく喋った。

そりゃもう余計なことまでペラペラと、よく喋ってくれた。


こいつ……

こいつのせいで私が死んだら、

死んだ後で化けてでも借金取り立ててやるんだから……!


「あ?まだ全然飲んでねェよ」


「そ、そうかもしれないけど、もう遅いし、そろそろかえ…」


「遠慮はいらねェ、“後悔のねェように”、好きなだけ飲め……」


まるでこれが最後の晩酌になるかのようにそう言って、

とくとくとくっと私のコップを満たしたローは



「帰すわけねェだろ」



という愛の死刑宣告を耳元で囁いて、長い腕で私の腰を撫で引き寄せた。



あぁ、短い人生だった。




「……オイ、気安く触んな……そいつは水商売の女じゃねェ。うちのクルーだぞ…」


「わッ!!」


左から強く腕を引かれ、ゾロの鍛えられた腹筋に顔面から激突した。

ほんとに乱暴なんだから!!

文句のひとつでも言ってやろうと鼻をおさえながら顔を上げると、

今にも斬りかかりそうなくらいの険しい目付きが私の先のローに向かっていた。



「………だったらなんだ……その女がどこのクルーだろうが、男と女にタブーなんてねェだろ……それともあれか?その女は、あんたの女だとでも言うのか……?」


流れる水のように綺麗なローの声には周りの空気を止めるような刺々しさが滲んでいる。



は……

早く否定して…!!

じゃないと私やゾロどころか、

この店ごと真っ二つに……!!



ゾロの腰を掴んだまま哀願するように見上げると、

パチリ、とこちらも不機嫌な目と目が合い、次の瞬間には大きな手のひらが私の頭の上から降ってきて

再び気持ちよさの欠片もない硬い腹筋に埋もれた。



「違ェ。……だが、こいつを口説こうったって無駄だ」

「……どうしてそう言える?」

「……こいつにゃ男がいるからな」

「!!」


な、なにを…!

なにを本人を目の前におっしゃって…!!

…………ってそっか、

ゾロに相手なんて教えてな…


「へェ……そりゃあ残念だ。あんた、男がいたのか……どこのどいつだ……?」


ニヤニヤと、ローの口元が三日月のようにつり上がるのが目に浮かぶ。


「どこの野郎かは…こいつが口割らねェんで知らねェが、なにしろ無愛想でなに考えてるかわからねェ変わり者らしい。おまけに血の気の多いイカれた奴で…んぐっ?!」

「わあああッ!ストップッ!あんた喋りすぎ!!」

「なるほど…イカれた……ねェ……」


ゾロの口をおさえたまま振り返ると、

鋭い目元とにこやかな口元というアンパランスな表情で、ローが私を見据えていた。


ヤバイヤバイヤバイヤバイ…

なんかヤバイとかの次元じゃない!!

なにもかもヤバイ!!!



「そんな野郎のどこがいいのか…おれにはさっぱりわからねェが……」


「も、もういいからあんた喋んないで!!」


揉み合うも、子供のように容易く私の手首を拘束して、ゾロは真面目な顔でローを見た。





「こいつは……その男に、本気で惚れてんだよ……」





一瞬、私たちの周りだけ時間が止まったように静寂に包まれた。

背中にいるローが、どんな顔をしているかはわからない。

ゾロは、やっぱり嘘なんてつけない。

ローが無愛想なのも、血の気が多いのも、イカれてるのも、

私がローに本気で惚れてるのも……


全て事実だ。




「そうか……それじゃあ、他の男が入る隙なんてねェわけか……」


「あァ、今んとこはな……だが、まだわからねェ」


「……なぜだ?」


恐怖と羞恥と怒りと混乱と

わけのわからない汗をかきながら、出す言葉も見つからずふたりの会話をただ、

他人事のように耳に入れる。

私はいったい、どうなってしまうのだろうか。



「こいつだってその男に不満がねェわけじゃねェ。その不満を埋めてくれるやつが現れたら、切り替えねェとも限らねェだろ」


「へェ……どんな不満だ……?」


「な、ないっ!ないわよ不満なんて!!全然!これっぽっちも!!完璧!完璧よ!!頭の先から爪先まで完璧な男なの!!ほんとよ!!」


違う違う、悪い冗談、こいつ酔ってるの。

とへらへらしながらローを振り返り、両手を振る。

どうしてうちの仲間はこうも、起爆スイッチを見つけるのが得意なのだろう。

お願いだからこれ以上、今にも爆発しそうなご乱心の悪魔様を煽ってくれるな。



「あ…?てめェあれだけ愚痴っといて何言ってんだよ、言ってたじゃねェか、『人前とふたりのときの態度が全然違う』って」

「!!まっ、その話は…!!」

「ほう、詳しく聞かせてもらおうか……」

「ち、ちが、ロ、」

「『外に出ると手もつないでくれないほど素っ気ない。もっとスキンシップとったり、おれの女だって見せつけてほしい』んだろうが……」

「〜〜ッ!!」


こいつの、酔ったらときの口の軽さをどうにかしなければ。

よし、チョッパーに上唇と下唇を縫ってもらおう。

それかウソップから強力接着剤でも借りて…



「…………なるほどなァ…」



既に昇天しそうな私をよそに、

涼やかな声を溢したローは、おもむろに帽子を脱ぎ去り、

回転イスごと身体をこちらに向けて、長い両手を斜め前に差し出した。





「おいで、ナミ……好きなだけ、おれに甘えるといい………」



「……!!!」



とろり、とろけるような笑みに目を見開く。

違う意味で意識が遠退きそうになり、顔に熱が集まる。



わわ……

ローが……!

あのローが……!!



「……あ?てめェ何考えて…………ま、まさか…」



ニタニタとどうしたって緩む口元に指をあて、


先ほど全身を覆いつくしていた恐怖なんてきれいさっぱり忘れて


甘いマスクで優しく微笑む恋人にゆらりと近づく私を見て


後ろでは「マジかよ…」と呟いたきり、


お喋りだったその口を、ゾロは呆気なく黙らせた。




「さみしい思いをさせて悪かった……おまえは、おれの女だ……」


「ロー…………」



その響きが嬉しくて、不安は幸福へと姿を変えた。

すとんっと細身の身体に飛び込むと、ぎゅっと強く強く私を抱きしめてくれるその両手。


このウイスキーと鉄の匂いが、


無駄な筋肉も無駄な脂肪もない締まった胸板の感触が、


決して高くはない、ローの体温が、


私は何よりも、誰よりも、


恋しかった。






「……つかまえた」


「うん………………え?」




うっとりと夢見心地で抱かれていると、頭上からぽつりと聞こえた一言に、

おそるおそる、顔を上げる。



「帰さねェと、言ったよなァ……?」


「へ…………?」



するとそこにはぎゅうっとさらに強く私を抱いて


とろとろにとろけるような笑みの中に


ナイフかと思うほど鋭い狂気の光を携えたローの瞳が、



じっと私を見つめていた。






「あとはゆっくり、おれの部屋で話を聞かせてもらおうか……」







飴と鞭








「まっ、まって!まってロー!これには訳が…!」
「言い訳は聞かねェ。とりあえずお仕置きだ」
「ひぃっ!!」
「てめェはもうおれの部屋に鎖で繋ぐ。逃げられると思うなよ?」
「い、いいいやああああッ!!」
(……無愛想で血の気が多くてイカれて……………た、確かに…)







END

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