過去拍手御礼novels3
□恋は盲目
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足音のない雨雲の影だって、海の上の大きな矢印だって、他所の人の目にはこれっぼっちも映らないという。
おまえには、なんでもわかるんだな。彼は私にそう言うけれど、それは違う。
どんなに考えたって、わからないことはわからない。彼にわからないことが、たまたま私にわかるというだけの話なのだから。
「ルフィ!2分後にサイクロンがくるわ!」
「んんん?雲なんて見えねェけどなァ……でも、ナミが言うならくるんだろ。よし、フランキー!サニーを飛ばせー!」
「アオ!スーパー任せろ!」
ルフィの腕が、手すりの間に私を囲う。船体が波を蹴る刹那、大な黒雲で影をつくった唇が「ほんとにきた」と呟いた。
ーー−
「おまえには、なんでもわかるんだな」
遠くで轟く黒い渦柱を眺め、いつものように彼が呟く。
その隣で同じ方向を眺め、少し笑う。
「そうじゃない。あんたにわからないことが、たまたま私にわかるだけなのよ」
「おれのわからねェこと?」
「例えば、春島の秋と秋島の春の違いとか、あんたが着てるその服の寿命とか、上手なお酒の飲み方とか、面倒ごとを回避する方法とか、サンジくんがどれほどあんたのつまみ食いに悩まされてるかとか、そんなことよ」
「すげェな。おれ一個もわかんねェぞ。やっぱりおまえには、なんでもわかっちまうんだなー」
「あんたにわからないことならね」
「だったらよ、次のドレスローザって島が、どんなところかもわかんのか?」
指針に目をやって、海全体を見渡す。風の温度と湿度を感じ、空の色を確かめた。
「……次の島はそれなりに暖かいし、新世界にしては気候の安定した島よ。商業と貿易が盛んで、本来なら物資や情報調達には最適な島ね」
「へェー!おまえ、なんでそんなことまでわかるんだ?」
「さっきから、私たちを避けて貿易船がたくさん往き来してるじゃない。あんたの目は節穴なの?」
「そうだったのか!全然気づかなかったぞ!」
「それから、危険な香りがぷんぷんするわ。私とウソップとチョッパーの何かがヤバいセンサーがそう言ってるもの」
「なははっ!それはいつものことじゃねェか!」
「あーあ、あんたたちが余計なことに首突っ込んでなかったら、今ごろドレスローザで楽しくショッピングでもしてたのに…」
「この作戦が終わったら、買い物にでもなんでも連れ出してやる。なあ、ナミ屋」
ルフィと反対側の隣に、見上げるほど大きな人間が立っていたことに、ついぞ今まで気がつかなかった。
いつ見ても、どこか悪魔のように。その男の唇は、笑うことを知っていても、やさしく笑うことは知らないらしい。
「……急に隣に立たないで、トラ男くん。びっくりしちゃう」
「どこへ行きたい?なんなら買い物じゃなく旅行でも、おれは構わねェが?」
「旅なんていつでもしてるものねー。まぁでも、しいて言うならそろそろ賭博場にでもしけこみたいところだわ」
「くくっ、色気のねェやつ。賭け事なら、おれとおまえでしようじゃねェか。おまえの欲しいもんを何でもやる。その代わり、おれが勝ったらおまえをもらう。どうだ?」
「……あんた、私に勝てるとでも思ってるの?」
「勝てなければ貢いでやるだけだ。悪い話じゃねェだろう?」
「ナミは、ここの次の次の島ではおれと冒険するからよ。だから、トラ男と勝負してる暇はねェんだ」
手すりに腕をかけ、片足をぶらぶらさせ、ルフィは私の奥の男を覗きこんだ。
そう言われてしまえば、私に拒否権などはない。なんと言ってもこの男、私を思い通りにできる唯一の人間なのだから。
「……船長の命令じゃ仕方がないわね……ごめんね、トラ男くん」
「くくっ……あァ、先約があるなら引くとする」
いずれ、また誘う。ますます持ち上がった唇でそう囁いて、音もなくその場を去った。
それを見届けて、いまだ雪駄と床板を擦りながら、ルフィはやや力の入らない声で言う。
「……あいつ、いいやつだもんなー」
「ええ、あんたが言うならいいやつなんでしょうね」
「おれ、あいつのこと気に入ってんだ。変な熊も」
「……ああ、あのカンフー白熊ね。あんたが好きそうよね」
「なのによー、たまに、すげェぶん殴りたくなるときがある。……なんでだ?」
おれのわからないことは、おまえが知っているんだろう。そう言わんばかりに、ルフィは私をじっと見つめた。
「……あんたもしかして、トラ男くんが私に愛の告白をしてきたこと、知ってるわね?」
「…!ぎくぅっっ!」
「どうせロビンあたりに聞いたんでしょうけど」
「……オマエハナンデモワカルンダナ、ナミ」
「そうじゃない。あんたにわからないことを、たまたま私がわかるだけよ」
「じゃあ聞くけどよ、なんでおれは、あいつをぶっ飛ばしたくなるんだ?」
「それはね…………」
あんたが、私のことを好きだからよ。
我ながら、恥ずかしいことを言っていると思う。私が言ってもいいことなのか、とも思う。
でも、私の言葉を聞いたルフィは、大きな瞳をはっと瞬いて、じりじりと口を開いて声高に言ったのだ。
「……な、なんだ、そっか……!」
「え?」
「そうだ!……おれ、おまえが好きだぞ!」
「ちょ、」
「全然気がつかなかった……けど、ナミが言うならそうなんだ!間違いねェ!」
「あんたね、」
「やっぱりおまえはなんでもわかるんだな!」
「……そうじゃ、ない。あんたにわからないことを、たまたま私がわかるだけ…」
感動したように瞳をキラキラさせ、そうかそうかと納得しているルフィに、私は呆れ半分で頬杖をついた。
「じゃあ、おれとおまえは同じだな!」
「……え?」
「だってよ!ナミも、おれのことが好きだしな!」
風に拐われそうな帽子を抑え、ルフィは確かにそう言った。何の気なしの言葉だったが、晴天に霹靂を見たような気持ちになった。
まさか、私に予測できない風があるなんて。自分の自分に対する無頓着さに、呆れ返った。
「…………そう、なの、かしら…」
「そうだ!おれが言うんだから、間違いねェ!だっておれは、ナミの知ってることは何もわからねェけど、」
ナミのことなら、なんでもわかる!
「あんたが…………あんたが言うなら、そうなんでしょうね」
「おう!絶対ェそうだぞ!」
お腹の中をくすぐられたような感じがして、思わずくすりと微笑んだ。
なんてことだろう。なんでもわかってしまうのに、そんなことにも気づかなかった。
「ルフィ、あと30秒もしたら島が見えるわよ」
「影も形も見えねェけど、ナミが言うならそうなんだろうな!」
「ええ、ものすごくスリリングな大冒険が、あんたを待ってるわ」
「ホントかー!?おまえはなんでもわかるんだな!」
「あんたにわからないことを、たまたま私がわかるだけ……いえ、そうじゃない、違うわね……」
「お…!見えた!島が見えたぞー!!」
覗いた島の面影に、ぱあっと輝く人の隣で、私はいつものように眩しく瞳を細めている。
なんでもわかるわけじゃない。考えたって、わからないことはわからない。
ーーでもね。
「私には、あんたのことならなんでもわかるの」
恋は盲目
まともじゃないと思うでしょう?あんたのこと以外、私は私のことさえも、何も目に入らないのよ。
END