過去拍手御礼novels3
□暇つぶしトラップ
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フリータイムと言えば聞こえはいいが、所詮おれにとっては時間の浪費に過ぎない。
航海士が嵐予報を告げたにも関わらず、船の連中はこぞって島に降り立った。
手持ち無沙汰な時間を筋トレで消費して、それでもなお時間が余る。
汗をかいた服を着替えに部屋へ戻って火のないコタツにおさまると、あまりの退屈さに、いつの間にか眠りについていた。
「ちょっとゾロ」
時も分かたず夢の中で誰かがおれを呼んだ。
その声がいつも神経を反応させる女のものだと気づいた瞬間、心臓が単調なリズムを破り、はっとして目が覚めた。
「………………あ?」
「やっと起きたわね」
船に誰も見当たらないことを不審に思ったのか、ナミは普段訪れることのない男部屋の入り口で仁王立ちしている。
起こそうとして何度も名前を呼んだのだろう。
「なんでてめェがここにいる?」の問いに、「だから、サンジくんはどこにいるのかって聞いてるの!」と、カリカリした声色で返された。
聞かれた覚えなどないのだが。
「おれ以外の連中は島に降りてるぜ?コックは買い出しかナンパじゃねェのか?」
「なんだ、あんただけなの…」
「不満かよ」
「暇だからお茶でも淹れてもらおうと思ったのに」
「てめェも買い物に行ってたんじゃねェのか?」
「言ったでしょ?午後から嵐になるわよって。もう外は本降りになってるわ。これじゃあたとえ傘持ってたとしても、しばらくは足止め食らって戻って来られないでしょうね」
「…………へェ」
言われて目を向けた小窓には、確かに途切れることなく雨粒が叩きつけていた。
風音を含んだ横なぐりの雨音が、寝起きの耳には心地よい。
首を回して起き抜けの身体を慣らすと、温度を持った血液がふわっと頭に染み込んだ。
「………コレ、あんたの趣味?」
「は?」
どれだ。そう思って見やったベッドの影で、ナミがしゃがんだまま薄っぺらい音をさせながら本のページをめくっていた。
そもそも男部屋に転がっている本なんて、たかが知れている。寝起きにも関わらずそれがどんな類いのモノなのか一瞬で理解した。
誰だ、放置したやつは。
「あんたたちこんなのにお金つかってるわけ?」
「知るかよ。変態どもと一緒にすんな」
「ふーん…」とわざとらしい相づちを打った後、何を血迷ったかナミは手にしたその本に目をやりながらこっちに歩いてきた。
そしてあろうことか『マニア倶楽部!』『美少女調教!』『巨乳水着美女、Hな誘惑』などと胡散臭い見出しが踊る雑誌を、おれのすぐ斜め前で眺め始めたではないか。
水着でポーズを決めている色白美人とやらの瞳と髪の色が、今それを目にしている女とそっくりなことに若干の怒りを覚えつつ、
驚きと戸惑いで口の中をカラカラにさせたおれを気にもとめず、ナミは独り言のように呟いた。
「へぇ、エロ本ってこうなってるのねー」
そりゃあ、普段目にすることのないであろう、男の劣情を満たすためのツールに興味がわくのもわからんでもない。
だがしかし、年頃の異性を目の前に堂々と観賞するなど、とんでもないことである。
「おまえなァ、……何やってんだ…」
「暇つぶしー」
「暇つぶしー……って…」
暇つぶしでこんなスキャンダラスな挑発をしてくるとは、さすが魔女。
どんどん過激になっていく内容に熱心とも言える眼差しをやりながら「へぇ」とか「ふーん」とか言っている呑気さには、さすがのおれも面を食らった。
「…………オイ」
「んー?なに?」
「なに?…じゃねェよ。野郎目の前によく平気でんなもん読めんな」
「だってあんただし」
「……どういう意味だ」
「うわ、すごっ」
「聞けよ……」
耳にかけた髪の一房がハラリと落ちた。本人にその気がないのはわかってる。でも、伏し目の横顔はまるで夜の憂鬱を映したみたいに艶かしくて、咄嗟にあらぬ方向を向いた。
気にかかる女とエロいネタを目と鼻の先にして落ちつきなんて保っていられる男がいるのなら、おれは弟子入りしてやってもかまわない。
「ねぇ、これってさ、出演料いくらくらいなのかしら?」
「はァ?…何興味示してやがる。出るつもりかよ」
「まさか。でも、これなら私の方がイイ身体してると思わない?」
そう言うと、ヌード写真の真似をして腰に手を当てニコリと笑ってみせた。
何を無邪気に、私の方が、だと?
…………ここにはおれとおまえのふたりきり、なんだぞ。
「……どうだかな」
「ちょっと!あんたこのナイスバディが目に入らないって言うの!?」
「そっちの女だってけっこう胸でけェぜ?」
「バカね!女はくびれよ!それに私は着痩せするの!」
「へェ、じゃあ脱いで見せてみろよ」
喉が砂漠みたいに干からびる。腹の奥がぐっと熱を燃やす。
二次元で誘う裸の女がナミの顔とリンクする。
チカチカ、チカチカ。あァ、なるほど。
羊を前にした狼ってのは、こんなに腹が空くものなのか。
「いいわよ?」
何が起こったのか、にわかには信じがたかった。
目の前であっさりと下着姿になったナミは、着ていたTシャツを放って「どう?」と強気な瞳で見つめてくる。
いつもの水着ほど色みのない、布の感触を想像させる淡い生地が生々しくて、悟られないようにゴクリと唾を飲み込んだ。
「……それじゃあわからねェ。全部脱いでその女と同じポーズとってもらわなきゃなァ?」
あくまで平然を装って揶揄するようにこぼし、後ろの壁にそっくり返った。
拳骨くらい見舞ってくれれば、都合の良いこの白昼夢から抜け出せる。
そうしなければ、理性はおれを置いてどこかへ行ってしまうだろう。
「いいわよ。やってやろうじゃない」
…………なんだと?
手を背中に回して今にも金具を外そうとしているナミ。
開ききった瞳孔に映るその映像が信じられなくて、喉のすぐそばまで興奮の震えが押し寄せて、耳元では悪魔が囁いた。
…………ここにはおれとおまえのふたりきり、なんだぞ。
誰も帰ってやこねェんだ。襲われたって、助けは来ない。
いつも頭の中でするように押し倒して従わせれば、妄想よりもきもちよくなれる。簡単だろ?
ーーヤっちまえよ。
「っ、バカやろう…!!」
「きゃ……!!」
邪心を追い払うように、理性の全てで叫んでいた。
すんでのところで掴んだか細い手首をぎゅっと握りしめる。
「おまえ…!いくら相手がおれだろうと、男の前で軽々しくそんな真似すんじゃねェ!!」
「………………」
「力じゃ敵わねェんだぞ…!もっと用心しろって言ってんだよ!!」
一瞬の沈黙の後、俯いたナミの肩が小刻みに震えた。
我にかえって手の力を緩めたところで、張り詰めた空気にはそぐわず、我慢できないというようにナミは吹き出した。
「ふ、あははっ!冗談に決まってるじゃない!何本気になってんのよ!」
「………………」
「私があんたにそんなサービスすると思った?焦っちゃって、おっかしー!」
「………………」
「もしかしてあんたって意外とウブなの?エロ本すらまともに直視できないって、どれだけ……………」
「………………」
おれと目が合うと、ナミは握られたままの腕をピクリと揺らした。
無意識に下着の胸元を守るようにして、「ゾロ…?」とこぼした声が空気に吸い込まれて消える。
…………今頃気づいたって、もう遅い。
「言ったよな……用心しろって…」
「っ、」
力を入れるとなんとも呆気なく組み敷くことができた。自分の鼓動がバカでかく耳に響いている。
両手を捻り上げられ目を丸くしたナミの身体に手を置く。熱い。
今から自分の手でこの女を支配することができるという興奮と、今ならまだ引き返せるという理性がひしめき合う。
見下ろした光景が、チカチカと目の前をうるさくさせる。
……だめだ、やめろ。
放せ、放せ、
無理矢理犯したって、満足するのは身体だけだぞ。
………………でも、
…………でも、おれは、
ーーこいつに触れたい。
「おれが、てめェとふたりきりでいて何も感じねェとでも思ったか……」
「………………」
「そんな姿見せられて、反応しねェわけねェだろ……」
「………………」
怒り、熱情、苛立ち、焦燥…
全てを消火できないまま、けたたましく警鐘を鳴らす理性とは裏腹に細い背中のホックを指でゆっくりと弾いた。
こぼれるように剥き出しになった性の象徴は確かに、他のどんな女も敵わぬほど、美しい。
ねっとり上へ上へと這わせた手から柔らかさと熱が伝って、腹の奥が痛いくらいに沸き立った。
黙ってされるがままになっているナミと目が合うと急に心臓が押し潰されて、独りでに上がっていく息を振り絞って呟いた。
「おれを、からかってやったつもりだったか……?」
「………………」
「残念だったな。てめェの望み通りにばかりはいかねェよ……」
まんまと騙した気でいただろうが、そうはいかない。
おれがこんな手段に出るなんて、思わぬ落とし穴だったろう?
腹を空かせた狼なんて、相手にするからだ。
「からかってなんか、いないわよ……」
気づけば縛り上げた手首は露ほども抵抗を見せずに投げ出されている。
ナミは、自分の身体にまとわりつくおれを、縁までまんべんなく潤ませた瞳で見つめていた。
「……あ?からかってねェならなんだってんだ……」
「気まぐれに、決まってるじゃない……」
「……あァそうだな、てめェは暇つぶしにおれを、」
「そう、暇つぶし。ただの、退屈しのぎなんだから……」
「………………」
「退屈しのぎにあんたを、………」
「………………」
「……あんたを、誘ったんだもの…」
あァ、そうか、なにもかも、おれを堕とすための罠。
最初から最後まで、こいつのてっぺんから爪の先全てに、騙された。
暇つぶしトラップ
「……じゃなきゃあんなことするわけないじゃない。…鈍感男」
「……誘われてやったんだ、おれは」
「まんまとひっかかったくせに」
「…〜っ、うるせェっ、」
END