過去拍手御礼novels3
□side-Sanji
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「麦わら屋と話をしに来た。今後の航海についてだ」
長い海上生活が続く中、その男がぬけぬけと船に上がり込んできたのは、あれから1ヶ月が経とうとしている頃だった。
笑顔で出迎えたルフィと言葉を交わす涼しい顔のそいつに、おれの足が向かう。
一歩一歩近づく度、怒りで奥歯に力が入った。
彼女は奴の姿を認めるなり、蜜柑畑へと消えた。
「オイッ…!てめェよくものこのこおれの前に現れやがったな、ロー…!!」
「……あんたに用はない。話の邪魔だ。おれは遊びに来たんじゃねェ」
「ふざけんな!!こっちに来い!落とし前つけてやる……」
「お、おいサンジ?おまえ何怒ってんだ?トラ男と喧嘩か?」
「悪ィがルフィ、このくそ野郎ちょっと借りるぜ」
襟をひっつかんで船内へ引きずると、男は忌々しげに舌打ちした。
「船長が船長なら部下も部下だな。行儀も悪けりゃ話も聞かねェ」
「人の女に手ェつけるような悪食が、礼儀作法を口にしてんじゃねェよ」
「あァ、……“そのこと”か」
見当がつかないはずのない男は、ダイニングのカウンターに寄りかかってさも愉快そうに口元をつり上げた。
壊れそうなくらい強く、灰皿に煙草を叩きつける。
くそッ、くそッ、
こんなふうに臆面のない面をして、あのときもずっと、彼女を狙っていたというのか。
「てめェナミさんに何をした!!?ロー!!」
「自分の女を寝取られた話なんざ、わざわざ聞きてェか?物好きだな」
噛みつくほどの勢いで掴みかかり睨んでも、男は鼻で笑うだけだった。
「ふざけんなッ!!あの日っ、てめェのとこから戻ってきたナミさんは…!!」
「………………」
「急に態度が変わっちまった……上の空で、何を話してもあきらめたような顔をして…」
「………………」
「ここ最近はろくに口も聞かねェ、飯も食わねェ、笑いも、しねェ…!!」
「………………」
「てめェがなんかしたに決まってんだろうが!!ロー!!ナミさんに何をした!?彼女に何を言ったんだ…!!?」
見捨てられたくない一心で、彼女の心を癒すどころか、ますます追い詰めるような真似をした。
別れるのは嫌だ、でも、彼女の望みは叶えてやりたい。あれから、どんなに言葉を尽くして心に触れようとしてみても、彼女は何も応えない。もう、どうすれば良いのか、おれにもわからなくなっていた。
喉が痺れそうなほど息を荒くするおれとは対照的に、男は殺気のひとつも寄越さずおれを見下ろす。
まるで、こうなることが全てわかっていたかのように、冷静な眼差しで。
「何もしちゃいねェ。これからのことは、あいつが自ら考え、決めることだ」
「っ、何を…決めるってんだ……てめェにそそのかされて、彼女は傷ついてんじゃねェのかよ!?」
「一生傷をつけずにいられるとでも思ってんのか?そういうてめェのあまっちょろい労りが、結果あいつを孤独に追いこんだ」
「わかったような口聞いてんじゃねェ!!!彼女の過去も育ちも知らねェ部外者が、勝手な真似しやがって!!」
「過去になんざ付き合ってやるつもりはねェ。そんなもん、あんたからあの女を奪うのに、関係ねェからな」
あのとき、この男の好奇的な気配に気づいていながら、徹底的に彼女から引き離さなかったことを悔いる。
自分たちの関係が安定しているものだと思い、甘く見ていた。
わかってる。考えているよりも、彼女はずっとずっと“独り”だ。
どんなに愛を与えても、海に浮かぶ孤舟と同じ。
波の温もりに、気づかない。
「言ったよな…………彼女は、てめェみてェな野郎が無闇に触れていい女性じゃねェと……」
「……あんたはいつも、忠告が遅ェんだよ……あのときにはもう、手遅れだ」
「悪いことは言わねェ。ひやかしなら、他をあたれ」
「………………」
「覚悟がねェなら、彼女に対する興味は捨てろ……なァ、ロー、おれの言ってる意味はわかるな?」
「覚悟だと……?」
見上げる瞳は涼しげで、おれや彼女の胸の内を解す隙間は微塵もなかった。
よそ者。その言葉が頭をよぎる。何も知らないで、
…………彼女の心を傷つける。
「彼女の人生を背負う気がねェならっ、……もうおれたちとは、関わるな……!!」
「……あいつの人生?ハッ、んな重ェもん、背負ってやるか」
「っ、だったら、」
「おれは、あいつの人生を………」
変えてやる。
強気に口の端を持ち上げて、男は矢も鉄砲も怖れない顔つきでそう言った。
目の下をひきつらせ、燃えてしまいそうな息を吐く。
納得がいかない。いくわけが、ない。
突然おれたちの前に現れた、素性もわからない新参者。興味本意に近づいて、彼女の心につけ入って、
平穏だったおれたちを……いとも簡単に、壊しやがった。
「……くそったれがッ、てめェなんかに預けられるわけがねェ!!返せよ!ナミさんを…!!」
「くくっ、男の嫉妬はみっともねェんじゃなかったか?」
「黙れッ!!彼女のことはな、おれがいちばん解ってる!!ナミさんには、おれがついててやらねェと駄目なんだよ…!!」
「そう言ってあんたは、あいつを独りにさせたんだ。いい加減その利己主義な妄執から覚めたらどうだ」
「おれはこれからもナミさんの傍にずっと居られる……気まぐれで近づくような自分勝手なてめェとは違う!彼女を支えられるのは、おれだ!!」
「だが、あんたじゃあの女は満たされねェ。おれは、あんたで埋まらねェあいつを、埋めてやれる」
「っ、んだと…!!?」
一触即発、まさに殴りかかろうと拳を固くした瞬間、景気よく部屋の扉が開いた。
「サンジー!ちょっといいかー?あ、トラ男ー!おまえに用があんだ!」
「あ?」
「おいルフィ!取り込み中だ!後にしろ!」
「喧嘩中悪ィなァ!けどよー、ナミがトラ男と話してェんだ!どーしても!」
「ちょ、ルフィ…!私そんなこと言ってないっ!!」
「なんだよ、おまえがちゃんと話せねェと終わらねェだろ!終わらねェとおれはサンジのおやつが食えねェんだぞ!」
「なっ、」
「じゃ、そういうことだ!よろしくなー!」
バタンッ。能天気な笑顔のまま手を振ったルフィは、嵐の中にナミさんを押しやって扉を閉めた。
重い沈黙が三人を包む中、目の前の男がふいに喉を鳴らした。
「へェ、……おれに話か?」
「っ、ち、ちが、」
「聞かせてみろ」
帽子の下で光る灰色の瞳に囚われ、ナミさんは顔を真っ赤にした。
瞳を潤ませて見上げる表情が、見たわけでもないふたりの情事を想像させ、胸を詰まらせる。
最後に抱いた夜、おれは彼女に、どんな顔をさせたのだろうか。
「……耳を貸す必要はねェ。こいつはおれが追い払っておくから。さ、部屋に戻ってナミさん」
「な、なにを、話してたの……?」
「たいした話じゃねェよ。君は気にしなくていい」
「で、でもっ、私のことなのよね?私のせいでこうなったんだから、ちゃんとけじめを…」
「大丈夫さ。おれがつけといてあげるから」
できるだけいつもの笑みで彼女の背中を押す。訝しげな目つきをおれに向け、男が苛立たしげに舌打ちした。
「さ、サンジくん…」
「ほら、あとで何か飲み物持っていってあげるから」
「サンジくん、私もうっ、……守られなくても、平気だから…」
「……え?」
立ち止まって振り返ったナミさんが真っ直ぐに見つめてくる。
その言葉を飲み込めずにいると、絞り出すような弱々しい言葉が続いた。
「もう、いいのよ……私に気をつかわなくて…」
「……気なんてつかって、」
「サンジくんは、やさしいから…………」
私と一緒にいるのが、辛かったでしょう?
「……………………」
何を、言っているのか。一瞬思考が停止する。辛いなんて思ったことは、一度もない。
一度も、ない。でも……
「辛いだろう」
満たされない彼女を見て、そう思わなかったことはない。
「いつも、私の傍で、苦しそうな顔してた……」
「…………そんな、こと、」
「ごめんね…………独りにさせて…」
「……………………」
ナミさんがそっと手を置いた胸の辺りに、温もりがすっと溶け込んだ。
そうだ、気づかないふりをしていたけれど、
どんなに愛を与えても、その心をすり抜ける。
いつだって孤独な彼女に寄り添うおれもまた、
ーー独りだった。
「………もう、楽になっていいのよ…」
「……………………」
「今までみたいに慰めあう関係じゃなくたって、サンジくんは私にとって……」
ずっとずっと、大切な人よ。
「…………ナミさん…」
恋よりも大切なものはないと思っていた。だって、君がおれの全てだったのだから。
これからおれは、恋よりも大きなものを手に入れることができるのだろうか。
少なくとも、これまで手放せずにいた鉛色の塊より温かいものを、目の前の彼女が与えてくれるだろう。
「ローと、話をさせて」
強い瞳を見つめ返し、いつもと同じように髪に触れた。
この人を愛したことは、決して間違いではなかったのだ。
そう確信した瞬間、心の底から彼女の幸せを願うこの手が、終わりの見えなかった頑なな扉を開けた。
Continued…