過去拍手御礼novels3
□眠る歯車
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「てめェッ!!もっぺん言ってみろ!!!」
ルフィの襟を掴み上げたゾロにより、火蓋が切って落とされた。
首元の窮屈さなど意に介さず、ルフィは強い瞳で先程と同じ言葉を繰り返す。
「ナミは、おまえのこと好きじゃねェッ!!」
ギリッと唇の端をひきつらせ、掴んだ襟をさらに引き寄せる。
わかってる、そんなこと、おまえに言われなくたって。
心の中でそう吐き捨てて、ゾロはルフィの顔とさほど変わらぬ大きさの手に力を入れた。
「だったらなんだってんだ!!てめェッ、喧嘩売ってんのか!?」
「おまえら変だ!なんで、あんなこと…!!」
「っ、子供にゃわからねェ!首突っ込むんじゃねェよ!!」
「だってよ!望んでもねェのにヤってるってことだろ!?そんなの、あいつをゾロの性欲処理に“使ってる”だけじゃねェか!!」
拳のいちばん強固な間接が、ルフィの頬骨めがけて振り落とされた。
怒り任せの暴力。それは、自分に都合の悪い言葉を遮るための卑怯な行為を意味している。
右手にジンと痺れるような痛みを感じた直後、ゾロは激しい後悔に襲われた。
「……そういう、言い方すんじゃねェッ、…」
「じゃあ……どういう言い方ならいいんだ……ナミは、おまえのもんでもねェくせに…!」
「このッ……!!」
握られた拳の固さが、ゾロの痛みの大きさを示している。そんなことはルフィにだってわかっていた。
誰しも仲間の苦しむ姿など、見たくはない。だからといってこの、いつだって正直に動く口を止める気にもなれない。
無意識に構えを見せた己の手。それほどまでに、あの光景が自分の頭に血を上らせていたのだと、ルフィは知る。
「ちょっと…………何してるのよ、あんたたち……」
ともすれば、今にも殺し合いが始まりそうなほどの険悪な空気。
そんな修羅場に遭遇して、渦中の人物は何事かと目を丸くした。
びくり、大の男がふたりして飛び上がる。乱暴にルフィの襟を振りほどき、ゾロはぐっと言葉を詰まらせた。
「ナミ!おまえ、なんでゾロと…むぐっ!?」
「っ、ばかやろうッ!!!」
「いってェな…!何すんだ!!」
「アホか!てめェ今何言おうとした!?」
ゾロの手のひらが、ルフィの頭を真上から押さえつける。それがなんだかじゃれ合っているようにも見えて、なんなのよ、とナミはさらに深く眉をしかめた。
「なんでおまえ!ナミ!好きじゃねェやつとヤッて平気な顔してんだ!?おまえの望みはそんなんじゃねェんだろ!?はっきり言えよ!!」
「は……?」
「っ!オイッ!!!」
「…………ゾロ?」
どういうこと?視線で問われ、ゾロは思い切り舌打ちしてやりたい気持ちになった。
神がかり的な馬鹿正直さをもった男の口は、話をこじらせるまで回り続けるだろう。
「………おまえがおれの、……手懸けだとよ…」
「……なっ、」
こいつがそう言いたいんだと、ゾロが忌々しげに目を逸らしたルフィを、ナミははっとして見返った。
この場を凍りつかせた当の本人は気楽なもので、「テカケってなんだ?」と首をかしげている。
その姿に、顔を逆さに撫でられたような不快感を感じ、とうとうゾロは歯軋りまじりに舌打ちした。
「ナミを、情婦呼ばわりしたんだろうが!!てめェが…!!」
「だから!ジョーフってなんだ!おれはそんな言葉言ってねェだろ!」
「っ、それ以上ふざけてみろ!本気で海に突き落とす!!」
「本気とかよ!今のおまえには無理だ!本気なら、ナミにあんなことさせたりしねェ!!」
「……誰のッ、せいだと思ってーー!」
「ゾロ…………」
その一声は、名を呼ばれた男の拳を思い止まらせた。
自分たちのデリカシーの欠片もないやり取りが、ナミの瞳から生気を消し去った。
錨を吊るされたような心臓の重さに顔を歪め、ゾロはルフィの胸ぐらを手放した。
ーー−
「…………いつから知ってたの?」
「いつ?んー、…けっこう前だな。でも、なんとなくじゃなくなったのは、昨日だ」
「見たの?」
「見た」
「そう……だったの…」
ゾロがもどかしさと悔恨の色を浮かべたまま去ると、露の匂いのする芝生に、ナミとルフィは向かい合わせで座り込んだ。
ゾロとナミの関係を決定付ける瞬間。問うているのは、それを目にしたのかどうか。
奇しくも雑草の意志の集まりだ。地球に隕石でも落ちなければ動じない。修羅場どころか死線すら潜り抜けてきたこのふたり、訊くも返すも冷静だった。
「おまえ、ゾロのなんなんだ?」
「さぁ……世間様から見ればあんたの言う通り、手懸けってやつでいいんじゃない?」
「だから、テカケじゃねェぞ。おれは、ゾロがナミを性欲処理に使ってるって言ったんだ」
「あんたね……手懸けを平たく言うと、そうなるのよ」
「そうなのか。変なのー。よし、やめろよテカケ!」
「そんなに露骨な説教じゃ、ゾロが殺気だつのもわかるわねぇ」
おれがルールの独裁主義者じゃあるまいし、何がいけないとか、言う口はもっていないのだけれど。
あの、蔓のように絡み合う男女を見てからというもの、指先に細い棘が引っ掛かって離れない。
仲間であるはずのふたりが知らない人間に見えて、ルフィは塩を舐めたような顔をした。
「……なァ、おまえ、このままゾロの都合の良い女でいいのか?」
「ねぇ、ほんとにどこで覚えたの?そんな言葉」
「どこでもいいだろ。どうなんだ?」
「どうもこうも、ゾロを都合の良いように使ってるのは、どちらかと言えば私の方だもの」
「はぁ…?ゾロはおまえが好きで、そんで、おまえがゾロを好きじゃねェって知ってんだ」
「そうね。だから、そんなゾロを利用してるんじゃない」
「んー……んん?わかんねェ」
その男は、人には見えないあらゆるものを見ることができた。それなのに、ナミの心の色を判別することはできない。
それを心に留めた上で、ナミは抱えた膝にちょこんと顎を乗せると、むむ、と眉間に皺を刻む男を見つめて微笑んだ。
「……大人になったね、ルフィ」
「ん?そっかー?背はあんまし変わってねェぞ?」
「そうじゃなくて、……こんな話、あんたとするとは思わなかったから」
「おれは、おまえらの考えてることが、わからねェ。それはおれが子供だからだって、ゾロはそう言ったんだ」
「綺麗な関係じゃないって、素直に認めればいいのにね、あいつも」
眼前に霧がかかったような顔でナミを見て、ルフィはふーっと一息、鼻から息を吐き出した。
「大人になったら、おれにもわかるようになるのかなァ……」
「大人になってもずっと、あんたにはわからなくていいことなのよ」
「どうしてだ?」とたずねられると、ナミは「あんたが大人になれば解決できるって問題でもないし」と哀しく笑った。
「まぁそういうことだから、あんたもゾロのことはあんまり責めないであげて?」
「……あっ、おいナミ…!」
なんという、はぐらかしの天才なのか。関係をやめるのか、やめないのか、それすら煙に巻かれようものならまた話は振り出しに戻ってしまうのに。
すぐに手のひらを返す猫さながら、ナミは音もなく立ち上がる。
ルフィは慌ててその腕を掴むと、不安と懇願の限りで「ゾロとは、もうやめるんだろ?」と口にした。そうしている間もずっと、みぞおちのところがもやもやする。
「やめてほしいの?」
「ああ」
「どうして?」
どうしてかと聞かれれば、不愉快だからという言葉がしっくりくる。でも、何がそんなに気に食わないのか、ルフィ自身にもわからない。
「………嫌だから」
「ふーん……それって、まだ私にも望みがあるってことなのかしらね?」
「なんのこと言ってんだ?」
「なんでもない。ゾロとは、そう簡単に終われないわ?でも安心して?今度から、あんたに見られないように気をつける」
「なっ、なんでだ!?やめればいいだろ!そんなの!」
「そうね、いつか、そうなるといいなって、思ってる」
「……なんで、」
「私が弱くて、ゾロがやさしくて、あんたがあんただから、仕方がないの」
こうなってしまったのは誰のせいなのか、眉をしかめ泣きそうに口を結んだ少年には、まだわかるまい。
ナミは、ゾロの苛立ちが染み込んで青くなったその頬に、願いをかけるような仕草で指を這わせた。
今は、この技量でもって期待に応え、従順に尽くす。ルフィにとってこれ以上ない都合の良い女でいることを、決めたのだ。
自分にとって最も必要な存在に、愛する男が気づいたとき、ようやくそれは噛み合って、音を立てて回りだす。今はまだ、
眠る歯車
そうして運命が動き出すのは、ほんの少し、先のお話。
END