過去拍手御礼novels3

□side-Nami
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爪先に感じる痛みより、もっと確かな感触が欲しかった。


道の途中でヒールを脱ぎ捨て素足で歩いてみても、足の裏は麻痺したようにかじかんでうまくは動かない。

通りの賑やかな店の看板、羽虫の集る青の街灯、途切れることなく行き交う客引きの声、頬を掠める風の匂い、流れる時間…


全ての生命の中に、私だけが死んでいた。

どれくらい前からだろう。見知らぬ男がまとわりつくように、私に声をかけている。

身振り手振りで世話しなく口を動かす姿が、カラクリ人形みたいで滑稽だ。

そうかと思ったら、 靴のかかとを指の先にぶら下げて街の真ん中で立ち尽くす私の方が滑稽だった。


何もかもを灰色に映す瞳、全てを機械音に変えてしまう耳、人の温もりを通りすぎる皮膚。


愛、不感症。



「ーーねぇ、ねぇってば君、聞こえてるー?」

「………………」

「家ドコなの?おれが送って行ってあげるよ?……ほら、」


私の手から靴を奪うと、男は反対の手のひらを差し出した。


「………………」


この手を取れば、何かが変わるだろうか。

淋しい心は満ちるのだろうか。



“愛されや、しねェ”



深海のように冷たい色の瞳がチラついた。

世界のそこかしこに落ちているという、暖かなその光。

私が求めて止まない愛という名の温もりは、拾っても拾っても、この手のひらの隙間を溢れていく。


「大丈夫。……おれ、やさしいから…」


さぁ、ほら。


レトリックな囁きに犯されて、異分子の肌触りを確かめて、甘い味を噛みしめて、実感したい。

火よりも強い酒を飲むように、何もわからなくなるくらい、酔いしれたい。

心の空白を埋めてくれる、何かに。



「………………」



ーー痛いくらいが、丁度良い。


ーー空蝉の、夢でもいいから。




「誰の許可とって……………」


誘われるがまま持ち上げかけた手の先に、見慣れたシルエット。

瞬きする間もないうちに吹き飛んだ男の身体が、向かいの店の壁を粉々にして静かに落下した。


「…………おれの女に、言い寄ってやがる…」


「…………サンジ、くん…」


地面に落ちた靴を片方ずつ拾い集めると、サンジくんは憑かれたような殺気を消し去って振り向いた。


「ナミさん平気?変なことされなかったかい?」

「………………」

「……どうしてこんなところにいるんだい?危ねェだ……ろ…」

「………………」


心配そうに覗きこんだ目線が、私の手元でピタリと止まった。

「おれの、服…」と独り言みたいに呟くと、船底の水をかき集めるごとに、サンジくんの瞳の色が変わっていく。


「………な、んで…」

「………………」

「……いや、……いい。とりあえずここから離れよう」


ざわめき出した店の様子にそう判断した彼は、私に向けた背を屈めておぶさるよう促した。

普段ならば後ろを歩く彼の背に、私は素直に自分の身体を重ねた。

私と、私の靴と、私の背負っているもの全てを抱えて、それでも彼の足取りはしっかりしていた。

ただ、いつも温かい手のひらが血の通いを感じさせることはない。




「……聞いても、いいかい?」

「………………」

「こんな遅くに……何、してたんだい……?」


すっかり闇に溶け込んだ船が、海の上から私たちを出迎えた。

それまで一言も言葉を発することのなかった彼が、海岸をひた歩きながらそう訊ねた。


「…………サンジくんと、同じようなことよ……」


「………………そっ、か…」


足を止めて浅く呼吸をした後呟かれた声は、風に吹き消されてしまいそうなほど頼りなかった。


ーー−


足の爪の中まで綺麗に砂を拭き取ってくれたサンジくんに背を向けてベッドに横たわる。

ロビンはいつの間にか部屋から消えていた。

帰ってきた私たちの様子を見て気をつかってくれたようだったが、サンジくんとふたりきりにされるのは、いささか逆効果のようにも思われる。


「ねぇ、ナミさん……」

「……なに?」

「怒らねェの?…おれのこと」


肩に置かれた手が、こっちを向いてくれと戯れに力を入れる。

心を寄せて欲しかったのは、温もりが欲しかったから。

彼の指も、声も、眼差しも熱も、とてもやさしかったから。

彼が与えてくれる、甘いお菓子に飢えていた。

でも、埋まらない。それだけじゃ、物足りない。



「……怒ってないわよ…」

「…………どうして?」

「知ってたもの。それに、言ったでしょう?私も同じようなことしたって、」

「おれはこんなに腹が立ってるのに?」

「………………」

「ナミさんが、あいつのところにいたって知って、……おれは怒り狂いそうなのに…?」

「………………」

「おれが他の女性に触れても、ナミさんはなんとも思わねェの…?」


私の身体をまたいだ手が、ぐしゃりとシーツを握った。

何度も私に触れ、抱きしめ、交わった、大きな手。


「……あんた、言ってることがずいぶんとご都合主義ね。心得違いじゃないかしら?」

「だったらぶってくれ」

「………………」

「許してもらうより、殴ってくれた方がよっぽどいい。ナミさんは、おれが女の子と遊んでたことにムカついてるんだよね?だったら気の済むまでおれを殴って?ね?」


掴まれた手が金髪の髪を通って、私を見下ろす彼の頬に誘導された。

叩くつもりもなければ、包む気にもなれない。ただ、彼の頬に機械的に添えられた私の手。


「私、……あんたに仕返しがしたくて、ローのところに行ったわけじゃない」

「………嘘だ。ナミさんは、おれが許せなかったんだろ?だから自分も他の男と関係もって、おれを懲らしめようと思った……そうだよね?」

「違うわ……」

「嘘だっ、…ねぇ、これでおあいこだよ。本当は嫉妬したんだろう?おれに……」

「違う……」

「っ、だったら、……だったらなんで、あいつと……」

「………………」


きっかけなら、思い出せる。

無理矢理に近い強引さで奪われた……いや、違う。

彼は、「おまえを満たす」と言った。

それは、「愛している」と言われるよりも、私を満足させるものだ。



「惚れたとか、言わねェよな……?」

「サンジくん…」

「……ねぇ、おれが悪かった。これからはずーっとナミさんの傍にいる。ずっと一緒にいる。だから、」


……こっち向いてよ。


キリキリと両肩に重みをかけてシーツに貼りつけにした私を見下ろすと、彼はいつもの甘い声で囁いた。

背けた視線の先には、ソファにくたりとかけられたストライプのシャツ。



「終わりにしたいの……何もかも」


「………………」


「……こんなの、淋しいだけよ…」


「………………」


「だって私、あんたのこと…………愛してな、ッーー」


口元に強い圧迫を感じて咄嗟に見上げると、サンジくんが手のひらで私の口をふさいでいる。

長く綺麗な親指と人差し指が頬骨に食い込んで、ミシミシと音を立てた。

見上げた先の彼は、たぎるような鬼火を瞳の中に燃やしていた。



「………どうしてそんなこと、……言うんだよ…」

「んっ、……ッ、」

「……おれは君を、こんなに愛してるじゃねェか……なのになんでっ、」

「…………っ、」

「なんでっ、……なんでだよ…ッ!」



今頃になって、噛みしめる。


あの男の言う通り、私は誰も、愛してなんていなかった。



「っ、やめ、てっ、サンジくん……!」


「淋しいなら、……おれが満たしてあげるから……」


「っ、…………ッ、」



手のひらの代わりに唇で言葉を奪うと、サンジくんはその日初めて、嫌がる私を無理矢理抱いた。

彼が私の願いを聞き入れてくれなかったのは、後にも先にも、この時だけ。

部屋の隅では水を与えられたばかりの孤独の花が、密かに息をしている。



私を脱け殻にしてしまった男と再び再会することになったのは、


その花もすっかり枯れ果てた数週間後のことだった。




Continued…

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