過去拍手御礼novels2
□見破られた恋
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「………あんた、なにしてんの」
こんなところで、こんな時間に。
人の船でこんな真夜中に飲み物を調達しようとしていた私が言うのもなんだけど。
薄暗い食堂のキッチン内でシンクに人影が寄りかかっていたら、ちょっと不気味なんだってば。
「………………なァ、おまえ、」
「なに?私は寝酒もらいにきただけよ」
「おまえ……あいつによく口説かれてるよなァ…?」
お酒を求めて恐る恐るキッチンに足を進めると、
壁の向こうに何か見えるのか、ローは遠く遠くに視線を置いて何に話しかけているのかもわからない調子でそう言った。
「…………あいつ?」
「あいつだ、あの…………おかしな眉の……」
「サンジくんのこと?」
よく見ると傍らには空の瓶が転がっていて、もしかしてこれは世にも珍しい酒に飲まれたローではなかろうかと、
思わずその姿を凝視した。
「あァ、……そんな名前のやつ……」
「……別に、よくあることよ?サンジくんが女を口説くのも、私が男に口説かれるのも」
話の脈略の無さといい、切れ味なく揺らめく瞳といい、
腑抜けのように虚ろな様子を、チラチラと盗み見ながら足を進める。
もっと泣き上戸になるとかおしゃべりになるとかならまだしも、
翌日弱味を握って遊べるような醜態は見られない。
「…………そうだな」
「………………そうよ」
なーんだこいつ、酔ってもつまんない男なのね。
いつも通り何を考えているのかわからない普通のローにほんのちょっとがっかりして、
狭いキッチンの半分を塞いでいるその身体の前を通りすぎようとしたときだった。
「おれにも口説かれてみるか………?」
「え………………?」
気づいたときにはアルコールの匂いとしなやかな腕に包まれていて、
意味がわからず棒を呑んだようにフリーズすると、
そんなことなんて気にもとめずに尚も頭上からは涼しい声が落ちてくる。
「おれのもんにしてみせる……」
「へっ?なっ、なに!?なんなの!?」
「おまえの、柔い髪も、白い肌も、芯のある眼差しも…………」
「ちょ、えっ!?えぇっ!?」
「…………なんだよ、口説かれることには慣れてんだろ?」
「えっ、……い、いや…」
「慣れてんだろ……?」
「は、はい」
ひいいいっ!?なに!?なんかの呪文!?宗教!?洗脳!?
ていうか……えっ!!?
私…………
抱きしめられてるの!!?
「けどまァ…………」
「なっ、なに、…………」
顎を掴まれ見上げれば、目の前のローは思ったよりもずっと大きくて、
近づいてくる瞳はちょうど私のほぼ真上で熱に当てられたようにとろりと溶けた。
「この、生意気な唇が…………いちばん欲しい…………」
「っ、」
重なったそれは普段の冷めた雰囲気からは想像できないほどに熱を帯びていて、
口から滑り込んできた舌はやっぱりほんのりとアルコールの味がした。
「…………少しはおまえ、おれを見ろ……」
「ろ、…………え?ちょっと…!」
耳元で呟いたかと思うとずるずると力の抜け出したその身体を
私の力では支えることができず、
ローはそのままべったりと床に手足を投げ出した。
「………………」
「えっ、……ちょ、ちょっと……」
寝たの!?
もしかして、寝ちゃったわけ!?
「誰かいるのか?」
突然の嵐に目を白黒させて放心していると、入り口の方からとても心強い男の声がして顔を上げた。
「ぺ、ぺぺぺぺペンギンッ!!!」
「なっ、…んだおまえか。……そんなに取り乱してどうした?ゴキブリでも出たのか?」
確かにゴキブリが出たときと同じ取り乱し方!!!
……って違う!!!
「ごっ、ゴキブリよりっ、……びっ、びっくりするもの!!!」
「ゴキブリより……?新種の虫でも発見したか?」
「だ、だからそうじゃなくてっ!!」
キッチンに入ってきたペンギンは床にへたりこむローを見て足を止めた。
「……船長じゃないか。あんたこんなところで何してるんだ」
「そ、それが、よ、酔ってるみたいでっ、ね、……寝ちゃって……」
ぷるぷる震える手で空の瓶を指差すと、ペンギンはそれを手に取り眉をしかめた。
「…………あァ、確かに相当酔ってるみたいだな、まったく……」
動揺している私を見て浅くため息をついたペンギンは「おまえも早く寝ろ」と言い残し、
嵐のようなその男をかついで部屋に連れ帰ったのだった。
ーー−
「………………」
「…………なんだ」
「…………べっつにー」
不貞腐れた私の態度に思い切り眉を寄せたローは、
昼食のトレーにも手をつけず新聞に視線を戻す。
私はその顔をじとりと横目で眺め、その口から謝罪や言い訳の言葉が出るのを待つ。
そもそも私はベポに会いにきたのであって、いまだ得たいの知れないこの男の傍にいるのは本意ではないというのに。
「言いたいことがあるならはっきり言え」
ええありますとも山ほどね!!
昨日の今日だっていうのになんなのよその涼しい顔!!
だいたいあれだけのことしといて覚えてないってどういうこと!?えぇ!?
乙女の唇奪っておいて何も知りませんじゃすまされないってのよ!!
あんたがあんなことするから、こっちは気になって一睡もできなかったでしょうがーーー!!
「……なんでもありませーん」
「だったらじろじろ見るな。気が散る」
キィィーーーッ!!!
「まぁまぁ、おまえも飯を食え」
拳を握りしめて心の中で息切れしていると、
突っ立ったままの私にペンギンが昼食を運んでくれた。
今朝ローが起きてくる前に昨夜の話をしたときも、
ペンギンは今みたいな苦笑いをつくって私の頭を撫でてくれた。
「ペンギ〜〜ンっ!!もういやーーっ!!」
「わかったわかった、あとで話を聞いてやる」
兄のようにあやしてくれるペンギンの胸にしがみついていると、
その間を引き裂くかのように、半ば強引に人が通り抜けた。
「邪魔だ」
「っ、もうっ!!なんなのあんたっ!!!」
「………………」
抗議の声を小言とばかりに無視してコーヒーのおかわりを淹れているローに、ついに私の堪忍袋の緒も切れた。
「ちょっと聞いてんの!?」
「…………うるせェ」
「昨日あんたっ、私に何したか覚えてないわけ!?」
「あ……?」
「信じらんない!!慰謝料請求するわよ!?」
「はぁ?」
「なにのうのうと新聞なんて読んでるのよ!なに悠々とコーヒーなんて飲んでるの!?なんで私ばっかりイライラしなきゃなんないわけ!?なんで私が振り回されなきゃいけないのよ!?私が昨日どんな思いで……」
「………………」
「どんな思いで……いたと思って……」
「………………」
「……なんで、あんたが……あんなことしたのか……考えて……」
「………………」
「……あんたのことが、気になって…………何も、手につかないじゃない……」
シンクに寄りかかるローにツカツカ迫っていた足の勢いが落ちていく。
…………あれ。
何を言ってるんだろう。
たかだか酔っぱらいの言動に動揺して。
覚えてないなら、なかったことにすればいいだけの話じゃない。
だけど、なんで私は、
昨日のことを、「なかったこと」に……したくないと思ってるんだろう……
「責任を取ってやろうか?」
「………………え?」
気づいたときにはアルコールの匂いとしなやかな腕に包まれていた。
「おれの女になればいい」
「……っ、な、なに言って…」
「口説かれることには慣れてんだろ?」
「え…………?」
この感覚を知っている。
昨夜感じた体温と、声と、瞳と、ローの匂い。
「おまえの、柔い髪も、白い肌も、芯のある眼差しも…………」
「………………」
「全部おれのものになればいい……」
「………………」
「この生意気な唇と同じようになァ……」
「なっ、お、覚えて…!!」
見上げた先でニヤリと不敵に笑ったローは、どんな言葉も発せずに戸惑う私の唇を、
ゆるゆると親指でなぞりながら悪戯に首を傾けた。
「おれがいつ、酔ってるなんて言った……?」
「…………」
「誰が、昨夜のことを覚えてねェと言ったんだ……?」
「…………」
大きく見開く私の瞳のほぼ真上から、愉悦に綻ぶ熱の瞳が近づいて、
互いの姿をそこに映した。
「ようやく自分の気持ちに気づいたようだなァ……」
「…………」
「おまえが、あまりに鈍くて手に負えねェから、教えてやったんだ……」
「……っ、」
唇が触れる寸前、息だけで囁かれたそれを真実だと認めたのは、
苦しいくらいに脈を打つ、私の心臓の音だった。
「おれたちは、互いに求め合っている」
見破られた恋
「だ、だ、だってペンギンもローは酔ってるって…!」
「“酒に”酔ってるなんて一言も言ってないぞ」
「えっ!?」
「船長があれくらいの酒で泥酔するわけがないだろう」
「え?じゃあローは何に酔ってたの?」
「………船長、やっぱりこいつ、鈍感すぎます」
「あァわかってる。これからたっぷり教えてやる。おれが何に酔わされてんのかをなァ」
「えっ?えっ?」
(酒よりおまえの方が中毒性が高ェんだよ、バカ)
END