過去拍手御礼novels2

□あげてもいいよ
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悪いとは思ったけれど、今日中に海図と日誌を仕上げてしまいたかった。


あるいは付き合って初めてのふたりきりの夜に、普段通りに振る舞っていなければ平静さを保っていられないと思ったのかもしれない。


とにかく私が作業をしているうちに、彼は眠りについてしまったようだ。



「もうこんな時間か……」



日誌を閉じて席を立つ。

普段目にするスーツ姿とは違うシンプルでラフなスウェットに包まれた身体が、私のベッドに横たわっている。

それがなんだか不思議で、それでいてくすぐったくて嬉しくて、私の頬は自然と緩む。


「…………きれいね…」


何が、とは言い表せない。

例えばムラのない金色の髪の毛だったり、整った鼻筋だったり、顔と胴体と手足の絶妙なバランスだったりするのかもしれない。

清廉とも違う、容姿端麗では言葉足りない、

雰囲気やオーラも含めて、存在自体が美しい。


「………………ん、」


彼が吐息を漏らした拍子にぴくりと動いた剥き出しの喉元。

繊細なのに男らしいそこに触れたら、どんな感じがするのだろう。

その下の胸板は、腹筋は……

やはりどこも作り物みたいに綺麗なのだろうか。

キスやバグをしたことはあっても、その奥にある生身の温度を、私は知らない。


「………………」


部屋が静寂に包まれる。規則的な彼の寝息だけが私の鼓膜をくすぐる。

首筋に向けてそっと、手を伸ばす。

俗な女で構わない。あさましくても、さもしくても、


私は…………








「……触ってみたい?」


「っ、」


肌にかかる寸前の手を掴まれ動転する。

その先では薄く瞼を開けた彼が私を見上げていた。


「触ってみたいの?おれに…………」


「サンジくんっ、お、起きてたの?」


「ん、……今ね…」


穏やかに微笑んで、それでも私の手を放そうとはしない彼に当惑する。

品の欠けた女だと思われただろうか。寝ている男の姿にわくついてしまったなんて。


「触ってみる?……おれの身体……」


「………………」


静かに囁く甘い声に期待と不安を煽られて閉口すると、掴まれていた手が目的の場所に誘導された。


「触っていいよ……ナミさんなら…………」


そう言って彼は優しく目を細めた。


「っ、サンジくん、あの、」


「いいから……集中して?」


一回りも大きな手が私の手の甲にかぶさって、彼の耳の後ろから首筋をなぞっていく。

薄い皮に包まれた滑らかな質感からトクトクと脈の動きを感じて息を飲む。


あったかい。


保温されたようにじわじわと熱を発する肌が、私の身体も熱くする。

色気を放つ鎖骨には指を押し当てるようにして私の手を動かす手。

思ったよりも筋肉の形をはっきりと感じることができる胸板、

力を抜いているのに均等に割れ目をつくっている腹筋、

私の手を這わせながら時折胸を上下に動かし吐息を吐くその艶っぽい表情に、目の前がくらくらした。




「触ってみての感想は?」


お腹に添えた手の甲をにぎにぎしながら、悪戯っぽく首を傾げてみせた彼に少し考える素振りをしてみせた。


「………なんていうか、……無駄な肉が無くて、繊細っていうか……綺麗、だったわ……」


ごにょごにょと呟いて視線をさ迷わせると、私の手に彼の力が加わった。


「それだけ?」

「え……?」

「他にはなんにも思わなかった?」

「………………」


彼の瞳が探るように私を見つめる。

指先に、力が入る。言葉一つ、動き一つ、瞬き一つで何もかもが見透かされてしまいそうなこの一瞬。


「おれは、ナミさんに触られて興奮したよ?…………ほら、」


「っ、」


そう言って硬くなった男性の部分にゆっくりと私の手をあてがうと、彼は私を見つめたまま息だけで囁いた。


「おれも、ナミさんに触りてェ……」


「っ、わっ……!」


ぐいっと強く腰と腕を引かれて瞬く間にベッドに沈んだ私の身体にふわりと布団がかけられた。

突然のことで心臓が爆発しそうに音を立てる。

片腕を私の身体の下に入れてぎゅっと抱き寄せると、私の手は再び彼の猛るそこに押し当てられた。


「すげェ勃ってるだろ?ナミさんに触られただけで、おれはそういう気分になっちまう……」

「へっ?あ、ねっ、……寝起きだからとか…じゃないの……?」


照れ隠しで言った私の言葉に、彼の動きが僅か止まった。


「…………ふーん、そんなことも知ってるんだね?……妬けちまうなァ……」

「………………」

「……誰に教えてもらったの?」


私の手から離れた彼の手が焦れったく尻を撫で、真顔の視線が真っ直ぐ向かってきたものだから、私はほんの少したじろいだ。


「……べ、別に、誰からも…教わってなんて…ないわよ……」


涼しいのに威圧感のある強い瞳が私の言葉を尻すぼみに消していく。

「触ってて?きもちいいから…」そう言って反り上がるそこを撫でるよう強要し、微笑んだ彼は、

核心をつく質問をぶつけてきた。



「じゃあ…………男の人と、シたことは……?」



真摯な彼の瞳に見つめられるだけでドキドキと胸が高鳴って、ピリピリと肌が痺れる。

胸を焦がすようなこの感覚を、人は恋と言うのだろうか。


「…………ある、わ…」


真剣に私の答えを待っていた彼の唇がぴくりと歪む。

次の瞬間私の頭は熱い首筋に埋められて、尻を這っていた手が狂おしげに肉を掴んだ。



「…………そう、だよなァ……」

「………………」

「おれじゃねェよなァ……」


切ない声を出しているのは彼のはずなのに、私まで胸がじわりと締め付けられる。

彼の首元に寄り添いながら、私はゆっくりと目を閉じた。


「……サンジくんだって、そうでしょう?」

「…………おれのことは、どうだっていいんだよ」

「………………」


私のことだって、どうだっていいのよ。

そう思ったが、口には出さなかった。

彼の気持ちを痛いほどに理解できる私にとっては、それを言ったところで論議の空転に過ぎないのだから。


「男のおれと、女の子のナミさんじゃ、……それの重さが違うだろ……」

「………そう、なのかしら…」


尻の割れ目をなぞった指先に身動いで彼自身の筋を同じように辿ると、

頭上からは吐息混じりの焦れた声が落ちてくる。


「どこの……どいつ……?」


「………………」


「どんなイイ男に……くれてやったの……?」


「………………」


「まさか…………」



この船の野郎じゃねェよな……?



低い声でそう言った彼は、認めないとでも言うように私の腿を引き寄せて自分の足で絡めとった。

いつもの気取った大人の顔を乱して心をぶつけてくる彼が愛しくて、

私は慈愛にも似たキスをひとつ、踊る首の動脈に贈った。



「…………海の、男よ…」


「……っ、」


私の初めての人は、海の男だった。


そう言うと、彼はますます私をかき抱いて、血のほとばしるその熱を大きくした。


「女々しいよな……男のくせにさ……」

「………………」

「過去のことは、どうにもならねェって、頭ではわかってんのに……」

「………………」

「それでも……すげェ……嫌なんだ……」


身体の線を辿りながら服の裾を巻き上げていく彼の手は、私の存在を確かめるように。

私の過去さえ自分のものにしたいと思ってくれている彼に、

過去を進んであなたを愛した私をあげる。



「私の初めては……もう、ここにはないけど……」


「………………」


「私の最後はまだ、誰にもあげてないわ……」


「…………最後……」



素肌を求める彼を受け入れると、彼もまた、生身に触れたいと思う私を受け入れてくれる。


「キスも、手を繋ぐのも……抱きしめ合うのも、言葉を交わすのも……私の最後は、まだ何も無くなってなんかない……」


「………………」


「……大切に、とってあるのよ…」


「…………だったら、」


「………………」



触れ合う身体で熱くなった互いの瞳がぶつかる。

ふたつの身体をひとつにするように、手、足、胸、腹、いたるところを絡め合うと、

このまま溶けてしまうのではないかと思うほどの安らぎに包まれる。

そんな幸福感の中、吐息さえも混じり合うほど近くで彼は、遠い日の私を先約した。





「だったらおれは、その最後をもらうまで…………君を誰にも譲らない」






そのときまで、何度こんなキスを繰り返すのだろう。


それを思うと、今にも胸が壊れそうなほど嬉しくて、涙が滲んだ。









あげてもいいよ







あなたになら、私の最後。





「おれの最後ももらってくれるかい?」
「仕方ないから、受け取ってあげてもいいわよ」
「照れ屋な君も好きだな」





END

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