過去拍手御礼novels3
□side-Nami
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机をタップする指の影が、灰皿の側面にちらちら映る。
実を言うと最初からだ。気になり出したら止まらない。どうしてもそれが目について、つい目線を下にやる。
私がしゅんとしているようにでも見えたのか、今までため息混じりに唸っていたサンジくんは、口の中で煙草を転がすのをやめて身を乗り出した。
「別に、君のことを疑ってるわけじゃねェんだよ、ナミさん」
「え?」
「そりゃあ、ナミさんがそんなことをする人じゃねェのは、おれがいちばんよく知ってる。しかも相手があいつだしな、尚更あり得ねェ」
「………………」
「…ただまァ、無断で野郎と一晩一緒にいられちゃさ、なんつーか……事情がどうあれ、一言言っておかなきゃならなくなる。君の恋人としてね」
「……うん」
「酔ったレディにとって、夜道が危険なのは最もだ。だが、たとえば外泊するなら、その旨を誰かしらに伝えておいてくれ。いいかい?」
「ええ、そうよね、ごめんなさい……」
反省したそぶりを見せれば、彼は口元を緩めて「心配したんだよ」と、今朝と同じ台詞を呟いた。
「確認だけど、…昨日ナミさんたちは飲んだ帰りに海軍を見かけて、近場の宿に避難した……それだけなんだよな?」
「そうよ。ふたりとも相当飲んでたから、大事をとって外には出なかった。もちろん、ゾロとは別の部屋をとってね」
「ならいいんだ。非常事態なら仕方ねェ。ナミさんは悪くねェ。あの野郎には、あとでおれがじゅうぶん説教しとくさ」
朝も早くて疲れてるだろうから、休んでおいで。そう言って微笑むと、短くなった煙草の火口を灰皿の底に押し付けた。
象る多角の面が、肌色をきらきらさせて万華鏡のように揺れる。
気になり出したら、止まらない。
不問にしてくれるというサンジくんそっちのけで、視界の端に目を奪われる。
いくつか、いや、いくつも嘘をついた。
魔女だ、泥棒猫だなどと囁かれてはいたけれど、まさか自分がこんなに悪い女だったとは。
謝る気もなければ、罪の意識を感じる余裕もない。それほどまでに、私の頭の中では昨日の出来事がめまぐるしくちらついている。
ーー−
「……昨日あれだけ酔っぱらって人に迷惑かけといて、懲りねェやつだな」
「何言ってんの?昨日のお酒と今日のお酒は別腹じゃない。つまり、昨日かけた迷惑と今日かける迷惑は別物よ」
「どんな理屈だそりゃ……」
あんなことをしでかしたと言うのに、性懲りもなくこの男と酒を並べる。
仲間の女と関係をもっていながら、いつも通り素知らぬ顔で1日を過ごしてみせたこいつは、私に負けず劣らず図太い神経の持ち主だった。
ウミネコの鳴く声だけが、闇夜の甲板を這っていく。
「……あんたといるとこ見られたら、サンジくんに怒られるかしら?昨日の今日だし…」
「だからって不自然に避けてたら、それこそ“ヤりました”って言ってるようなもんだと思うが?」
「……もう、少しはオブラートに包みなさいよね。あんたってほんとデリカシーのない男」
へいへい。と、いつも通りの気の抜けた返事。
わからない。どうしてこの男が、突然私なんかに手を出したのか。
本人に向かっては絶対に言ってやらないけれど、この男、女にはけっこうウケがいい。
金を持っていないと言っていたあのときだって、ただでヤらせてくれる女ならいたはずだ。
普段口にしないような秘め事めいた駆け引きをしてまで、わざわざ私をその気にさせる必要が、あっただろうか。
やはりお手軽な女に見えたのか、それとも、案外人の女を寝とるのが趣味の、いけ好かないやつだったりするのかもしれない。
「……そういえばあんたさ、帰ってきてからサンジくんに何か言われた?」
「おー……おまえに手ェ出したらぶっ殺すだの、おまえを危険な目に遇わせるなだの、もっとおまえに気をつかえだの……そりゃあ散々な」
「そう、なんだ……」
まァ、もう遅いけどな。そう、乾いた笑いをこぼして酒を煽る横顔。
まるで炎のような昨夜の交わりを思い出し、無意識に眉間を強張らせる。
そんな私をチラリと見て、ゾロはひどく醒めた口調で呟いた。
「……心配すんな。わざわざバラしたりしねェよ」
やっぱり私たちは、ちょっとした気の迷い、一夜限りの関係なのだろうか。あんなに情熱的に触れた手も、驚くほどの熱い言葉も、これっきり。
そう思うと何故か、トクトク音がしている胸のところが小さくなった。
「……あ、あのさゾロ…」
「おう」
「……昨日の、ことだけど…」
「………………」
昨日の、ことだけど?それで?私は、この男に昨日のことを思い出させて、どうしようというのだろう。
まさか、「忘れないで」とでも言うつもりなのだろうか、まさか、そんなことあってはならない。
「……まさか、本気にしてないわよね…?」
「………………」
「実はあんたもそんなに覚えてないんでしょう?だからあれはその、……無し、よね?」
「………………」
「……も、もうほんと、お酒の力って怖いわよねー!これに反省しても、控えられないところが悲しいんだけど!あはは…」
「………………」
「………ま、まぁ、とにかく……」
昨日のことは忘れましょう。
勝手に口がそう言ったけど、出た言葉は取り返せない。
どうしていいかわからずお酒に手をつけようとすると、その手を思い切り掴まれる。
驚いている間にもゾロは私を引きずるように倉庫へ押しやって、昨日みたいに壁へと縫いつけた。
「てめェは嘘をつくのが下手だな」
「な、」
「何が“忘れろ”だ。忘れられねェのはてめェの方じゃねェのか?」
「いつ私がそんなこと…!」
「自分じゃ気づかねェようだが、てめェのその目は、口以上に物を言う」
「っ、」
ドキリとした。鋭い瞳は、私の瞳孔の動きひとつ、逃さない。
私の身体を自分の体重で壁に押さえると、何度もマメの潰れたような太い指で顎を持ち上げた。
「おれは覚えてるぜ?てめェの身体も、声も、温度も、匂いも、表情も…」
「っ!やめてっ、」
「おれがてめェに言ったこともな……あれじゃ足りなかったか?そうか、欲の深い女だからな」
「ゾロっ、どうして…」
「どうしてもくそもねェだろ」
欲しいんだよ、おまえが。
その言葉を表すように、キスが私を飲み込んだ。ざらりとした舌がえぐるように擦り付けられて、鼻から吐き出すしかない息は甘くなる。
すぐに腰から撫で上ってきた手のひらが胸を掴み、やや乱暴にシャツをのボタンを弾いていく。
力の入らない腕は、形ばかり嫌がるふりをする。下着をずらして胸の先端を指で擦ると、私が反応したのを見て、ゾロは獣のように荒く息を吐いた。
「やっ、…き、昨日も、あんなにしたのに…!」
「何言ってんだ。てめェの理屈じゃ、昨日ヤったのと今日ヤるのは別物だろうが」
「そんなこと言って、ないっ、…は、ぁ、」
「懲りずに濡らしてやがるくせに、ほら、……ここだろ?」
「……あ、やぁぁ!!」
簡単に身体を跳ねさせた私にもう一度唇を重ねると、ゾロは器用にベルトを外して抱えた足の間に割り込んだ。
「……力、抜いてろよ…」
「や、待ってよ、だから昨日のことはっ…!」
「勝手に言ってろ。てめェが昨日を忘れるなら、おれは今日またてめェを抱くまでだ」
「っ、……そんな、」
「バラしゃしねェよ。言っただろ、おれはてめェの欲しいもんをくれてやる。その代わりに、てめェはてめェ自身をおれによこせ」
「ぁ、…ぁぁああッ!」
入ってきたその熱は、防ぎようもなく私を翻弄する。
それから、求めて求められる関係になるのは容易なことだった。
やさしい恋人と別れるつもりはない。でも、ゾロの熱も必要だった。
人間の欲深さとは、時に矛盾を退ける。
ああ、そういえば、視界の端でいつもゆらゆら揺れていた。それが、とうとう目の前に現れて、これでもかと私の視線を奪っていく。
気になり出したら、止まらない。
今この瞬間、私にはもうあんたしか、見えてない。
Continued...