過去拍手御礼novels3
□友達以上
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好きだとか、愛してるとか口にするのは、白々しい感じがした。
わざわざ言葉にする必要もなければ、今さらそんなものを求めてもいなかった。
私には、あいつだけ。あいつには、私だけ。
ふたりにとってそれは至極当然のことで、他のクルーには見えない心の中で、互いにつながりあっている。
キスをするわけでも、触れ合うわけでもなく、陽の落ちた甲板で穏やかに酒を飲む。
周りは色気がないと言うけれど、それが私たちの逢い引きだった。
だから、航路に従って立ち寄ったなんの変鉄もない島で、ゾロが見知らぬ女をその腕に抱いているのを目にしたって、夢だと思ったくらいだ。
「………………ナミ…」
私に気づいて目をまるくしたゾロから後退り、駆け出したとき、これまでの過度な自負から、ようやく目が覚めた。
それは、遅すぎる氷解だった。
ーー−
「それでとうとう、“私の王子様はサンジくんだ”って、気づいちまったと…」
「そうは言ってないわよ。残念ながら」
パックから煙草を一本揺すり出しながら笑うサンジくんに、呆れのため息をひとつ吐いた。
「けどさ、この展開だとあいつに愛想つかしたナミさんがおれに落ちるのも時間の問題だと思わねェ?」
「生粋の女好きに落ちたって、またすぐに女関係で愛想つかすのが関の山じゃないのよ」
「そんなことねェさ、こう見えておれはナミさん一筋なんだぜ?」
「この私が二度も同じ失敗を繰り返すと思う?」
尖った唇でつれなく紅茶をすすると、サンジくんはいつもの調子で「本当なのになァ」と眉を下げた。
「けどまァ、おれにとってはチャンスに変わりねェ。ナミさんがこのままあいつと別れてくれるなら、」
「別れるも、なにも……」
別れるもなにも、私たちは付き合ってなどいないのだ。
想いが通じあっていると思っていたのは私だけで、
一緒に過ごす時間や交わす盃に、ゾロはなんの他意も持ち合わせてなどいないのだから。
「別れるもなにも…………ゾロとはただの仲間よ…」
サンジくんは驚いたように目を瞬かせ、肩をすくめた。
そして火口に光を灯すことも忘れ、私よりも細い声でぽつりと呟く。
「…………本当にそうかねェ…」
「そうよ。本当に」
だから、あいつがどこで何をしていようと、私には関係ない。
そう言おうとして、ふと入口に人の気配があることに気づき振り向いた。
「……てめェ、何してる…」
酒を片手にしたゾロが、ドアの縁に佇んで鋭い視線を私に向けていた。
夜はとっくに更けていて、いつもならばふたりで甲板にいる時間。
だけど、あんな場面を目撃して、そんな気分になれるはずもない。
「……何って。何してようが私の勝手でしょ?」
「あ?……んだよそれ。飲んじまうぞ、こいつ」
「勝手にどうぞ。あんたが何をしようとあんたの勝手よ」
ゾロはむっとした表情になって、それきり何も言わずに扉を閉めた。
「……なんで、あいつの方がイラついてるんでしょうね?」
サンジくんはやっと火を吸い点けると、持って回ったような言い種をして笑った。
本当に、無神経で呆れかえる。
むしゃくしゃしているのは、私の方だというのに。
ーー−
「…………オイ」
しばらく愚痴を聞いてもらい、サンジくんが明日の仕込みをする頃に部屋へ戻ることにした。
暗闇の中の人影には気づかないふりをして甲板を横切ろうとした私を、低い声が呼び止める。
「……まだいたの?」
「てめェこそ、まだコックと無駄話してたのか」
「あんたと今ここで話してる方が無駄よ。じゃあね」
舌打ちが聞こえたかと思うと、ゾロが大股で近づいてきて、すぐに私の腕を捕らえた。
「てめェ……なんだ!その態度は!」
「あんたこそなんなのよ!放して!」
「昼間のことでおれを避けてんのが見え見えだってんだよ!」
「っ、関係ない!言ったでしょ!?あんたが何をしようとあんたの勝手よ!」
「関係ねェだと……!?」
「そうよ!だから、私のことも放っておいて!」
掴まれた腕にギリギリと力を込めて、月に青白く照らされた瞳が私を射抜く。
負けじと睨み返すと、引き寄せるようにして、ゾロがまた一歩私に近づいた。
「……関係ねェなら、どうしていつもの時間に顔出さねェ」
「それは、だって、……別に、約束してるわけじゃないじゃない!あんたが私の行動に口出しする権限なんてない!」
そう、私がゾロの行動に口出しをする権限もない。
ただ、今までなんとなく一緒に過ごしてきた。それだけの話。
最初から、答えは出ていた。私たちは気の合う仲間、それだけだ。
「……権限なら、ある」
「は、はぁ?……何、言って、」
「てめェの行動にとやかく言う権限なら、あるっつってんだ!」
「だからっ、…何言ってんのよ!いい加減にして!どうして私があんたに口出しされなきゃならないわけ!?」
「おれは、てめェが誰と何をしていようが自分には関係ねェなんて、思ってねェんだよ!!」
辺りの薄暗さから、その表情はつかめない。
けれど、切羽詰まったような声色と奥歯を噛む音が、目の前の男の苛立ちを物語っていた。
理不尽とも言える先の言葉を受けて、私の中の苦しみが胸から駆け上る。
「……か、関係ないから、あんなことができるんでしょう……」
「あ?……だから、昼のことは、」
「あんたはっ、私のことなんてどうでもいいと思ってるから、平気で他の女に触れるのよ!!」
「そんなこと言ってねェだろ!!」
「別にっ、あんたとは恋人でもなんでもないし、こんなこと、言い争うだけ無駄だって言ってんの!!」
嫉妬がましい言葉も、心臓の痛みも、止められるものではなかった。
自分のものでもないくせに、勝手に裏切られたような気持ちになって、浅ましい。
でも、それだけこの男と深い絆を結んでいる自信があった。
強くて真摯なその瞳は、仲間以上の存在として私を映している。そう、思っていたのに。
「確かに、………おれとおまえは、互いの関係を確かめ合ったわけじゃねェよ」
「……そうよ、だから、」
「けどな、」そう言って遮ると、ゾロは胸の前に置いた私の拳を、おもむろに包みこんだ。
「どうでもいい奴だとか、ただの仲間だとか思ってんなら、……」
「………………」
「おまえに避けられて、こんなにイラついたりしねェだろうが……」
「………………」
見上げると、近づいたゾロの表情には切ない色が見えた。
それはまるで、今の私の心を映す鏡みたいで、不思議な気持ちになった。
「てめェの言う通り、別に、夜酒飲むことだって口で約束したわけじゃねェ……」
「………………」
「けど、けどな、おれにとっては…………」
「………………」
「…………おれに、とっては……」
それ以上、ゾロの唇は言葉を紡がない。
でも、ふたりで過ごす時間が当たり前のことで、私たちにとってはそれが約束も同然だったのだと、もどかしげに歪む表情が語っていた。
「…………だって、あんたが…」
「……おれが、なんだよ…」
「あんたが、何も言わないから……」
「……言わなくても、わかんだろうが…」
「わかんないわよっ、だって、肝心なことなんて何もっ、何も言ってくれないから…………!」
安定しているようで不安定な関係に、どこかでずっと怯えていた。
怖くて、苦しくて、ぽろぽろと溢れ出す涙を隠そうと俯く私の唇に、強い力でゾロの口が押し付けられる。
言葉で伝えるよりも激しくまっすぐに、何度も力の入る唇が、「これでもわからないか」そう言っているようだった。
やってきたときと同じように突然離れた唇は、拗ねたように尖って結ばれる。
泣いている女を黙らせる手段なんて、それしか知らない。
冷たいわけでも、情が薄いわけでもない。この男はいつだって本気だった。ただの友達ごっこをしていたわけでは、なかったのだ。
「…………今の、なに…?」
「何、って、おまえ……」
「なんで、したの……?」
「何でって、……だから、それは、」
「ゾロは誰にでも、そういうことするの…?」
「っ、違ェっ!あのなァ昼のことだって、」
「ただの仲間にも、平気でそういうことするんでしょ?」
「だからっ…!てめェをただの仲間なんて思っちゃいねェ!何度言やわかる!」
「嘘よ、こんなに近くにいるのに、あんたはちっとも私のことなんて好きになってくれない……そうなのね?」
ごにょごにょと、とりとめもなく取り繕おうとするゾロに、煽りを向ける。
好きだとか、愛してるとか口にするのは、白々しい感じがした。
きっとこの男も同じ気持ちなのだろう。わざわざ言葉にする必要もないほどに、心の深いところで絡まりあっているのだと。
「っ、あァそうだよ!……てめェみてェな、女……っ、」
「………………」
「……てめェみてェな、女、……」
「………………」
「……ーーねェ、だろ…」
「……え?」
私には、あんただけ。あんたには、私だけなのだ。
今、ふたりの関係を確かめ合うのに、大袈裟な誓いなんて必要ない。
「てめェみてェな女、こんなに近くにいてッ、…………好きにならねェわけ、ねェだろ…!!!」
怒ったような怖い顔から告げられたこんな言葉でも、私の苦しみを止めるには、じゅうぶんすぎるのだから。
友達以上、仲間以上
「目の前で貧血おこした一般市民を支えてあげた?……それだけ?」
「そうだ。何から何までてめェの勘違いだ。わかったか、やきもち女」
「なっ、それはあんたもでしょう!?私がサンジくんと一緒にいてイライラしてたくせに!!」
「わかってんなら話は早ェ。こっちはもう遠慮なんざしなくていいんだからな……覚悟しとけよ?」
「…〜っ!!」
END