過去拍手御礼novels3

□本命
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犬のように面倒を見てやっているかわいい部下が連れてきたのは、瞳と髪の美しい、見知った少女だった。


自分のクルーがその女に入れあげていることは知っていた。器量の良さと愛らしい笑顔は、華のないうちの船で、瞬く間に話題をさらった。

あの神経質で堅物なペンギンですら、何か心に掛けているような様子を見せる。

活気立ち、浮き足立つクルーを横目に見て、呆れ返ったものだった。

他所でこそ慎ましくしたりもしているが、自船の男たちを手玉にとる様は、魔女と呼ばれるにふさわしい。

だから、その女がこの船一番の馬鹿正直男に手を引かれてきたときは、珍しいこともあるものだ、などと好奇の目も向けた。

惚気話を披露しながら自慢気に「おれの女」とはにかむシャチの、健気な瞳が忘れられない。


こんなことを言うと、多くの人間の反感を買うかもしれない。

しかし、その女には、一途だとか純情なんて類いの言葉は、到底似つかわしくないように見えたのだ。

ヘラヘラ幸せそうに笑うシャチのやつと並んでいるから、余計にそう思えたのかもしれない。

とにかく、おれはシャチのように一人の女に固執するタイプでもなければ、得体の知れない女とは関わりたくもなかった。



…………この時までは。



ーー−



「あ、トラ男くん」

「……シャチなら買い出しだが?」


何を問われるまでもなくそう答えると、女は気恥ずかしそうに眉を下げた。

こうしてシャチのもとへ足しげく通っては、おれや他のクルーにも忘れず愛想を振りまく姿は、抜け目がない。

その甲斐甲斐しい恋人ぶりを見るたびに、おれは心底嫌気がした。

もしかしたらシャチのやつに媚びるのも、金目当てなのかと考える。まァ、あいつの金だしどうでもいいが。

船に上がって待っていてもいいか、と問うので、好きにしろ、とだけ返した。

同じ空間にいるのが憚られて、すぐさま船内の扉に向かったおれに、女は遠慮がちに声をかける。


「もうすぐ雨が降るの。中で待たせてもらえない?」


足を止め軽く舌打ちして、ついてこいと顎で呼ぶ。シャチの部屋は、こんなときに限って鍵がかかっていた。

きっと、同室のペンギンが律儀に閉めて行ったのだ。あいつの几帳面さを恨むがもう遅い。


まァ、いい。他のクルーも出払っていて、こいつの相手をしてやれない。おれの監視以上に完璧な防犯はないのだから、ひとまず目の届くところに置いておく。

船長室に通すと、何も言わずにコーヒーを出して、何も話しかけてくれるなというふうに本を開いた。

「いただくわ」と一声かけて、女はカップを手にとった。そういえば、さっきからこいつも本を傍らにしている。きっとシャチに借りたものか、貸すものだろう。まァ、どうでもいいが。


「ねぇ、トラ男くん」

「………………」

「どうしてあんたはいつも、私に冷たいの?」


答えもしないのに、会話が始まった。女を見もせずに、頁の端をつまんで開く。


「おまえが嫌いだからな。当然だろう」

「やっぱりそうなのね。あんたってすぐ顔に出るもの。よく言われない?」

「自覚してんなら、今後へらへら笑いかけてくるなよ。あれがいちばん気持ち悪ィ」

「そんなこと言わないでよ。あんたはシャチの船の船長さんだもの、仲良くしたいと思うのは当然でしょう?」


チラリと目線をずらせば、海の色を吸い込んだ不気味な輝きの瞳がおれを見つめていた。

綺麗と呼べる顔の造りは、女が考えているであろうあれやこれを綺麗に隠す。完璧なまでの可憐さが煩わしい。


「おまえと仲良しごっこをするつもりは毛頭ねェ」

「かわいい部下の彼女でしょう?」

「だからと言ってよそ者にかまってやる筋合いはねェんだよ。おまえのことが大好きなシャチとだけ仲良くしてろ」

「仮にも同盟組んだ仲じゃない」

「そのイイ子ぶった面をやめねェか。シャチに取り入ろうってんならじゅうぶんだろうが。おれにまで変な気を回す必要はねェ」

「…………ふっ、ふふ、」


肩を小刻みに揺らし、女は腹の底から漏れる笑いに耐えていた。

一瞬で眉間に皺を刻んで、表紙の固いところを爪で掻く。


「……何がおかしい」

「イイ子が嫌いなら、やめてあげるわよ」

「あ?」

「ほんと、警戒心が強くて困っちゃうわね。シャチと違ってひねくれ者だし」


長い髪が、白く細い指に絡む。女は本をソファに放って歩いてくると、遠慮知らずな飼い猫のように膝の上にまたがった。


「……なんのつもりだ」

「私が欲しいのは、シャチじゃない……」



あんたよ。そう囁いた唇は、魂を吸い込んだ後みたいに艶々と光って濡れていた。

手の甲を、冷たい指の腹が撫でていく。スカートから覗く太ももは左右からおれの腰を絡めとる。


「……やっぱり猫かぶってやがったか」

「どうだろう。皮を剥いでも猫かもしれないわよ?」

「ずいぶんと手のこんだ芝居をしてたもんだなァ?」

「あんたに近づくためにね。少しは気にかけてくれたかしら?私のこと」

「あァ、少なくとも、嫌いになるくらいには気にかけてやったが?」

「ふふっ、無関心よりよっぽどいいわ」

「シャチのやつはどうするつもりだ…」


笑った顔が天使だとか言ったのは、どこのどいつなのだろう。

こんなに汚れた天使がいるなんて、笑ってしまう。



「あんたが手に入るなら、もういらない」

「……てめェ、悪魔か…」

「天使だと思ってた?そうよねー、かわいいから」

「おれ以外の人間はまんまと騙せたみてェだな。少なくとも、シャチのやつは間違いなくそう思ってる」

「そりゃあ、扱いやすいからシャチを利用したんじゃない。だけど私はね、簡単に堕ちないあんたみたいな男が好きなのよ」

「おれはてめェみてェなガキに興味はねェ」

「もう、若いって言ってくれる?」


するり、服の下を乾いた手の平が這って、筋肉の形をなぞっていく。

首の脈を探して啄む唇から、生暖かい吐息がかかる。胸部の先端に指先の刺激を受けて眉を寄せると、女が細い声でくすくす笑った。


「…………やめろ」

「シャチがね、」


急にころりと話題の矛先を変えると、何も知らないように見せかけた無垢な瞳を、女はおれの鼻先に近づけた。



「シャチが言ってたの……」



“船長にだけは、おまえをとられたくないなあ…………って”



うっとりと見つめる瞳の中に、おれの姿など、映っていなかった。



「…………てめェ、何考えてやがる…」

「さぁね。想像してみなさいよ、その賢い頭で」


どうして、わざわざそれをおれに言うのだろうか。こいつは、おれを手に入れるためにシャチを利用したのだと、言っていた。

だけど、もしかして、これもすべて本命の男を嫉妬と熱情に追い込むための仕掛けだとしたら、どうだ。

……シャチか、おれか、利用されているのは、どっちだ。



「てめェ………本当は、シャチのことが…」

「一人の男に満足する女なんて、つまらないと思わない?それとも、」


あんたは部下の女一人、本気にさせられない男なの?トラ男くん。



「…………おもしれェ…」



狙ったものは、必ず底の底まで堕としてみせる。きっと、この女の頭の中には、本命の骨を抜く過激なシナリオができあがっているのだろう。

惚気話を披露しながら自慢気に「おれの女」とはにかむシャチの、健気な瞳が頭に浮かぶ。

可哀想な、可愛い部下。けれど、まだまだいろんな皮を被っているこの女に、まんまと利用されてやるつもりはない。

目的が何であろうが、おれを本気にさせた以上、おまえは負ける。



それならば。



思ったよりも気ちがいじみた、この恋愛ゲームに興じてみるのも悪くはない。



本命




「シャチが帰ってくるまで、遊んでやるよ」
「急に機嫌がよくなったわね」
「気が変わった」



END

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