過去拍手御礼novels2

□見せかけ天使と悪魔の聴取
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少し……痩せたか……。



回した腕の先が以前よりも余る気がして、負い目を感じずにはいられなかった。


「……ナミさん、午後のおやつは何が食いてェ?」


罪滅ぼしなのかもしれない。

おれの指が、雲をつかむように優しく彼女の髪を鋤くのも、

おれの口が、何かにつけてその名を囁き彼女を甘やかすのも、

おれの瞳が、他の誰よりも柔らかく彼女を見つめるのも……

己のエゴと行き場のない嫉妬で縛りつけにしてしまったこと。

決して消滅することのない烙印を刻んでしまったことへの、謝罪の現れなのだろうか。



何度も刻んだその痕は、もうすぐその身体から消え去ってしまうというのに……。



「……ん、サンジくんの好きなものでいいわ…」


おれの胸にもたれかかる彼女の身体が少しずつ、少しずつ、小さくなっていくようで、

彼女の中に潜在する罪の意識がその身を削り、いつの日か、存在ごと消えてしまわぬよう、

腕の中にきつくきつく閉じ込めた。


「……じゃあ、オレンジピールでチョコレートケーキでもつくろうか。好きでしょう?」


うっすらと目を細めて「好きよ」と言いながら抱きしめ返してくれるその手のひらが、

必死で、必死で、いたたまれない。


無理矢理につくっているその笑顔がどうしてか、船を降りると言ったときの悲痛な表情とリンクして、

おれの胸は息を押し出すのも苦痛なくらい痛くなった。


いや、違う。


おれじゃねェ、


一番辛いのは、おれじゃねェんだ……


誰よりも良心の阿責を侵し、罪を償おうと心を痛めているのは


彼女なのに……




「サンジーー!」


聞きなれた雪駄の足音が慌ただしく階段を踏み飛ばしてくる気配に、

おれはナミさんから離れ、キッチンに向かった。


「サンジー!腹減った!なんか食いもんねェか?」

「うるせェ。今つくってやるから待ってろくそゴム」


腕捲りをしつつキッチンに入ったおれの後を、不満げな顔のルフィがぺたぺたと追ってくる。

ダイニングのソファで本を取り直したナミさんには見向きもせずに、

ボールや小麦粉を手にしたおれの手元を、いつものように何も考えていないような顔で覗きこむ。


「……まだかー?」

「今始めたばっかだろ、大人しく待ってろ」

「はァーい…」

「………………」

「………………」

「………………」

「……………まだかー?」

「うっせェ黙ってろ!!」


シンクに肘をつき、「だってよー…」と唇を尖らせる表情は、少年そのものだ。

疑うことを、歪むことを、人の汚れを、

まるで何も知らないように、その瞳は澄んでいる。


「島に着いてんのに冒険できねェし、つまんねェんだもんよ」

「仕方ねェだろ、本部の連中に見つかるとやっかいだ」


ロビンちゃんの情報では運悪く、海軍本部のお偉いさん方を乗せた船が物資調達のためこの島に1週間ほど滞在するようだ。

こちらも食料の調達をするまでは島を離れるわけにもいかず、

その間反対側の岩場で身を隠すこととなった。


「おれー、冒険しねェと死んじまう病だー」

「ウソップみてェなこと言ってんな」

「嘘じゃねェぞ!海軍なんかと喧嘩するよりよっぽど危険なんだぞ!」

「誰もてめェの心配なんざするかアホめ!確実に船に厄介ごと持ち込むだろうが!」

「……んじゃあ、メシ食わねェと死んじまう病だ」

「おーおーそうだな。安心しろルフィ、人類皆その病にかかってる」


じとりとおれを見上げて頬をふくらませたルフィを無視して卵を取るべく冷蔵庫に手をかけると、

退屈そうな声が今度はダイニングへと向かった。


「ナミぃー、あと何日だー?」



あれ以来……ナミさんをおれに託して以来、ルフィの彼女を見る眼差しは男から、仲間に変わった。

「あきらめきれない」というあのときの言葉が嘘だったかのように、彼女に近づくことを、こいつはぱったりとやめたのだ。


「……さぁ、今日あたりロビンが情報持ってかえってくるんじゃないかしら?」

「そうだナミおまえ…!なんでおれは船出ちゃだめで、ロビンはいいんだ!!」

「あんたが一番の札付き問題児だからよ」

「なんだそれ!あのなおまえら!船長として一言言わせてもらうぞ!おれを遊ばせねェってどういうことだッ!」

「その好奇心旺盛のノリが危ねェんだよ!」


聞き分けのない弟を叱るように、蹴りを食らわす。

ささいな八つ当たり、みっともない嫉妬。

ナミさんは相変わらず活字に目を通してルフィのことをあしらっているし、

ルフィはおれやナミさんを意識なんてちっともしてない。

だけど、それでも、たまらなくムカムカする。

ただ言葉を交わす、ただ名前を呼ぶ、ただ瞳に映す、

おれたちがこじれる以前は眉ひとつ動かさずやり過ごすことのできたそんなことにすら、

もう目をつぶることもできなくなっていた。


ルフィが彼女と情を交わしたと知った瞬間に、

心に宿していた独占欲の蓋が、外れてしまった。


「冒険がだめならサンジ!メシを出してくれェ!」

「うぜェ!まとわりつくな!」


食い物をせがんでおれの腰に絡み付く憎めないそいつ。

無遠慮に無邪気に甘えてくるどうしようもないくそガキ。


今でもにわかに信じがたい。

おれのスーツを握っているその指先が彼女の肌を這ったのが、

おれに文句を垂れているその唇が、彼女と甘い吐息を分け合ったのが……


こんなにもうるさいルフィに無関心なふりをしてページをめくった彼女を視界に入れ、乱暴に卵を割った。





信じがたくて、耐えかねる。





「メシメシメシー!メ………………」


「…………あ?」


ぴたり、暴れていたルフィの動きが止まり、不審に思って腕を上げて腰に目をやると、

様子を伺う間もなくルフィは突然おれから距離を取った。


「…………あ、あー、メシ……メシが食いてェんだ、おれは」

「………だからつくってんだろ。自分のことガキじゃねェっつってたのはどこのどいつだ。少しは大人しく待ってろ」

「お、おう、……そうだな……」


左右に瞳を泳がせたルフィはそれ以上だだをこねることなく扉に向かった。


なんだ……?聞き分けがよくて気持ちわ………


調理台に移動した瞬間、いつもの自分の匂いとは違う甘い匂いがふわりと香って咄嗟に扉を見やると、

ルフィが振り返りもせずにその扉を閉めたところだった。


「…………ったくあの野郎……」


おれの身体に微かに残ったナミさんの匂いに反応しやがったな。

わかりやすいやつ。


そして……


「………………」


じっと本に目を落とす彼女を見る。

おれが手を止めて真っ直ぐ見つめていることにも気づかずに、心ここにあらずぼんやりとしているのが、

めくられることのないそのページからも見てとれる。


それを望んでいたはずなのに、彼女の所有を見せつけた今、

あいつの動揺しきった表情を見ても、面白いなんて微塵も思わない。

彼女は今、正真正銘おれのもの、名実ともにおれの女、


…………なのに。



「…………ナミさんどうかした?」


「え……?ううん……なんでもない」


少し眠くて…そう笑ってみせて、膝の上の本を閉じた彼女に、

湯銭のためのお湯をつくりながら問いかける。



「オレンジ使うし、チョコレートは甘すぎないのがいいよね?」

「えぇ、そっちがいいわ」

「飲み物はどうする?紅茶もいいけどワインも合うと思うよ?」

「じゃあ……ワインに……」

「この前の島で買った皿、あれに盛りつける?それともいつものがいい?」

「……いつものでお願い」

「了解です。ところでその本、新しい航海術の本?」

「えぇ、すごく講究なんだけど、難しくて…」


けれど気候や海流についてとても興味深い内容が載っているのだと言い、シンプルなその表紙に目を落とす。


きれいな瞳だな。


いつ見ても、正直で、気高く、美しい。



「ナミさんはさ、」


「うん、なに?」


「空と、海だったら………………」



どっちが好き?



おれの質問にしばし瞳を瞬かせた後、ナミさんは小窓の外に意識を向けた。



「気になるのは……空……だけど、」


「………………」


「今、恋しいと思うのは………………海、よ」



ふわりと微笑んだ口元と、切なく細められた瞳は、彼女の心そのものだった。

その、心の底から切望するような焦がれた表情が、

おれの中のムカムカした靄の、一切合切を取り払った。



「……ナミさん…」


「……うん、なに?サンジくん…」


火を止めて、エプロンを脱ぎ捨ててダイニングに踏み出す。

穏やかにおれを見つめるナミさんの前まで行き床に膝をつくと、

目の前の細い身体を抱きすくめる。


おれをイライラさせていたものは、嫉妬心や恨みじゃない。




「……ひとつ、お願いがあります……」


「…………えぇ、いいわよ、なんでも言って?」



おれ、本当は、聞こえてたんだ。


ずっと、ずっと、聞こえてたんだ。


小さな口元がおれに微笑んでくれたとき、壊れそうな手がおれの髪を撫でてくれたとき、揺れる瞳がおれを見つめてくれたとき、


君の言葉を遮って唇を重ねたときも、感情に任せて何度も抱いた夜だって、


ずっと、ずっと、聞こえてた。


今、おれの身体を、必死に、必死に、抱きしめ返してくれる手のひらからだって…………



「愛さなきゃ、愛さなきゃ、サンジくんを、愛さなきゃ」



そんな声が、ずっとずっと聞こえている……。


それなのに…………


その声を無視して、彼女が本当に望んでいるものを見ようとしなかった自分が、


たまらなく憎かったのだ。







「おれを…………ふってください……」


「……………………」



背中に回された手がぴくりと揺れ、ナミさんの“声”が消えた。



「もし、この先ナミさんが望んでも……おれからナミさんをふることなんて、間違ってもできません……」


「………………」


「だから今、ナミさんからおれに、別れを告げてください……」


「………………」


「…………わかってるだろ……?いくら探したって……おれの中にあいつの面影は、ねェんだよ……」


「………………」



水平線がそう見せるだけ。

色も、濃さも、深さも、違う。

空と海は決して、交わることはない。



「癪…だけど、あいつの言ったことは…正しい……」


「………………」



“おれのもんでも、おまえのもんでもねェ!!ナミは… …ナミのもんだろッ!!”



「チョコレートの甘さ、飲み物、使う食器………おれは、どんなことでも全部、ナミさんが好きなものを、選んでほしい……」


「………………」


「……どんなに些細な選択肢でも、レディに選ばせて差し上げる……それが、男だ……」


「………………」


「そして、レディが何を選ぼうが、男はそれを否定しちゃならねェ……そうだろう?」


「………………」


「……ナミさんはさっきみてェにただ一言、……“あいつが恋しい”と、そう言ってくれれば……いいんだ……」



情けなくも、声が、指が、瞼が震える。


くそっ、震えんな。


往生際の悪い男は、レディに嫌われんだぜ。


彼女を心から想うなら、放してやれ、放してやれ、放してやれ、放して…



「………………っ、」



耳の先に何かが当たったことに気がついて、顔を上げる。

そこには唇を噛みしめぎゅっと目を閉じて、声も上げずにぽろぽろ、ぽろぽろと、

涙を流す彼女の姿があった。



「…………ナミさん……」


「……っ、……ふっ、」


「おれのために……泣いてくれてるの……?」


「っ、さ、……ん、……ぅっ、」



君は優しくて、柔らかくて、まるでましゅまろみたいだな。

明るく言った言葉にも、ふるふると首を振り、ますます苦しそうに喉を詰まらせる彼女の背中から、

おれは冷たくなってしまった自分の手を放した。



「もし、……もしもだけど、」


「……っ、……ぅっ、」


「君が少しでも、……罪の意識を感じてるんだったらね……それは、間違い」


「……ぅっ、く……」


溢れて止まらない涙が、彼女の心の痛みを訴える。

おれは低い位置から彼女の手を取り、その甲にそっと口づけた。


「おれの願いを聞き入れてくれなかったのは、君じゃねェさ……」


「………………」


死神も、閻魔も、おれの願いの代わりにこの魂を、持っていってはくれなかった。

その証拠に、彼女が流す涙でこんなにも心を震わせているおれがいる。


罪の意識なんて感じることはない。


君の中のどこを探したって、きっと「過ち」なんてどこにもない。


だって、ほら、


唇を置いたそこは、




「……君の手はいつだって、おれにとっては世界一きれいで……温けェ………」


「……っ、………ふっ、」


「もう、“絶対におれを選べ”だなんて、言わねェ。……ナミさんが、選ぶんだ……」


「……さんっ、じ、……くっ、……」


「さぁ、……言って、ナミさん……」


「っ、…………」



辛かったね。

おれたちふたりの想いに応えようと、必死で……


唇を放した手の甲に、額をつける。

おれの冷えた手を温めてくれる手のひらを、ぎゅっと握りしめた。






「おれと、ルフィ、…………どっちが恋しい…………?」



「………………っ、」



「……………………」



「…………る、フィ……」



「……………………」



「ルフィ、が…………恋しいの…………っ、」





苦しさに震えるその唇から、彼女の“本当の声”を聞いたとき、


おれはいつまでも優しく温かいその手の温もりの上で、


そっと笑ってそっと泣いた。









見せかけ天使と悪魔の聴取








君が消えてしまわぬように。








END

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