過去拍手御礼novels2

□見せかけ天使は海の微笑み
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外が騒がしくなってきた気がするけれど、部屋から出る気にはなれなかった。


サンジくんが仕込みや調理で忙しい合間に一人の時間を見つけては

こうして部屋のソファで膝を抱く。


海図も日誌も進路確認も、まともにこなす余力と余裕がない。


航海士失格。そんな言葉が頭をよぎり、うっすらと残る二の腕の赤い痕に額を押し付けた。


さっきも怖い顔をしたウソップに聞かれた。「ルフィとサンジは喧嘩でもしてんのか」と。

おまえが関係してるんだろ。間接的にそう言われているようで、言葉を詰まらせた。


ただの喧嘩ならいい。

事態はもっと深刻で、絡まった糸は、もう誰にも解くことなどできないかもしれない。


すべて、私のせいだ……。




「ごめんね……」



サンジくんに、ルフィに、あんな顔をさせてしまった。


私が弱く、狡いばかりに………





「ナミ、入るぞ」


「…………え…」


ノックもせずに訪れた予想外の人物に、固まる。


やんちゃに歯を見せた朗らかな面持ちで、雪駄を鳴らして駆け寄るルフィ。

久しぶりに見るきらきらした瞳に、

先日のサンジくんとの衝突はまさか夢だったのだろうかと一瞬思考が停止した。



「島が見えた!」


「あ…………ああ、島ね…」


それで…


「でっけェ島だぞ!街も、森も見える!肉もある!絶対ェだ!」


「……その根拠はなんなの」


肉の匂いがする!と胸をときめかせる姿に、笑みがこぼれる。

楽しいことがやってくると、喧嘩もいざこざもいったんは無にして楽しく生きる。

たとえどんなことがおきようと、やはりルフィはルフィだ。


「じゃあ、進路確認するから……」


「あ…………まってくれ」


肩に手を乗せられたため、持ち上げようとした腰を再びソファに沈めた。

久しぶりに感じるルフィの温もりに、心音が大きくなる。


「……な、なに?」


「……島に着いたらよ、しよう!冒険!」


「冒険……」


ここ最近の沈んだ気持ちとはそぐわない陽気な響きに胸が鳴った。

ルフィはニカリと歯を見せて、笑う。


「一緒に行こう!おれとナミで!」


「………あ、でも……」


既にサンジくんにも知られて、釘を刺すように警告された今、

ふたりで出掛けることなんて、とても許されるとは思えない。

これ以上ルフィとサンジくんの間を摩擦するわけにはいかないと俯くと、

ルフィの手が私の頬に触れた。



「……心配すんな。仲間として誘ってんだ」



あいつに怒られるようなことは、なんもしねェよ。


「…………っ、」


掠れたその声が、とても優しく柔らかく聞こえて

私は一瞬にして息の仕方を忘れた。


どうして、どうして、


せっかくルフィが歩み寄ってくれているのに……


仲間と言われることを、


……さみしいなんて思っているの。


私には、サンジくんがいる。


愛さなきゃ、愛さなきゃ、


サンジくんを、愛さなきゃ。






コンコンコン


聞きなれたノックのリズムに肩を震わせる。


「ナミさん、開けるよ」


「サンジくんっ、まっ……」


トレーを片手に扉を開けたサンジくんを振り返り、ルフィはゆっくりと私の頬から手を引いた。

もう二度と動き出さないのではないかと思うくらいに、サンジくんはとても長い時間静止していたように思われた。


「…………紅茶をお持ちしました」


「あ、……ありがと…」


しかし気づけばにこりと笑みを浮かべた彼はいつもの所作で扉を閉めた。

サンジくんがソファの斜め前に歩み寄るのに合わせて、ルフィは黙って一歩足を引いた。


「……おまえも何か飲むか?ルフィ……」


「……んー、いや、おれはいいや」


「そうか、………なァ、ルフィ……」


「んー?」


帽子の後ろに手で胡座をかき間の抜けた返事をするルフィから、サンジくんの綺麗な指の動きに視線を移し、息をのんだ。



「おれは、言わなかったか……?」


「なにを?」


穏やかな口調が部屋の中にピリリと重い膜を張った。

いつも通りポットから熱々の紅茶を注ぎ終わると、サンジくんは姿勢を正してルフィを見た。



「ナミさんには近づくなと…………」



無機質なその声にも、ルフィは顔色を変えなかった。


「……ハッキリそうは言われてねェ」


「あァ……そうだったな。だがてめェがガキじゃねェって言うんなら、おれの言葉の裏にある含みも汲むことができたはずだよなァ。……その上で、ここに、何をしにきた………?」


「……あ、サンジくん……あのね、ルフィは……」


なんとかこの状況を打破しようと口を開くと、「島が見えたと知らせに来た」と言うより早く間髪入れずにルフィの口が動いた。


「次の島でナミと冒険しようと思ってよ、誘いに来たんだ」


今まで綺麗だった頬を、サンジくんは初めて歪ませた。


「…………てめェ……何か、勘違いしてねェか……?」


「…………なにをだよ」


俯き加減で真っ直ぐルフィの前に立ったサンジくんの肩は、息切れしているみたいに上下して、

いつも優しく私に触れるしなやかなその手が赤い襟を掴んだ次の瞬間、空気を揺らす大きな怒鳴り声が部屋に響いた。




「おれはてめェを許してやったわけでも…!!見逃してやったわけでもねェぞルフィッ!!!」


パリン、パリン、癇癪玉が砕け散るように、ふたりの中の思いが弾けた瞬間だった。


「そんなことわかってる…!許してもらおうとも見逃してもらおうとも、おれは最初から思ってねェ!」

「その態度はなんなんだ!てめェ自分の立場がわかってんのか!?どうしてここにいる!?どうしてこの期に及んでナミさんに近づこうとするんだよッ!?」

「ナミがおまえのものだって言うなら、これからおれは正々堂々とおまえと勝負する!!仲間として正面から、ナミを奪いにいく!!」

「今さら大口叩いて仲間だと!?てめェその仲間に何をした!?人の女に手ェ出しといて…ッ、よくも尊大な口がきけたもんだな!!?」

「じゃあどうしろって言うんだよ!?仲間として一緒にいることまで奪うのか!?」

「虫酸が走んだよ…!!てめェのそのナミさんに対する執着心!!突き進んでどうにかなるもんと、引き際をわきまえなきゃならねェもんがあるだろうがッ!!調子に乗るなよ!?何もかも思い通りになると思うなッ!!」

「仕方ねェだろッ!!おれだってナミの傍にいてェんだッ!!好きな気持ちは簡単に消えるもんじゃねェッ!!!」



大きな音を立ててルフィの身体が床に叩きつけられた。

サンジくんが、振り切った足で床を踏みしめて震える息を吐く。

静まり返った部屋でようやく我にかえった私は咄嗟に立ち上がった。


「…………ルフィっ!!」


「っ……ナミさんッ!!」


駆け出した私の腕を強く掴む手。それを辿るとルフィの傍に寄ることを咎めるように怖い顔をしたサンジくんがいて、

思わず動きを止めて肩を揺らした。


「……サンジ、おまえの言う通り、確かにナミは……おれのものなんかじゃねェよな……」


「……それがわかってるなら話は早ェ。ルフィ、今後一切ナミさんには……」


「けどナミは…!おまえのもんでもねェだろッ!!」


「……ッ、何が言いてェ……」


立ち上がって血を拭ったルフィに舌打ちをして向かっていくサンジくんを止めようと手を伸ばすが、

震える指は頼りなくガタガタと宙を掴むだけだった。


「おれのもんでも、おまえのもんでもねェ!!ナミは……ナミのもんだろッ!!」

「ふざけるのもたいがいにしろよルフィ!!!ナミさんはおれの恋人だぞ!!」

「ナミの意思はナミのもんだ!!おれたちが奪っていいもんじゃねェ!!」


縺れるように転がり倒れて互いを組み伏せ合うふたりの姿がぼやけていく。


「おねが…………もうやめてッ!!!」


馬乗りになったサンジくんの腕にしがみつくと、組み敷かれているルフィの手が私の肩を掴んだ。


「ナミ……どいてろ……」

「ルフィ……でも……」


下から強い瞳で訴えるルフィと目が合った瞬間、大きく身体がぐらついて弾き飛ばされる。

サンジくんが私の肩からルフィの手を掴み落としていた。



「…………ナミさんに触れていい男は、おまえじゃねェぞルフィ……」


「……………………」


「彼女はおれの女だ……おまえには、一触れたりとも許さねェ………」


「……………………」


「おれがおまえを殺しにかかる前に……あきらめろ……ルフィ……」



頼むから……



そんな祈りのようにも聞こえる声を絞り出し、

眉も唇も歪めたサンジくんに見下ろされたまま、

ルフィもまた、苦しげな声を吐き出した。




「…………悪ィ、サンジ…………あきらめきれねェ…………」



喉の奥で唸るように呻いてルフィの服をちぎれんばかりに握りしめたサンジくんの拳を、

そんなサンジくんを見上げて心臓を引き裂かれたかのように眉を寄せたルフィを見て、


私の中の何かが、吹っ切れた。




「私が…………船を降りるわ……」


こんなになるふたりを、もう見たくない。

私がいなくなれば、ふたりがいがみ合うこともない。



「………………ナ、ナミさん、なに言って……」

「だってそうでしょう!?全部私がいけないのよッ!!サンジくんがいるのに…ルフィと関係を持ったりして…!!ふたりが傷つけ合うことなんてないッ!!私が……私ひとりが罰を受ければいいんだから…!!だから、だから私がこの一味を……ッ!!」

「ナミィィッ!!!!」



頬に電気のような痛みを感じた。

ペチンッと頼りない音が耳に響いて何が起こったのか理解した。

目の前には物凄い剣幕で私を睨むルフィがいた。



「…………ッ、てめェルフィ…!!ナミさんになんてこと……!!!」


「うるせェッッ!!!!」


「……ッ」


船中に響き渡る程の大声に、私もサンジくんも息をのんだ。

伸ばしかけたサンジくんの手を振り切って、ルフィが私の肩を掴む。


「ナミおまえッ!!二度と言うな!!船を降りるなんて……………二度とッ!!!」


「……っ、」


「そんなこと誰も望んでねェ!!死んでもおれが許さねェッ!たとえおまえが船を降りてもおれはおまえを地の果てまで追いかけて引きずってでも連れ戻すぞッ!!!」


「……………」


ルフィの熱い指が肩にめり込む感覚と、自分の激しい心臓だけが身体を這った。

放心する私の前で膝を床につけ俯いたルフィは、脱け殻みたいに力の抜けた声で呟く。



「好きとか、嫌いとか、何が正しいとか、責任とか、後悔とか、…………そんなことの前に……」


「………………」


「おまえも、おれも、サンジも…………」





仲間だろ………………




「………………ルフィ…」


ルフィはすとんと私の肩から腕を下ろすと握りしめた拳を床についた。

力なく座り込んで項垂れる三人の浅く乱れた呼吸だけが部屋を舞う。




「……ナミさんにあたんな……ここまで追いつめちまったのは……おれたちだ……」


「……あァ……そうだな…………けじめをつけよう……」



ポツリ、ポツリと交わされたふたりの会話をぼんやりしたまま耳に入れる。

立ち上がってズポンを叩いたルフィは帽子を一度顔の前にかざし、大きく息を吐いた。




「ナミを頼む、サンジ……」


「………………」


「………………」


帽子をかぶり直して顔を上げたルフィが、


何もかも忘れた太陽みたいに笑っていたから、


私の胸は握られたみたいに痛かった。



「ナミはおれの、大切な仲間なんだ……これからも……」


「……っ、」


「……あァ、任せとけ、船長……」




サンジくんの返事を聞いて満足そうに微笑んだルフィの深く大きく優しい瞳が、


私たちの、何もかもを“過去”にした。








見せかけ天使は海の微笑み









鳥は空へと放たれた。





END

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