過去拍手御礼novels3
□side-Sanji
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視界に飛び込んできたストライプのシャツは、そうだ、おれの愛用だ。
着ているのが仮にも医者と名のつく人間だからか、心なしか白衣にも見えてくる。
背後の扉をそっと閉めると、ベッドの横でふてぶてしく足を組んだそいつとちょうど睨み合うような形になった。
「………てめェオロされてェのか」
「………あ?」
「なんでてめェがナミさんたちの部屋に上がりこんでやがる……理由によっちゃただじゃおかねェぞ」
「感謝はされど恨まれる覚えはねェ。文句なら、船医に言え」
音もなく立ち上がって刀を抱えた男は、入り口に佇むおれをスルーして、ドアノブに手をかけた。
ベッドに座った彼女の視線が、高いその背を追っている。
「……オイ!話は終わってねェってんだよ…!」
「サンジくんっ、いいから…!」
ナミさんの一声が、おれの動きを制止した。
掴みかかったこの手を、冷たい刺繍の手が振り払う。
おれが後ろ手に抱えている物にちらと視線だけを移し、男は素知らぬ顔で部屋を後にした。
「…………ちっ、ムシの好かねェ野郎だぜ…」
「……もう、あんたたちはすぐ喧嘩ごしになるんだから……おかえりサンジくん」
「んナミすわんただいま〜っ!体調はもういいの?」
「…………え?」
2歩ほどで飛んできたおれに、ナミさんがかわいらしく首を傾げた。
出かける前に覗いたときよりも、顔色がだいぶ良い。
「ここんとこ天候荒れまくってたから、疲れちまったんだろうな…ちゃんと休めたかい?」
「知ってたの……?」
「ナミさんのことならなんだってわかるぜ?おれの大事なお姫様だからね…」
背中に隠していたヒースの花を、すっと差し出す。
ナミさんは瞬きを繰り返しながら、ゆっくりとそれを受け取った。
「………この花…」
「ね、かわいいだろ?ナミさんが喜ぶかなァと思ってさっ。…元気出た?」
「………………うん…」
潤んだ瞳が釘付けにされたように真っ白な花びらを、見つめている。
隙だらけの頬にキスをして頭を撫でると、ナミさんはおれの肩の上に腕を回して抱きついた。
受け止めて、倍の力で抱きしめ返す。
………病み上がりのプリンセスは、さみしがり屋さんだから。
「……ねぇ、船に人影がねェみてェだ。あいつらは?」
「みんな島に……見張り台にはチョッパーがいるわ…」
「ふーん、じゃあしばらくふたりきりでいられるね…」
息だけで囁いて、耳たぶを口に含む。
身体と頬を擦り寄せながら、前髪が触れるほど近くで見つめ合う。
おれの鼻の頭に視線を置く彼女の睫毛が、震えるように憂いて揺れた。
「…………あ、私…」
「………………」
「汗、かいちゃったから……その、シャワーあびたくて…」
角度を変えて触れようとした目の前の唇が、そう呟いた。
視線を逸らして身を引いた彼女に、後ろ髪を引かれる思いで微笑みかけた。
「……了解。じゃあおれはその間に軽いもんでもつくっておくよ」
ずっと眠っていたのなら、昼食も食いそびれたに違いない。
ホッとしたように笑ってくれたナミさんを風呂場まで送り届けて、キッチンへ向かった。
ーー−
「…………で?」
「…………あ?」
薄い身体が溶けるようにソファへ埋もれている。
勝手に持ち出した酒を飲みもせず片手に抱えた男が、柄の悪い目付きをおれに向けた。
「惚けんな。おれのいねェ隙にナミさんに何もしてねェだろうな」
「……あの女がそんなに心配なら、首輪でもつけててめェに繋げときゃいいだろう」
「おー、まったくだぜ。できることなら肌身離さず持ち歩きてェところだ。変な虫が寄ってきても蹴散らせるようにな」
「まァそれも口だけの戯れ言だな。実際そうなるとあんた、今日みてェに女漁りもできなくなる」
「あァ?漁るってのはな、うちの野生児が夜中に冷蔵庫でやることなんだよ。おれのはレディを愛する行為だバーカ」
「ハッ、食いもんが女に変わっただけだろ。よかったか?つまみ用の女は」
巨大な冷蔵庫の扉を閉めると、取り出した食材をまな板に並べて煙草に火をつけた。
向かいの男が嘲るように鼻で笑ったのをやり過ごし、袖をまくる。
「浮気じゃねェっつってんだろ……だがまァ、今日のレディはなかなかだったぜ?なんせ、」
「………………」
「……ベッドの上でよ、ナミさんそっくりな声で鳴くんだ」
「……………病気だな」
関わるのも嫌だというように、男はそっぽを向いて視界からおれを消した。
呆れ返ってため息をつく姿を気にもとめず、丁寧に食材を切っていく。
「男の嫉妬はみっともねェぜ?羨ましかったらてめェも街でレディを茶にでも誘ってみやがれ引きこもりくん」
「……あいにく、間に合ってる」
「あ、ナミさんに手ェ出したらぶっ殺すからな。ナミさん以外なら許してやる」
「……そりゃあジョークか?浮気男の口から出る台詞とは思えねェが」
酒の瓶を開ける音がした。互いに目も合わせずに、言葉だけを交わす。
よそ者がいるというだけで、よく馴染んだはずの調理場が知らない場所に思えてくる。
「男に生まれたからには、おれは全てのレディを平等に愛してさしあげる…………だがな、」
「……………………」
「…彼女がおれ以外の野郎を愛すことは、許さねェ……」
「………タチの悪ィフェミニズムだな」
…………なんとでも。
鍋に香りを閉じ込めて、煙を吐く。
誰にも理解されない博愛主義で、かまわない。
彼女だけは、特別だ。
どんなに美しいレディでも、自分だけの女にしようとは思わない。
ーーー彼女以外は。
「てめェも食うか?引きこもりくん」
「喧嘩売ってんのか…」
小さなパンにジャムを添えたトレーを片手にダイニングへ踏み込むと、
ギロリ、雪の中に見る狼のような眼で睨んだ男に、吹き出した。
わざと近い位置にトレーを置き背中を見せて椅子に座ると、小さな舌打ちまで耳に入ってくるのがおもしろ可笑しい。
「くくっ、……なァにが浮気だ。おれァ正真正銘、ナミさんだけの、プリンスだ」
「花で他の女の香を誤魔化すとは、えらく気のきいたプリンスだな」
「じゃあ聞くが、てめェ彼女に“抱きしめて”と言われて、抱きしめるだけで満足するか?」
「…………はァ?」
椅子の背もたれに肘をかけて振り向いた先で、浅黒い男の顔がわかりやすく眉間を皺にした。
「てめェだって男だろ?あんな、全身で誘惑してるようなレディに擦り寄られたら、そっちの方も我慢できねェだろうが」
「………………」
「……だぁぁッオイっ!ナミさんで邪な想像してんじゃねェ!蹴り倒すぞ!?」
「……あんたがさせたんだろう」
おれの威嚇を陰気なため息で一蹴して、男はつれない猫みたいにそっぽを向いた。
「てめェみてェなムッツリと違って、おれは紳士だからな」
「あ…?意気地無し、の聞き間違いか?あんたはあの女を満足させる自信がねェだけだ」
「ったく、…これだから繊細さの欠片もねェ野郎は嫌いなんだよ」
「この船の連中は、人をイライラさせる天才の集まりか…」
ナミさんをただのキュート美人だと思ったら、大間違い。
軽い気持ちで近づくと、大怪我するのは火を見るよりも明らかだ。
「……いいか、よく聞け陰気野郎」
「あァ?」
「彼女が求めてるもんは、もっと心の深ェところにある…」
「………………」
「てめェみてェな何の事情も知らねェ野郎がしゃしゃり出て、無闇に触れていい女性じゃねェんだよ……」
突きつけた煙草の先の火種が、灰のような瞳に赤く反射した。
男は弧を張った口元を悪戯に酒で濡らし、吐き捨てた。
「壊れやすい、とでも言いてェのか?……くだらねェ」
「てめェに彼女の何がわかる。おれたち男は、その気になりゃ簡単に握り潰せちまう……この、手で…」
大切だ、愛しい、守ってやりたい……
そう思えば思うほど、この手で全てを奪いたくなる。
いつでも熱を欲して見つめてくる彼女の瞳が、たまらない。
………目を合わせると、傷をつけてしまいそうで。
「…………矛盾してやがる」
「あァ?何が矛盾だって?おれはナミさんにのみ本気だ」
「あァ、わかったもういい。あんたのエゴには付き合いきれねェ」
「てめェが思ってる以上に、そのへんはうまくやってる。今日だって愛しのプリンセスはお疲れだ。外で晴らしてくるのも、男の甲斐性だろうがよ」
「あの女なら、生意気な口が聞けるくらい元気だったが?」
「ナミさんが生意気だと!?そういうてめェが生意気なんだよッ!口を慎め!」
グツグツといい具合に煮込まれたスープを器に移しトレーに乗せると、
ゆらり、大きな男がおれの横をすり抜けた。
「…………へェ、拒まれたか…」
あァ、これだから嫌なんだ。
ちょっと目を離した隙に、甘い蜜で厄介な虫を呼び寄せちまう姫の、無自覚さ。
「……余計なお世話だってんだよ、クソ野郎」
「あんたの服は借りて行く。おれは今夜中に船に戻る……麦わら屋に伝えておけ」
「…………オイてめェ、帰るなら今すぐ出ていけ。船をうろちょろされると迷惑だ」
「案ずるな。船医にあいつの様子を伝え終えたら、すぐに行く………」
“重症で、手のほどこしようもなかったと”
できたてのスープまで冷めてしまいそうなほど、張りつめた。
斜めに振り向いた男の勝ち気な表情に、舌打ちした。
口の端を持ち上げた横顔はまるで、微笑みの悪魔。
「…………矛盾してやがんのは、てめェの方だろ……」
どんなに取り繕ったところで、誤魔化せやしなかった。
誰ひとり、気づくことのなかった胸の穴。
もうずっと埋めることができずにいる、その隙間。
いつだって彼女の奥底に潜んでいる…
…………孤独が深い。
Continued…