過去拍手御礼novels2

□捕獲困難
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「追われると逃げたくなる」という心理には、根拠がある。


男は元来獲物を追う立場にあり、より逃げ足の速く生命力の強い質の良い獲物を本能的に求めるものだ。


従って、逆に自分を追ってくる女に対しては、


「簡単に手に入りそう」な「質の悪い」獲物であると認識する。


そんな女と交際するよりも、手に入るか入らないか微妙な線の女を追い求めるものらしい。



…………だからなのか。




「ねぇ、ロー」


「………………」


「ねぇ、聞いてるの?」


「………………」


「……ねぇってば!」


「…………うるせェ」



嫌いだなんて思ったことは、一度もない。


華のある顔立ち、均整のとれた佇まい、可憐な雰囲気、聡明さ、たぐいまれなる才能。

少々金にがめつく短気なところを差し引いても、魅力の方が有り余る。


涙はダイヤ、微笑みは下弦の月、白い肌は淡雪だ。


世の中の女100人のうち100人が、妬み羨み憧れ、

世の中の男100人のうち100人が、魅せられそそられ虜になる。


かくいうおれも並び無いその存在に心酔して追い求めたひとりだ。


しかしあの手この手をつかってようやく手に入れた女は予想以上におれに入れ揚げしているご様子で、

今となってはどこに行くにも何をするにも付きまとってくるのは向こうの方だ。



「ちょっと!うるさいって何よ!?せっかく来てるんだからもうちょっと構ってくれてもいいんじゃない!?」


「あとで構ってやるから大人しくしてろ」



嫌いだなんて思ったことは、一度もない。


甘えて擦り寄ってくる仕草も上目使いでねだる表情も、

こうして拗ねて唇を尖らせているのだって、他のどんな女より愛くるしい。


ただ……


「……今度いつ会えるかわからない愛しい彼女より、いつでも読める医学書をとるんだ?へぇー」



そう、ただ、“面倒”なのだ。



「……退屈ならシャチにでも遊んでもらえ」


浅くため息をついて、だらしくデスクに頬杖をついてみせる。

このおれにマメさを要求するなんて、蟹に前進歩行を要求するようなもの。

あと数十分もしたら読み終わるのだから、肩やら背中やらにまとわりつかず、じっとしていてほしいものだ。


「………ローのバカ。冷徹非道。引きこもり。薄情者。パンダ男」


「なんとでも言え」


「……そんなにないがしろにしてたら、愛しい愛しいあの子は頬っぺたを風船みたいに膨らませて飛んでっちゃうわよ?ふわふわ〜って、誰かのとこに…」


あり得ない。もうおれ無しじゃ生きられないおまえが。

至りておれにゾッコンのくせして。


そんな脅しには乗らないというようにベッドに移動して読書を再開しようとしたとき、

つい今の今まで手の中にあった本の重みがいつの間にか消えていることに気がついた。


「…………あ?」


「やっとこっち見たわね」


「……なんのつもりだ。さっさとこっちに寄越せ…」


「い、や!!」


おれからすった医学書を抱えて一目散に部屋を飛び出したナミの後を、舌打ちをして追いかける。

何をやらかす気か知らないが、読みかけの大事な資料だ。





「あ!ナミー!そんなに急いでどうしたのー?」


「ベポっ!この本食べて!!」


「え、えぇぇぇッ!!?」


おれヤギじゃないよー!と目を丸くするベポと、ベポに本を押し付けるナミの姿を捉えて叫ぶ。


「ベポ!!そいつを捕まえろ!!」


「えっ…!?ナミを!?」


弾かれたように振り返ったナミは白い巨体をかわして狭い通路を脇目もふらず逃げていく。


「ペンギンどいてっ!!」


「何をそんなに焦っている?船内は走行禁止だぞ」


「ペンギンそいつをおさえろ!!」


えっ?と瞠目するペンギンの横をすり抜け飛ぶように駆けていくスピードは脱兎のごとく。

こいつの逃げ足の速さはどうなってやがる。


「船長も走っちゃダメですよー!」なんて呑気な声を背中に受けつつ、追走する。


ナミは甲板に続くドアを開けると目にも止まらぬ速さで船の縁に疾走し、大きく腕を振りかぶった。


「!!オイ待て…!!」


おれの叫びも空しく能力を発動したときには読みかけの紙の束は海の藻屑と沈んでいった。



「………………」


「…………どういうつもりだ」


揺らめき消えていく影をみとりながら呟いたおれを無視して、

ナミは数度浅く呼吸を繰り返すと開け放たれた船内への扉に向かって行く。

そのふてぶてしい態度はおれの堪忍袋の緒を切るには十分だった。


「聞いてんのか!?ナミ…!!」


少しドスのきいた声で凄むと扉の前で足を止めたナミがゆっくりとこちらを振り返った。


「………………」


目の下を真っ赤にして黒目を滴で揺らしながら睨んできた瞳の強さに思わず息をつめる。

動きの止まったおれをひとり置いて、ナミは何も言わずに船の中に消えていった。

バタンッと虚ろな音を響かせた扉をしばらく唖然と眺めていたが、

先ほどの言葉が頭をよぎった瞬間、肝が噛み砕かれたように胃が収縮するのを感じた。



“飛んでっちゃうわよ”


まさか。

あり得ない。

追う必要などないくらい、ナミはおれに……


「……っ、」


口の中で鈍く舌を打って足早に船内へ戻る。

どうせふてくされておれのベッドでうずくまっているに違いない。

どうせおれが来るのを待っているに……



「ナ、ナミ…!どうした……!?」


しかしそんな予想は船に入ってすぐに聞こえてきたシャチの声が、外れだということを告げた。


「シャチ…このままでいて。おねがい…」


「……っ、えええっ!?いやいやおまえ…!きゅ、急にどうし………うわっ!船長!!」


食堂に踏み込んだおれに気がつくと、シャチはすぐに「誤解です!」と両手を上げた。

その身体に正面から抱きついているナミを見て、心臓が大きく唸りだす。


「ねぇシャチ、私暇なの。遊びましょう?」


「あ、遊ぶって…いやいやマ、マズイって…!おまえ相手間違えてるって!」


「間違えてないわよ。何して遊ぶ?大人の遊びでもいいわよ?」


「……っ!んなっ、だ、……だめだろ…!」


そう言いながらも、ナミの腰や背中を引き剥がそうとしていた手は自然と撫ですくめる動きに変わっていく。


「……てめェ、シャチ」


「…っ!せ、船長、違います!何もしてませんって!!」


刀を床に叩きつけてもびくびくするのはシャチだけで、

ナミの方はおれの存在なんて気づいていないかのようにシャチを見上げる瞳に色気を宿した。


「シャチ……私とキスしてみる?」


「えぇっ!!?いいのっ!!?」


「………………」


いいわけねェだろ。と殺気を送るとシャチは「嘘です」と声を裏返らせながら本格的にナミを引き剥がしにかかった。

しかしどうしてもシャチにしがみついて放れないナミを、とりあえずそのまま船長室に連行することになり、

ナミを抱き抱えるシャチの背中を、おれは沸々悶々としながら据わった目付きで睨んでいた。






「…………なんの罰ですかね、コレ」


「うるせェとっとと消えろ」


おれ悪くないんじゃ…!という背中を蹴って、ナミの代わりに資料の山を抱えたシャチを早々に部屋から追い出すと、

資料の代わりに本棚の前に座したナミに向き直る。




「………………」


「…………本のことは、もういい。構ってやるから他の男にあんな真似すんじゃねェ」


「………………」


完全無視してそっぽを向いているナミに近づき、手を伸ばす。


……まさか、本当に、おれを嫌いになったのか?

自分の女を顧みない性格に嫌気がさして、

見切りをつけたのか……?

まさか……

だってこいつはおれのことを、あんなに好きでいたのに。


「ナミ……」


「………………」


望み通り優しく包みこんでやるはずだったのに、

あろうことかおれの手を払いのけ、ナミは扉へと向かった。

いつもなら少し相手をしてやるだけで簡単にほだされるのに、

こんなに反抗的な態度は初めてだ。


「……っ、待て!!」


「………………」



すぐに手首を捕まえて、逃げられないようにベッドに縫い付けた。

それでもナミはおれの顔さえ見もせずに黙っている。

強い意志のあるやつだ。一度決めたら曲げない性格。

甲板で見た傷ついた表情が頭をかすめ、おれの焦燥を一気に煽った。




「悪かった…………」


「………………」


「ないがしろにして悪かった。こういう性格なんだ……おまえのことを想ってないわけじゃねェ」


「………………」


ベッドと背中の間に腕を入れてぎゅっと抱きしめる。

別のことに気を取られる瞬間があったとしても、

もちろん、こうすることは間違いなくおれの望みだ。



「おまえは知識や経験と違って、こっちから追わなくても、おれのところに戻ってくる」


「………………」


「だからつい、安心して別のことに気を向けちまう……追われることはあっても、追う必要なんてねェと思ってたんだ……」


「………………」


「だが、これからはきちんと受け止める……おれを追ってくるおまえを、無下にしたりは……」


「なにいってんの……?」


思ったよりもあっけらかんとした声色に違和感を感じて顔を上げると、

いつもと変わらぬ愛くるしい瞳がおれを見上げていた。



「…………なにって、だからおれは……」


「ずっと、あんたが私を追いかけてきたんじゃない」


「………………あ?」


困惑の表情で眉を寄せたおれに、ナミは小首をかしげつつ飄々と返す。


「追いかけてきたじゃない、さっき、私を」


「…………あれはおまえに奪われた医学書を…」


「医学書海に捨ててからも、追ってきたわよ?」


「………………」



頭の中で何かがぐるぐると渦を巻く。

この部屋を出てここで捕まえるまで、確かにおれはこいつの後ろを……


「“待て待て”って、しつこく追ってきてるのは、最初からローの方よ?」


「………それは、」


「あら?現に今ここで私の動きを封じてるのは、逃げられないようにするためでしょう?」


「………………」



担がれたのか……?おれは。


開いた口をそのままに自分が捕獲した女を見下ろすと、


生意気と形容するにふさわしい余裕の笑みを浮かべていた。




「でも、残念ねー。私って追われると逃げたくなるたちなのよね」


「な……っ!!」






「追われると逃げたくなる」という心理には、根拠がある。


男は元来獲物を追う立場にあり、より逃げ足の速く、生命力の強い質の良い獲物を本能的に求めるものだ。


従って簡単に手に入りそうな女と交際するよりも、


手に入るか入らないか微妙な線の女を追い求めるものらしい。



…………だからなのか。




「じゃ、今度はペンギンとでも遊んでこよっかなー」



力の抜けたおれの腕をあっという間にすり抜けて、

するりと脇を通ってドアノブに手をかけた、尋常じゃなく逃げ足の速いその女を追っていたのは、




「ま…………待ちやがれ……ッ!!」





気がつけば、おれだった。









捕獲困難








逃げられると、追いたくなる。






「ペンギンっ、遊んでっ!」
「はっ!?おまえ!なにを抱きついて…!」
「てめェその女をこっちに寄越せ!いっそ縛り付けにしてやる!」
「えー?なにー?最初と言ってることが違うわよー?」
「うるせェ!」
(まったく騒がしいカップルだ……)






END

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