過去拍手御礼novels3

□0メートルの告白
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近づきすぎなければよかったと後悔するよりは、程好い距離で幸せを噛み締める方が利口なのかも。


自分の心を侵食しすぎてしまった彼女の存在が、そんなことまで考えさせる。

たとえば今みたいに手の届かない位置で、人混みにまぎれてしまえばいい。

そうすれば、どんなに強い想いで見つめたって、本当の気持ちを悟られずにすむだろう。

柄にもなく臆病な風に吹かれてしまうのは、自分が大人と呼ばれる年齢になったせいかもしれない。


停留所の前でドアが開くと、新鮮な外の空気と多くの人間がカゴの中に乗り込んだ。

世の中には、便利なものがたくさんある。だだっ広いこの島では、この走るカゴが主な交通手段らしい。



…………にしても。



ゆっくりと発車した車体に揺られながら、彼女に目をやる。

数メートル先で流れ行く外の景色を眺める横顔は、当然かわいい。

どんなにたくさんの人にまぎれていようと、彼女の姿は誰よりもキラキラと輝いて、おれの視線を拐っていく。

こんなに輝けるのは、ナミさんか木漏れ日くらいのものだろう。

熱烈な視線に気づいた彼女が、チラリとおれに目を向けた。

ここにいるよ、と微笑むと、つれなく窓の外に目をやる姿も、当然かわいい。


その瞳で何を見ているの?この街は気に入った?腹減ってない?疲れてない?暑くない?寒くない?ねェ、降りたら何をしようか。


近くにいればそんな言葉をかけるのだけれど、あいにく混雑する人に流されて、今彼女はおれの手の届かないところにいる。

慣れない乗り物で買い物袋を両手に抱えているうえに、周りのレディたちを押し退けるわけにもいかず、離ればなれ。

その距離、約2メートル。

ふたりとも降りる場所はわかっているから問題ない。でも、この距離感がまるでおれと彼女の心の距離を表しているようで、ちょっとだけ滑稽だった。


ぐらり、突然視界が傾いて、カゴの中の人たちが波打った。人の足に当たった紙袋が、手元でバサリと音を立てる。

オイオイ運転手、ナミさんが怪我でもしたらどうしてくれる。

カーブを曲がりきるのと同時に、大事な彼女に目を向けた。

するとどうだろう、さっきまで物珍しげに外を眺めていた彼女は、はたと顔の色を青くした。

まるで鬼でも見たかのように額に汗をにじませたかと思うと、今度は俯いていてもわかるほど、顔全体が赤く塗られた。

本当に気持ちが悪くなってしまったのかもしれない。それはもう、虚を衝かれたみたいにギョッとしたおれは、周りのレディに気をつかうことも忘れて人ごみを掻き分けた。

少し近づいたところで、無数の人の頭に遮られて見えなかった、彼女の後ろに立つ人物に気がついた。

若い男で、黒髪に隠れて表情はつかめないが、やたらと彼女の背中に密着している。

男の勘というやつだ。どうにも不審に思ってそいつの手の行き先を辿った瞬間、炎のような狂気めいた怒りが、眉の辺りまで這い上がってくるのを感じた。

見えはしない。でも、男の腕の動きに合わせて怯えるように身を小さくする彼女の様子を見れば、そこで何が行われているのかは明白だった。

周りにたくさんの人間がいるだとか、揺れるカゴの中だとか。とにかく、どこぞのくそ野郎以外には、もうなにも視界には入らなかった。

力の限りで人の壁を切り開くと、自由な足で男の腱を蹴りあげて、大きな木を薙ぎ倒すように蹴倒した。

盛大なうめき声を上げて人の足の間に崩れ落ちた男は、何がおこったのかわからない様子でおれを見上げる。

ひどく醒めた心地で口元だけに笑みをつくると、おれは紙袋を手首にかけて、男に自分の手を差し出した。



「オイ、起き上がれるか?」

「……ぁ、あ?あァ、…悪い…」


謝ったって、許さない。おまえはおれの前で、よりにもよって最もしてはならないことをした。絶対に、許さない。

馬鹿な男が手を取った瞬間、おれは、包丁の柄に力を入れる要領で骨ごと握り潰してやった。

乾いた悲鳴が車内に響く。周囲のざわつきにまぎれ、手には力を入れたまま、おれは声と姿勢を低くした。



「なんだ、怪我でもしちまったか?それならすぐに降りてこのくそ汚ェ手を診てもらえ。それとも、このままおれが病院送りにしてやるか?なァ、どうする?」


ひぃぃッと喉から笛のような細い声を出すと、男は自分の手を守るようにしてカゴから転げ出ていった。

遠慮しなくていいのにな。そう呟いて立ち上がると、目を丸くした彼女と目が合って、おれはまたにこりと笑った。


「……あんた、何したの?」


買い物袋を頭上の吊棚に追いやって、誰にも触れられないように、彼女を壁と腕と身体で囲う。獣を見るようなその瞳も、当然かわいい。


「親指」

「は?」

「親指だけ、砕き損ねちまった。ごめんねナミさん」

「………………」


君に触れた感覚なんて、全て消し去ってやろうと思ったのに。眉を下げるおれに呆れたのか、彼女はくるりと窓の方に身体を向けた。


「狭い?」

「狭いというか、近いのよ、あんたが」

「でも、変な男に密着されるよりは、おれの方がまだマシだろう?」

「あんなの、叫んでとっちめてやるところだったのに」


君は、強気に見えてたいがい小心者だから、きっとそんなことできません。

そう思ったことは心の中にとどめておいて、彼女と同じように窓の外の景色を見る。

きっと、流れる綺麗な街並みも、今はその瞳に映っていない。今朝まで上機嫌におしゃべりだったその口も、弾切れのように声を奏でない。

長く美しい髪から、甘い香りが鼻をくすぐる。たとえどんなにたくさんの人にまぎれていようとも、彼女は誰よりもキラキラと輝いて、人の目を集めてしまう。

なんとかして、近づきたい。あわよくば、どうにかなりたい。そんなふうに思う不届きな輩は、当然、おれだけではない。

男は強欲で、自分勝手だ。はたしてその中に、彼女の傷つきやすさや脆さを考えてやれる男は、いったい何人いるのだろう。



「………………」

「………………」

「……あのさ、ナミさん…」

「……うん」

「……たとえばおれが、いつでも君の傍にいたら、少しは心強いと思ってくれる…?」

「………………」

「たとえば、……おれが君の男なら、どんなものからも守ってあげられると思うんだけど、そういうのって迷惑かい?」

「………………」

「今回みてェに、遠くで見てて後悔するくらいなら、……」



……おれは、君からほんの少しだって離れたくないと思ってる。



程好い距離で幸せを噛み締めるなんて、できやしない。おれの幸せは、彼女を守り抜くことなんだから。

おもむろに振り向いた純度の高い瞳に見つめられると、攻め立てるような情熱が心臓をうるさくさせる。

走るカゴが再びカーブに差し掛かり左右に揺さぶられると、体勢を崩した彼女が咄嗟におれの胸にしがみついた。

するすると、細い腕が腰に回り、ぴたりと身体が合わさった。

その瞬間、彼女の柔らかさを初めて知り、雷に打たれたような衝撃で叫び声が出そうになる。



「ナナナ、ナミさん…?!ち、近いです…!!」

「何?嫌なの?」

「そそそ、そんなまさかっ!!で、でもっ…!」

「あんただけは……」

「え……?」


見事に取り乱し、これでもかと激しく動悸を繰り返す。

そんなおれの胸中を知ってか知らずか、彼女はこてんと首を傾げ、当然かわいい拗ねた唇で言ったのだ。



「私を、守るためなら………」




どんなに近づいたって、許されるのよ?




人まみれなのをいいことに、その返事を、彼女の身体ごと胸の中に抱き締めた。


そうすると、今まで遠くで眺めているだけだった愛しい人が、こんなにも近くにいた。



0メートルの告白




「着いたよナミさん!どこ行く?ね、何する?」
「サンジくん、はしゃぎすぎ。子供みたいよ?」
「そりゃあ……だってこれ、正真正銘デートだし!」
「……!」
「ね、手つなごっか。はぐれないように」
「……うん」




END

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