過去拍手御礼novels3

□マドンナになった日
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そりゃあ私にだって、猫をかぶっているときくらいあるわよ。


可愛く見られたいとか、可愛いがられたいって思うのは、全世界共通の乙女の願いだもの。

でもね悪いけど、私ってばそんじょそこらの可愛いこちゃんとは訳が違うの。

せっかく神様が授けてくれたこの愛らしさ、愛されないともったいない。

男たちはみーんな私の魅力にひれ伏して、私のために愛を捧げなさい。

もっともっともっと、もてはやして、チヤホヤしてよ。

そのためなら、どんなイイ女だって演じてみせるから。




………………でも。


でも私、最近それが少し億劫だったりもする。


そう、あの金髪のコックさんが現れてから、


みんなの「マドンナ」でいることが、


……私はちょっとだけ、息苦しい。





「……………んん、」


「おはよう、ナミさん」


瞼と同時に持ち上げた頭が重くて、私は眉間を皺にした。

側にあったペンがコロコロと木のテーブルを転がって、その人の前までたどり着く。

くわえ煙草の金髪くんが、頬杖をついたままでれっと首を傾けた。



「……ん、サンジくん…」

「寝顔もいいけど、寝起きもかぁぁわいいなァ」


もくもくもく、ハート型の煙を連発したサンジくんは、とっても綺麗な指でつまんだペンを、私の側に置いた。

下敷きにしていたノートから身体を起こすと、咄嗟に手櫛で髪を整える。


「…………いつからそこで見てたの?」

「小一時間前くらいかな。まさに至福の一時でした」

「そんなに眠ってたのね…………じゃなくて、そんなに観賞されてたってわけね」

「たまにさ、寝言言うのがたまんねェんだよなァ」

「嘘…!?な、なによ寝言って……」

「えへへ、内緒」


知らないうちに仲間になっていたナンパ男。

サンジくんがこの船に乗って2週間、海におけるコックの重要性以外に気づいたことがひとつある。

紳士を気取っているこの男、やさしいふりをして実はかなり意地が悪い。

呆れて額に手をあてていると、紳士の皮をかぶった悪魔からは陽気な鼻歌まで飛び出した。


「…………ねぇ、暇人コックさん」

「はーいっナミすわん!」

「私の顔、跡とかついてない?」

「え?……んー…」

「………………」


煙草を灰皿に置いて狭いテーブルで身を乗り出した彼が、至近距離でまじまじと私の顔を眺めた。

顎も頬もすっと細くてシャープな輪郭、目を惹きつける金髪。

涼しげでいて力強い眼差しが、私の顔中を熟視している。

あまりの近さに戸惑いつつも、お願いした手前おとなしく黙っていると、

よく整った目の前の顔が一瞬にしてくしゃりと緩んだ。


「ん〜〜っ!かわいいっ!」

「なっ、……そうじゃなくて!」

「ついてねェよ、跡なんて」

「………………」


灰皿には溢れんばかりの吸殻。仕事の後の一服(と称した寝顔観賞)にしては長すぎる。

この男、一見わかりやすそうでいて、何を考えてるのかさっぱりわからない。

ニコニコ顔のまま席を立ったその姿を、横目に盗み見る。


「ま、跡がついててもナミさんならかわいいけどね〜!」


……もしかして、おちょくられているのだろうか、私は。


「……はいはい」

「ほんとだよ?ナミさんだったらおれ、よだれも鼾も歯ぎしりも好きになれるぜ?」

「いくらなんでも……嘘おっしゃいよ」

「つーかナミさんならなんだってかわいいし、むしろそういう隙がたまんねェ」

「確かに私はかわいいしスタイルもいいけど、たまにはかわいくない時だってあるのよ」

「いやいやそんなまさか。絶対ェありません」

「ゾロとかウソップに、あいつは魔女だって聞かなかった?」

「くそ野郎共の言うことなんざアホらしいぜ。君の心はそう、天使のように美しい」

「………………」


この男の目は随分と都合よくできている。

私の気苦労なんてテンで問題にしてないらしい。私が猫をかぶった性悪女だとは、夢にも思っていないのだろう。

めでたい妄想に心底呆れはてていると、呑気なサンジくんが振り向き様に言った。


「ミルクティでいいかい?」

「そう、それよ!その、“アイドルはかわいいものしか飲まない”みたいな思い込み!」

「え!?ブラックコーヒーとかの方がよかった!?」

「……まぁ、ミルクティでいいけど」


「だよね、ナミさんオレンジじゃなかったら紅茶だし」の的確な返しがちょっと悔しい。

本当に跡がついていないか顔を触ってみたけれど、よくわからない。


「どうぞ、おれの愛が詰まった寝起きのナミさんスペシャルです」

「ありがと。あ、上着…」

「あー、着ててくれよ。寒ィだろう?」


寝ている間にかけられていたスーツの上着を着直す。

むしろおれが着られたい!とかよくわからないことを言っているサンジくん。

私が求めていたものはそう、こういう大それたお姫様扱い。

蝶よ花よと愛でて、甘やかしてくれる、そんな男。

…………だったのに。


どうしてこんなに、虚しい気持ち。



「……あんたってさ、私のことが好きなんでしょ?」

「えへへ〜!そりゃもうおれの愛はレッドラインの壁より高ェさ!」

「何で?私が可愛いから?」

「そりゃあもちろん!世界中のどんな花だって君に嫉妬する!」

「私を連れて歩いたら、自慢だから?」

「え!?デートしてくれるの!?」

「……サンジくんは、私のことが好きなの?それとも、可愛い子を彼女にして満足したいだけ?」

「……ナミさん?」


煙草を挟んで止まった指に視線を置く。

この船に乗ってから、知ったことがひとつある。

あいつらは、私が「可愛い女の子」でいることなんて、求めなかった。

マドンナを船に乗せたんじゃない。航海士として私を選んだ。

醜いところも駄目なところも全て、ありのままを受け入れてもらえる温かさを、知ってしまった。

人は誰しも、見た目と違う狡さや浅ましさを抱えている。


「………あんた、私のことなんだと思ってるの?人形?私って飾り物かなにか?」

「ナミさんはおれのプリンセスです」

「その、プリンセスっていうの、やめてくれない?私、あんたが思ってるほど高貴でも有徳でもないし、清く正しくもない」

「………………」

「あんたは、知らないでしょうけど……」

「………………」

「……私は、あんたが理想とする清廉潔白なお姫様どころか、…まっとうな人生すら、歩んでない……」

「………………」

「純粋でも、綺麗でもない……人に言えないような悪いことも、たくさんしてきた……裏切りだって、平気でする……」

「………………」

「残念ね、知らなかったでしょ?こんな性悪女だって……」



煙草を静かに灰皿に置いたサンジくんが、何も言わずにゆっくりと、その瞳を優しい形に変えた。

見つめあった数秒間、心の声を全て聞かれてしまったような、そんな気がした。

ほかほかのミルクティで暖まっていた私の手のひらが、もっと大きな温もりに包まれる。




「知れば知るほど………君のことが好きになる…」

「っ、あんたは私のこと、何もわかってないからっ、」

「わかってる……こんなに素敵なレディは他にいねェって」

「それはあんたの思い込みで、」

「これから先の航海でどんなに純真なレディが船に乗ったって、……例えばそれが本物のお姫様だったとしてもナミさん以外、おれのプリンセスにはなり得ません」

「…………な、んでよ…」



そりゃあ私にだって、猫をかぶっているときくらいあるわよ。


卑屈で卑怯で悪魔みたいな本物は、可愛いがってもらえないもの。


せっかくの恵まれた容姿に才能、知性、チヤホヤされたって罰は当たらない。


…………私だって誰かに、愛されたっていいじゃない。



「勘違いさせちまったみてェだから、言っておくね?」


「…………なによ…」


「おれは君が、“どんな男も振り向くようなマドンナだから”、好きになったわけじゃありません」


「………………」


「“好きになったから”、…………君がおれのマドンナなんですよ」



いつだってお姫様扱いしてくれる金髪のコックさんが現れてから、


「マドンナ」でいることが 、私はちょっとだけ息苦しかった。


多くの男の憧れの的であること。もしかして私の存在価値ってそれだけで、


本物なんて、誰も愛してくれないんじゃないかって、思ってたから。



「………………ねぇ、」


「はい、プリンセス」


「………本当は、ついてるんじゃないの?跡……」


「言っただろう?ついてても可愛いって」


「……ま、まさか寝言以外にもよだれとか鼾とか歯ぎしりとか、」


「おれはねナミさん、」


「………………」


有無を言わせないハッキリとした声で、サンジくんは握った両手にぎゅっと強く力を込めた。

その瞬間、女である自分が少しだけ愛しくなる。

気取ったっていいじゃない。自分を可愛く見せて、チヤホヤもてはやされて、

わがまま言って振り回しても、こんなにキラキラと、いとおしそうな瞳で見つめてくれる人がいる。




ーーあぁきっと、マドンナも、悪くない。






「こんなに愛しい人を、全力で愛さねェともったいねェって、………思ってる」



思えば私はこの日から、彼だけのマドンナになったのかもしれない。




マドンナになった日





2年後。


「おはようナミさん」
「……ん、もう朝…?」
「寝言でおれのこと好きって言ってたよ?」
「……うそばっかり」
「嘘かどうかは、今から身体に聞いてみる?」
「ちょ、ちょっと!」
「大丈夫。朝メシまで時間あるから」
「……〜っ、もう!」




END

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