過去拍手御礼novels3
□濡れ衣
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他人の女と知っていたなら、手など出さなかったのに。
そういう言い訳が頭に浮かぶのは、この状況があまりに不本意だからだろう。
同盟船の、しがらみも因縁も見当たらない男が突然、「おれの女に手ェ出しやがって」と胸ぐらを掴んできたら、そんなことを思いたくもなる。
思ったからとて実際そうできたかはわからないし、結果として他人の女に手を出した事実は動かない。
向こうが誘ってきたものだから、軽い気持ちで結んだ関係。それなのに、いつの間にか火の渦の中に放り込まれていたらしい。
「……手を出したことは認めるが、あんたの女だと知ったのはたった今だ」
「とぼけるな!そんな誤魔化しなんざ通じねェ!随分なもんじゃねェか…なァ、お医者様よ、てめェはうちの船に女漁りに来たのか?あァ?!」
目の前の男の怒りはもっともだ。逆の立場なら問答無用で斬り捨てて、ついでに女の方もバラバラにしてしまうだろう。
さて、どうしたものか。この際さっさと女を返却して、丸くおさめてしまいたい。
命さえかけなければならないこんな大事に、無駄な面倒事など目も当てられない。
「わかった……あの女にはーー」
「あんたたち、なにしてるの?」
あの女には、今後一切近づかない。そう言おうとした「その女」は、壁際のおれたちを見て入口で立ち尽くす。
要は、恋人に浮気を知られた上に、恋人がいたことを浮気相手に知られたわけだ。
これ以上の修羅場はない。笑止の沙汰か、滑稽すぎて片腹痛い。
最初から信用などしていなかったが、あまりにお粗末で興醒めだ。もう少し、うまくやってほしいものである。
「ナミ、おまえは下がってろ。今からこいつを八つ裂きにする。跡も残さねェ」
「ゾロ、待って」
「黙ってろ。どうせこいつに脅されでもして、強要されたんだろうが。おまえはずる賢い女だが……おれを裏切るような真似はしねェ」
自分は確かに悪魔の所業だってしでかさないとも限らないが、裏切らないと言われた女の方はどうだろう。
脅されて、強要される程度の女はずる賢いとも言い難い。
己の女が不貞など犯すはずがない。そう信じたいのも理解できるが、現実はいつだってやさしくない。
「私があんたを裏切るわけないじゃない。でも、ローとやりあうのはやめて」
「あ?おまえが気に病むことはねェ。悪いのは全部この男だ。おれがけじめをつける」
「そんなことしたって意味がないの!だって私、……」
私……そう、虫の鳴くような声でこぼすと、女は視線を左下にやって、憂いの顔をつくった。
そして、震える両手でゆっくりと自分の身体を抱き締めたのだ。
「私、…………確かにローに、犯された……」
だから、こんなに汚い身体のまま、あんたの女でいるわけにはいかない……と。
この女ーー
「悪魔か…………」
おれが女に向かって言うべき言葉を、目の前の男がおれに向かって言っていた。
とんだ道化芝居を食わされた。ただの被害者を、ものの2分で大悪党に仕立て上げたのだから、たいしたものだ。
今さら「その女は嘘をついている」と言ったところで、誰が信じてくれようか。
藪の中の真相は、ついぞこんなところだろう。この男の言う通り、いつの世だって女はずる賢いものなのだ。
「やめてゾロ!もういいの!もう、意味がないのよ…!」
「放せナミ…!おれはこいつを殴り殺さねェと気がすまねェ!!」
「そんなことをしたって結果は変わらない!私にはもうっ、あんたの傍にいる資格はないのよ…!」
ごめんなさい…
こんなに綺麗な嘘泣きができる女がいたとは、恐れ入る。
まさか、「あんたに抱かれてみたい」と素知らぬ顔で色を仕掛けてくるような女が、そんな殊勝な言葉、吐くものか。
頭に血を上らせた男は作り物の泣き顔からおれに視線を移すと、鬼火を灯した眼で睨む。
言ってみればあんたとおれは、この女に化かされた同じ穴のなんとやら。互いに女運が良ければわかり合えたかもしれないな。
口の端を持ち上げたおれの自嘲に、男はますます拳を硬くする。
「てめェ!許さねェ…!」
「ローは悪くない!全部、私が悪いのよ…!」
俯いた女の口元が小さな微笑みをつくったとき、ようやくおれは悟ることができた。
あァ、おまえは悪い女だよ。
最初から、この男と別れるためだけに、おれを利用していたのだからな。
どうせ丸くおさまらないのなら、とことん付き合ってやるのもいい。
いわれのない罪を着せられることには、慣れている。
だからせめてもう少し、このおれを楽しませてくれてもいいだろう。
「この女には、今後一切近づくな。こいつはもう、……あんたのものじゃねェんだよ」
悪いやつほど、よく笑う。
招き入れたのは、女の皮を被った悪魔。裏切られた男に背を向けて、この腕の中、大いにせせら笑っていることだろう。
濡れ衣
触れた男は一人残らず、地獄へ道連れ。
END