過去拍手御礼novels3

□初恋は実らない
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あの子に対して抱いていたのは、愛情以外の何物でもない。

好きかと聞かれれば好きだと答えるし、大切かと聞かれれば、考えるまでもなく大切だった。

ずっと目に入れていたいほどに愛らしいと思うし、傍に置いておきたい衝動に何度もかられた。


だから、「彼女になりたい」と震える声で告げられたときだって、「嬉しい」と言ったことに嘘はない。


けれどーー


慈愛と情愛は、交わることはない。

常に尊く、時に儚い。おれにとってあの子はかけがえのない少女であって、よこしまな感情を向ける相手にはなり得なかった。


「わかってる……私なんて、マルコにとっては妹みたいなものだもん…」

「歳は……関係ねェんだ。ただ、おめェのことは家族のように大切で、そういう対象には見れねェんだよい」

「うん……ありがとね」

「いや、……おめェみてェなべっびんさんが好いてくれるなんて、そもそもおれにはもったいねェ話だ」

「そ、そうよ!逃した魚は大きかったって、後で泣きついても遅いわよ?今日のこと、ぜーったいに後悔させてやるんだから……!」


今にも泣き出しそうな瞳で笑うから、どんな言葉をかけていいのかわからなくて、 小さな頭に手を置いた。

重みで俯いたナミの口から漏れた呟きは、今でも忘れない。



「初恋は実らないって………」



ほんとうなのね。




ーー−


会う機会が減ってしまっても、はきだめの鶴の噂など、風に乗って流れてくるものだ。

堅物で有名な自船の剣士をゾッコンにさせたとか、一国の王子の熱烈な求婚を爪の先で蹴ったとか、どこぞのルーキーと付き合って、程なく破局したとか。


ーーエースの、最後の女だったとか。



そんな噂を耳にする度、おれの頭の中ではあの子の赤い唇が、哀しげな悟りの言葉を呟くのだ。

女という生き物とは関係を持ったりもしたが、若い頃のように特定の相手をつくろうとは思わなかった。

罪悪感かもしれない。強気に見えて脆さを孕んだ存在を、形のこととはいえ拒絶したこと。

綺麗で真っ直ぐな想いを打ち砕いてしまった事実に、自分はきっと囚われているのだろう。

あの、折れそうな両足で立っていた少女だって、そんなことはとっくに忘れ去っているかもしれない。

どうしてあんな男に惚れたのだろうと、新しい誰かの隣で笑っていてくれればいい。

流れる時間が、全てを動かしてくれるのだから。



「久しぶりね、マルコ」


ところが今、あの頃から全く動き出せずにいたのは自分だったのだと、おれは知る。

二年前とは別人のような微笑みに、言葉の先すら出てこなかった。

潮風さえ、豊かに光る鮮やかな髪に戯れる。味もそっけもない甲板が、高いヒールに奏でられて色めき立つ。

肩で風を切って歩く姿は、すれ違う視線の全てを奪っていく。それなのに、大きな瞳はその中のひとつにさえ、応えない。

宝石のような瞳に見合う男など、いるのだろうか。少なくとも、目の前にいる彼女は誰もが傍に寄れるほど、安い女ではないようだ。

喜び、哀しみ、痛み、苦しみ、死、別れ……

それら全てを知り、飲み込んで、あの子は強く、そして気高く微笑んでいる。


二年が経ち、少女は女になっていた。



「……久し…ぶりだな、ナミ…」

「変わってないわね。相変わらず真面目に男前なのよ、マルコは」

「おめェは変わった………なんだい、その……」


綺麗になった。そんな言葉さえちんけに思えるほど、彼女は美しくなっていた。

おれはというと、顔に身体に年月を重ねただけで、あの頃と何一つ変わってなどいなかった。

くすっ…とさえずった彼女が、立ち尽くすおれの肩にもたれかかって、「私の初恋の人よ」なんて、たまたま近くにやってきた黒髪の女にさらりと告げた。

思い出話のような語り口に、何かが心臓を締め付ける。彼女にとって過去の存在、そんな今の自分を大声で非難してしまいたい。

「あら、素敵な人ね」そう言って女が去った後、彼女は満足そうに笑ってするりと離れていった。



「じゃあ、そろそろ行くわね。せっかちな船長が、私を待ってるの」



右腕の残り香に、ますます息が苦しくなった。



「…………っ、ナミ……!」

「………何?マルコ」


引き止めた自分とは反対に、彼女はいたって冷静で、その表情は変わらない。

気づくのが、遅すぎた。自分を見つめるふたつの瞳が、これほどまでに深い色をしていたなんて。


「………また、会えるかい…?」

「マルコだってわかってるでしょう?海賊だもの。もう二度と会えないかもしれないし、約束はできないわ?」

「だったら、おれが会いに行く……だからおめェは、おれを待っててくれねェかい?」

「なーに?それ。まるで愛の告白みたいね」

「みたいじゃねェ、告白だ………わかってんだろい」


細い手首はぎゅっと掴んでいなければ、どこかへ消えてしまいそうなのだ。

振り向き顔を彩る斜めの赤い唇が、いつかのような哀しげな悟りを呟いた。



「言ったじゃない。後で泣きついても、遅いわよって……」


本当に、おれが愚かだったのだ。

逃したのは大きな魚どころか、世界で最も眩く輝く宝玉の原石だった。

悔いを残す生き方をするくらいなら、死んだ方がましなのに。今になってあの日のことを……



……死ぬほど後悔しているなんて。



「…虫のいいやつだと思ってくれてかまわねェ。二年も経って、今さらバカなやつだと笑われても仕方ねェよい」

「………………」

「おめェにはもう、将来を誓った相手の一人や二人いるかもしれねェし、おれみてェなオヤジにはさらさら興味なんてねェかもな……」

「………………」

「それでも、おれはおめェをあきらめねェ。本気だぞい、何がなんでもおめェをおれの女にする」

「……何を、言っているのよ……そんなこと、有り得ない……だってあんたは……」



私の初恋なんだからーー。



未熟な恋は、実がなる前に落ちてしまう。

誰かが決めたジンクスが、もし、ほんとうのことだとしても。



「もう一度……」

「………………」

「もう一度、おれに惚れてみろ。今度は必ず、うまくいく」

「………なに、よ…そんなの…」

「今度は必ず……」

「………………」

「必ずおめェを、幸せにしてみせる」

「……っ、」


彼女に対して抱いているのは、愛情以外の何物でもない。

引き寄せた腕で自分の身体に繋いだら、止まっていた心の時間がゆっくりと動き始めた。

少し眉をハの字にして、泣き出しそうに笑った彼女の美しい表情を、生涯忘れることはできないだろう。




初恋は実らない




それでもいつか、恋は実る。



END

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