過去拍手御礼novels3

□女の価値
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その男の印象は、几帳面な風変わり。



何を考えてるか、てんで検討はつかないし、会話だって1分ともたないけれど、案外話の通じるやつでもある。

人の心にズケズケと土足で踏み込む船の連中とは違い、良い意味でも悪い意味でも、決して他人の領域に分け入らない。

ある程度の良識があるのかもしれないし、ただ単に興味がないのかもしれない。とにかく、変に愛想の良いやつよりは、余程信用できる人柄とも言えるだろう。

人を射殺してしまいそうな目付きの悪さがなければ、かわいい面もあるにはあるし、ルフィの「お気に入り」なのにも頷ける。




「あら」

「………………」



だから私はこの時も、気難しげで不機嫌丸出しな顔を前にしても、愛想笑いなんて芸当ができたのだ。



「奇遇ね」

「そうだな」

「この本屋に用事?」

「見ればわかるだろう」

「私もなのよ」

「そうらしいな」

「ところで……」


いつまでレディの手を握っているつもりかしら?



巧まずして語気の強くなった私を、いったい誰が責められよう。

これが、手と手が合って、目と目が合って、恋が芽生えるそんな瞬間だったなら、互いに眉根をひくつかせることはなかったはず。

緩やかに顎を上げて、見下すように見下ろしてきた男は、答えなくても良いものを、わざわざご丁寧に打ち返す。


「おれは、あんたの手が掴んでいる本に用がある」


ずしりとした重石と沈黙が、私たちの間に落ちてきた。

本日船番の、あめ玉のようにキラキラした船医の瞳。彼の声を思い出しながら、もう一度確認する。『世界の植物医療学』、間違いない。

男は、さらにがっしりと目的の本をホールドする。本と一緒に掴んでいるのが繊細でか細い手だということを、まるで理解していないご様子だ。



「掴んだのは私が先よ」

「見つけたのはこっちが先だ」

「手を離して。叫ぶわよ?」

「……………………」


まぁ怖い。目を細めても、眼光は鋭いままなのね。そんなことを思っていると、男はなんの迷いもなく掴んだ手ごと本を抜き取り、そのまま私の身体を道連れにして勘定台まで引きずった。

ここまで来て、かわいい船医への手土産を譲ってなるものか。

同じものがないか尋ねられた店員の、「ここは古本屋だよ?在庫はないね」という返答と、私の「譲りません」という顔に、男はこれ見よがしに舌打ちした。




「金はおれが払った。欲しかったら別の店で探すんだな」

「お金はあんたが勝手に出したんでしょ?まさかこのキュートでか弱い私に街中探させるつもり?」


一冊の本の両端を、互いの右手と左手で、指が食い込みそうなほど強く掴んで離さない。

端から見れば仲睦まじいカップルに見えるのかもしれないが、正直、相手が相手だけに笑えない。



「あんたのどこがか弱いってんだ?」

「しつこい男はモテないわよ?」

「執念深いとすぐに老けるぞ」

「だったらこうしましょう?これはあんたから私へのプレゼント。ほら私、超絶かわいいから、貢ぎたくなっちゃうのもわかるわ」

「……………………」


本屋から数メートル離れた道端で、口を開けたまま二の句を告げずにいる男を見上げ、ウインクしたら、そっぽを向かれた。

これがサンジくんなら、店中、いや街中の本を貢いでくれるだろうに。

さて、どうやって持ち帰ろうかしら。思案の中で向かいの路地に目線をずらすと、ふいに馴染みの人物の後ろ姿を捉えた。

腰の刀に肘を置き、レンガ造りの壁にもたれかかった大きな背中。その胸元に、紫がかった長い髪の女が見えた。


まるでこれから嵐が来るかのような、嫌な湿気が身体中を這っていく。


これだから、男って嫌いなの。遊びも本気も区別できない極楽トンボなんだから。



忘れたの?あんた、あの日私を抱いたじゃないーー。



わざとらしくしなだれる女の腰を、無骨な手のひらが抱き寄せた。

その瞬間、かじりつくような本への執着も、目の前の男とのにらみ合いもきれいさっぱり忘れ去り、足早にその場を後にする。



人の心を弄ぶのも、たいがいにしなさいよ。


あんたのせいで、頭の熱が、2〜3度上昇したかもしれないじゃない。吐く息で、喉が火傷しそうなのよ、私。



ーーいい加減、気づきなさいよ。




「ーーどこへ行く」



大きく踏み込んだはずの身体が、後ろから引かれた腕に引っ張られて引き戻される。

世の中本当に不公平。どうして私だけ、いつもいつも切羽詰まっているのかしら。


どいつもこいつも、男は気楽でいいわよね。



「何?その本ならあんたにあげるから、今すぐその手を放してくれる?私急いでるの」


眉をひそめた私の頭の先をゆっくり見やっても、手首の圧迫は解かれず、その表情の無さはさして変わらない。

さあ、その賢い頭脳でこの状況をよくよく飲み込むことね。そうして、いつものように無関心を装って、私の領域から立ち去りなさい。

面倒事に首を突っ込むのは、柄じゃないでしょう?

今すぐその手を放せば、あんたの印象を、「空気の読める」几帳面な風変わりにランクアップしてあげる。待つのはあと3秒よ。1、2…






「あいつはあんたの男か?」





一瞬、言葉を失った。他人に興味など示さない無愛想な男の瞳に、青白い火の粉が散ったような錯覚に陥る。

まるで、真正面から扉に穴を開けられたみたいで、唖然とした。


「…違うわよ。でも、それが何?」

「ずいぶんと衝動的だな。行ってどうするつもりだ?」

「あんたに関係ないでしょ?」

「それもそうだ。おまえら二人の関係なんざ、おれにとっちゃ取るに足らねェな」

「だったら、さっさとその手を…」



放して。という言葉は、背中に走った鈍い衝撃に砕かれた。

男は冷たい石の壁に私を押さえつけ、口元だけを動かした。



「どこへ行く?話の途中だろう」

 

まさか、目の前にいる男の査定を、私がはかり違えたとでもいうのだろうか。

少なくともそれが、今までの印象を覆すほど、突拍子もない言動には違いない。

確かに感じていた焦りや苛立ちさえ混乱に変わるほどなのだから、よほどの事だろう。


「何するの?………急いでるって言ったでしょう?」

「あんたが急いでいようが関係ねェな」

「なっ、」

「あんたとあの男の間にある事情ってやつは、おれには関係ねェ」



そうだろう?



灰色の瞳は冬の空を連想させるのに、真上から落ちてくる声は首筋や肩に火をつける。


やはり、私の認識が甘かったのだ。最初から、付かず離れずの距離を保って、ここぞとばかりに人の心の綻びに忍び込む。

壁にもたれた長い腕が、私の視線の行方を遮るように覆い被さった。



「私はね、あんたと遊んでる暇はないの」

「あの男と遊ぶ暇はあるのにか?」

「っ、遊んでなんか……!」

「あんたと他の女を同列に扱う愚か者の、どこがいい?」

「………………」

「あいつは、あんたの価値をちっともわかっちゃいねェ。そう思わねェか?」

「私の…………価値…」



そう、いずれにせよ、才色兼備を絵に描いたって、到底私には及ばないでしょうね。

すこしばかり謙遜したって、この海きっての才女なのには変わりない。

もともと一人の男に拘るような、安っぽい女じゃないってこと。プライドが高い女なの、私。



悪いかしら?




「あんたから行ってやることはねェ。自分の価値を貶めるな」

「…………」

「女は、お高くとまっている方がいい」




おれは、あんたの価値を、よーく知ってる。






決して他人の領域に分け入らない。そんなところに、少なからず好感を持っていたのに。

先ほど本屋で乱暴に引かれた手に、今度はゆっくりとなぞるように触れられた。

これが、手と手が合って、目と目が合って、恋が芽生えるそんな瞬間だったなら、互いにつばぜり合うこともなかったはず。




「……何を、考えてるの?」





その時私は、いつもつまらなそうに結ばれていた唇が、ぞっとするほど美しくしなるのを、初めて見た。





「さァなーー」






こんなに他人に深入りできる男だったのね。私はあんたを、心底甘く見ていたわ。

つられるように口元に弧を張ると、肩にもたれさせた刀をカタリと転がし、握った私の手のひらへ、綿でも手繰り寄せるようにキスを落とした。





「そいつに何か用か?」



あんたの言う通り、女は少しくらい勝ち気な方が、飽きられないもの。

その証拠に、ついさっきまで追いかけているだけだった男が、いつの間にか向こうから私のもとへやってきた。

ゾロは、すぐ傍らに立ち、剣呑な仕草で腕を組み合わせ、私たちを見やっている。先ほどの女の影はどこにもない。

まるで、最初から3人で話をしていたかのように、目の前の男も自然と口を開いた。



「だとしたら、あんたに関係あるか?」

「ねェとは言えん。うちと同盟組んでようが、てめェはよその船の人間だ」

「その理屈が通るなら、おれたちの間に割って入るのは筋違いだな」

「なんだと?」

「なぜならあんたは、同じ船の仲間でも、こいつの男ってわけじゃねェんだろう?」



重い沈黙、細くなる目付き、余裕綽々に指を絡ませてくる、得体の知れない男。



ああ、面白い。




「おい、そんなやつほっといて、行くぞナミ」

「これは、あんたが持って行け」



一冊の本の両端で、互いの右手と左手を重ね合わせた。耳元で囁いた男を見て、ゾロはその目をわかりやすく見張ったが、気づかないふりをした。



「いいの?」

「貢ぎたくなったーー」



あんたが、あまりにイイ女だから。





まるで、これから嵐が来るかのような、痛快な風が吹き抜ける。


何を企んでるか知らないけれど、深入りされるのも、何故か嫌な気分じゃないみたい。きっと、私もその泥沼に、足を踏み込んでしまったからでしょう。



唖然と立ち尽くしたゾロが、何か言いかけるのを、聞こえなかったふりをして通りすぎる。

見る目のない男なんて、こっちから願い下げ。

いつだって、立場は逆転できたのよ。ちょっと可哀想だけど、それがなんだか心地好い。なんて好い気味なのかしら。



そうよ、私は、もっと愛され、尊重されるべき人間だわ。






女の価値







私の価値は、私が決める。



END

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