過去拍手御礼novels2

□見せかけ天使の嘘なき瞳
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「ルフィならいつもの場所だ」


「………………」


私の顔でその名を連想されたことに驚いて何も返せずにいると、

ゾロはキッチン前の手すりに肘をつけ、訝しげに眉をひそめた。


「……おい、聞いてんのか?」


「……あ、うん…」


礼を言うべきか迷いはしたものの、心意がわからない以上頷くしかなくて、

睨むようにこちらに向ってくる視線から逃れるため、大きなその身体を避けて通り過ぎようとしたとき、

伸びてきたゴツイ手が、がしりと私の頭を鷲掴んだ。


「ったく、おまえなァ……」

「な、なにすんのゾロ!?いたい!」

「おまえ、それ以上肉がなくなったら…………貧相で色気の欠片もねェんだよ」

「んな……ッ!?」

「おまえが今あいつにしてやれることは、あいつの飯を食ってやることじゃねェのかよ」

「………………」

「それから、」



前見ねェと転ぶぞ、航海士。



覗きこむ瞳があまりに真剣で、息を飲んだ。



「あら、女性の髪に触れるときはもっと優しくしなくてはだめよ?」


「……ロビン……帰ってたのね……」


階段の影から顔を出したロビンを振り向いてばつが悪そうに舌打ちすると、

ゾロは私の頭を解放し、キッチンに入っていった。



「サンジはダイニングにいるかしら?」

「う、うん…サンジくんなら今、晩ごはんつくってるわ……」


にこりと口元に笑みを浮かべて私の前まで歩いてくると、

ロビンは乱れた私の髪を整えだした。


「……海軍は、明日の朝この島を発つそうよ」

「あ…………そうなんだ……」

「ルフィに伝えたら喜ぶわね。ここのところすごくつまらなそうにしていたから」

「………………」


きれいに笑って首を傾けたロビンが、まだ少し赤みの残る私の目の下を親指で撫でる。

それが冷たく気持ちよくて、自然と瞼がおりていく。


「……私にも、たまには見せてくれないかしら?」

「……え?……何を?」

「あなたの泣き顔に、ぞくぞくしたいものだわ」


ふふっと悪戯にウインクをした優しい笑みに、

今までのいろんな気持ちが溢れ出てしまいそうで、

温かいその身体に思わず抱きついて、ぎゅっと目をつむった。


「……ロビンっ、」

「彼のことは私たちに任せて?」

「ロビンっ、……私っ、」

「何も心配しなくていいのよ、ナミ。あなたはあなたの選んだ道を進みなさい」


そう言って、ロビンが私の背中を押してくれた。


そうよ、私はこの船の航海士。

私が迷っていたら、船も、みんなも、進めない。

彼にはみんながいて、みんなには、彼がいる。


もちろん、私も…………


強くなりたい……みんなのために。



「おーナミ!ちょうどいいとこに!おれ様今からサンジにおやつねだってくるからよ!ルフィのやつを見張っててくれ!」

「見張っててくれ!ルフィがいると全部食われちまうからなっ!おれわたあめがいいなぁ」

「ん〜っ、そろそろコーラを補給しねェとなァ」

「私、お腹がすきました。手伝う代わりに味見させてくれませんかね?サンジさん……あ、そんな“ウマイ”話ないって?ヨホホホ!」


私の頭や肩に手を置いて次々とキッチンになだれ込むクルーに笑顔をもらって、

私は彼のいる場所へ、真っ直ぐに足を踏み出した。








「ルフィ…………」



いつもの位置で、いつものように波の間を見つめる後ろ姿。

階段をのぼり、船首に手をかけ、麦わら帽子が見えるギリギリまで身を乗り出すと、

誰よりも私の目を惹く赤い背中にトクトクと胸が鳴った。


「……なんだー?」


「…………私も、そこに乗せてくれる?」


示した船首の上でぴくりと肩を揺らしたかと思うと、しばらく沈黙したルフィは前を向いたままポツリと言った。


「…………だめだ」


「………………」


「ここはおれの特等席だぞ。いくらおまえでも……だめだ」


素っ気ない言葉に心臓からぎゅっと込み上げてくる苦しさが、教えてくれる。


とっくに、気づいていたことじゃない……


ほら、私は、こんなに胸が苦しくなるくらい、この人のことが…………



「じゃあ……ルフィがこっちに降りてきて……?」


「………………」


「……顔を見て、話がしたいの…………」


私の願いが聞こえたのか少しだけこちらを振り向いたルフィの横顔を、じっと見つめる。

柔らかい髪が、うちなびく潮風にふわりと揺れた。


「……おまえ、そんなとこにいたら危ねェぞ。海落ちたらおれ助けてやれねェからよ…」


「……じゃあ、早くこっちに来て……」


少しの戸惑いを見せた後、ルフィは立ち上がって身軽に船首から降りてきた。

階段の途中に腰を下ろしたルフィと、その数段下で佇む私か、同じ目線で向かい合う。


「どうしたナミ………なんかあったのか?」


ふわりとやってきた日だまりの笑顔に、目の奥がじわりと熱くなった。


言いたいことがいっぱいあって、

伝えたい想いが胸の中から出ようともがくのに、

ルフィの顔を見るとそれだけでいっぱいいっぱいで、苦しくて、

涙が溢れないように気をつけながら、ゆっくりと口を開いた。


「あ、あのねルフィ……」


「おう」


「海軍、明日の朝にはこの島離れるって……」


「うおっ!ホントか!?」


やぁーっと冒険できるー!そう言って屈託なく笑うルフィに、つられて私の頬も緩む。


「そ、それでね…」


「おう!」


「さ、サンジくんがね、お弁当…………2個つくってくれるって…」


空に上げていた両手をそのままに少しだけ首を傾けかけたところで、ふっとルフィが笑った。


「2個じゃ足りねェって言っといてくれよ。おれはもっと食えるぞ」


「そ、そうじゃなくて…!」


「………………」


「あんたと…………私の分よ……」


今度こそ、ルフィは両手を下ろしてゆっくりと笑みを消した。


「…………そ、そっか、ナミも出掛けんのか?……ロビンと買い物か?」


「……ううん、」


「……じゃあ………サンジと、」


「あんたと………!一緒に、行きたいの…………」


あの日応えることができなかったルフィからの誘いに、返事をした。

腿の横でぎゅっと手を握りしめて真っ直ぐ見つめると、

大きく見開いた瞳で穴が空くほど私を見つめたルフィは、たちまち険しい表情になって呟いた。


「…………な、…何言ってんだよ、おまえ……」


「連れてってよ、私を……」


「……ナミ、…冗談か?それ。……笑えねェ」


ぐっと眉を寄せたルフィは麦わら帽子で顔を隠して、まるで全てを拒絶するように私の横を通り過ぎた。

すれ違った瞬間に、あのときの海の匂いがして、

私はそれだけで、切ない痺れに襲われた。


「っ、……連れてってよ……!私をっ、あんたの冒険に……!!」


甲板に降り立つルフィを振り向き、すがるように追いかけた。

私とルフィの関係が始まってから、口にすることさえ憚られた簡単な願い。

いつもみたいに、煌めくような新しい世界へ、

わくわくするような、とびきりの航海へ、


私を、連れ出して……



しかしルフィの口から放たれた叫びが、船を叩く波の音をかき消した。



「何言ってんだよ…!おまえ…ッ!!」


怒られても、呆れられても構わない。

あんたがたとえどんな目で私を見ていても、

あのとき言ってくれたことなんてとっくに忘れてしまっていても、

いつもみたいに一人でどんどん先に進んでいってしまっても、



私は、その背中に着いていく。



もう、迷わないと決めたのだから。








「………………好き」



「っ、」




たったそれだけ。たったの二文字。

ずっと心の中で殻をかぶっていた言葉。

この人は私の好きになるべき人じゃない、この心臓の速さに共感してはだめ……そう、思ってたから。


でも…………


私があなたに対して抱いている感情の全てを詰め込むと、


決然として、この言葉しか出てこない。




「好きなの…………ルフィ…………」



私の想いを背中に受けたルフィは、ミシミシと音が立つほど拳を握りしめた。


「っ、違ェ!!!おまえ…!おれがあいつになんて言ったか覚えてんだろッ!!」


「そんなの知らないっ…!私は私の生きたいように生きる!もう自分の気持ちは隠さない!」


「なんっ、だよ…………おまえにはもうっ、触らねェって決めたんだ!おれはサンジとそう約束したんだよッ!!だからナミ!!おまえはサンジのところに…!!」


「私はあんたの傍にいたいの!!!」


「……っ、そんなの……!そんなことッ!サンジが許すわけ……!!」


「サンジくんが言ったの……!!」


「なッ………………」



サンジくんが……


ルフィの言葉を遮って口にした彼の名前に、キリキリと喉が痛みを訴える。

それでも私はその痛みごと胸に抱いて、ルフィの背中を見つめた。



「……サンジくんが、言ってくれたの…………私が……心から恋しいと思う人を、選んでほしいって……」


「…………サンジ、が……」


「ルフィだって言ったじゃないっ、私の意思は、私のものだって………」


「………………」


「だから……!否定なんて、ぜったいっ、させない…!誰にも曲げることなんてできないの……!!私にとって、あんたを好きなこの気持ちは…………」



とっても大切な、宝物だから。



「…………っ、」


振り返った拍子にハラリと風に拐われた麦わら帽子が、ルフィの背中で揺れる。

肺に息を止めて苦しそうに私を見つめたその瞳は、いつかも見た、きれいな漆黒だった。



「…………ルフィ……」


「……っ、」


「…………ルフィ……」


「ナミっ、……」


「……あんたが好きなの……私、もうっ、どうしようもないのよ……」


「っ、」



肩に重みがかかって息が苦しくなって、鼻先にふわりと海の匂いがやってきて初めて、

ルフィに抱きしめられているのだとわかった。



「…………ル、」


「ナミッ、ナミ…!…やっぱりおれはっ、おれは子どもで、そんで、……サンジは……大人だ…………」


慰め合うように、互いの肩に顔を埋める。

初めて抱きしめられたときと同じ感情が沸き立って、見た目よりもずっと逞しい背中にそっと手を置く。


「私……私も、サンジくんみたいに大人になれたらいいのにって、思ってた……」


「……おれ、サンジに、おまえを任せるって言ったけど…!ほんとはちっとも渡したくなんてねェ!!」


「………………」


「おまえが、船降りるって……おれのせいだってわかってんのによォ…それでもまだっ、欲しい………!」


「………………」


「……自分に嘘つくのが…………こんなに痛ェだなんて、おれっ、…………」


「………………」


「知らなかった………」



背中に回されたルフィの手が、私の服をぎゅっと掴む。


「ルフィ…………」


進んではいけないと、人に後ろ指を指されても……

砂利道を踏み進む音さえ愛しい響きに変えて、真っ直ぐに生きていたい。

世間の嫌われものになろうとも、そうやってみんな、あんたに着いていく。


「ナミっ、おれ……!冒険できねェのも、腹いっぱい飯食えねェのも、すげェ嫌だけど……!」


「………………」


「もっと嫌なのはっ、…………一生おまえに嘘ついたまま、いることだ……!!」


「……ルフィっ、」


顔を上げたルフィの、淀みも、濁りも、迷いもない漆黒の瞳を見つめ返すと、


いつものように、伝わってくる。


いつか、誰もいない、光もない、音もない、


ふたりきりの夜、


闇に溶けるように言ってくれた、その想い。





「好きだ……………」



「……………っ、」



真っ白な太陽が降り注ぎ、


優しく強い海の想いを照らして笑った。




「好きだ…!好きだ、好きだ……!!」


「………………」


「声、聞きてェし、……構ってほしくて……いつも、おれだけに……誰にもとられたくねェんだ…!」


「………………」


「おまえが、あいつばっかり呼ぶから……こっち、向いてほしくてよ。けどおれバカだから……どうしていいかわかんねェし……」


「………………」


「おまえの悲しい顔なんて見たくねェのに、とまんなくて……知って…ほしくて、言いたくて………言いたくて言いたくて…!ずっと……!!」


「………………」


「好きだって……言いたくて……」


そう呟いたルフィの声が愛しくて、両目からぽろぽろと溢れた涙が、

何もかもを背負ってしまう、強くて逞しいその肩を濡らす。



「大切に、するから、……もっともっとおれ、強くなって、でっかくなって、絶対ェ、絶対ェ……!守ってみせるから……!!」


「………っ、ルフィ、」


大きな腕に包まれて、強い意志に守られて、広い心で満たされて、

わくわくするような日々に連れてきてくれた、

海みたいなこの人を、


私はずっと好きでいる。



「……泣くなよ……。ナミは昔から……泣き虫だな……」


「……だってっ、」


「……なぁナミ……明日おれ、弁当は一個で我慢する」


「…………え…?」




慣れない手つきで私の頬と目尻の涙をたどたどしく拭ったルフィは、


何も知らない純粋な眼差しの中に、私を映して微笑んだ。




「おれたち、ずっと一緒に冒険しような…!!」



晴れるかな、明日!



細められた眼差しにも、泣き笑いになりながら大きく頷いた私の心にも、



もう嘘なんてなかった。







見せかけ天使の嘘なき瞳






堕ちた先にはやさしい光。





END

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