過去拍手御礼novels2

□ジキルとハイド
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ジキルに戻れなくなるぞ。




払われた手が行き場を無くして掴んだ空気は、まるで空っぽの冷凍ボックスの中だった。


日頃の修行で硬く、厚くなった手さえ切り裂いてしまいそうな冷ややかさに、サッと我にかえる。


一触れでもしたら波打ち際の砂城みたいにさらりと崩れてしまいそうなその肌に、今の今まで触れていたのは、こんな手か。


いつかロビンが言っていた、自分の中の“野生”にいつしか人格を支配されてしまうやつの話を思い出した。

たしかジキル博士とか言ったっけ。

こんなことを繰り返していたら、おれだってそのうち戻れなくなるぞ。




「……おい、………ナミ?」


「っ、いやッ!……触んないで……!」


「……………………」


晒け出された真っ白な背中に指先を向けたまま、唖然とする。

首もとにはりついた短い髪の下の華奢な肩が、小刻みに震えている。


取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない。



「……どっか行ってよ!」


「…………ナミ、」


「触んないでってば!!」


ぴくり、おれにのし掛かる重たい言霊。

さっきの甘い胸の高鳴りとは違う、鈍器のぶつかるような心臓の音が身体中に鳴り響き、おれの中の野生がすっと醒めた。



「…………すまねェ…」


「………………」


「悪かった……ほんとに……」


謝るくらいなら、やらなきゃいい。こいつにしてみたら今のおれは、矛盾だらけだ。

だけどおれにしてみたら、頭はやらなきゃいいと思っても、身体は言うことを聞いちゃくれない。


「…………やめてって、言った…………」


「………………」


「……何度も……痛いって、言った……」


「………………」


「……なのに……っ、」


ぎゅっと枕にしがみついて喉を詰まらせたナミに、ギリリと身体のどこかが軋んだ気がした。



「っ、悪い…………聞こえなかった……」


「うそっ、……うそよ……!」



嘘。嘘だ。


聞こえてた。本当は。


「痛い」「やめて」「いやだ」「怖い」「お願い」「抜いて」……


聞こえてた……

聞こえてた……


……………………けど、



「…………止めらんなかった…………」


悪い……。


もう一度謝った。言い訳でもなんでもない。「耳には入っていた。でも、身体がそれを無視した」

「聞こえなかった」と同じこと。それしか言葉が見つからなかった。


確かにそうだ。

……最低だ、おれは。



「……もう、やだ、ぁ……きらい……」


「……ナミ…………」


嗚咽をもらし鼻をすすってますます肩を揺らすナミに、おれの目の奥も熱くなる。

好きで好きでたまらない恋人からのその言葉は、さすがに堪えた。



「もうっ、いや……」


「………………」


「もう、……しないからっ……あんたとは……!」


「っ、………お、おいっ、悪かったって…!」


お預けくらって取り乱して、女々しいぞ。

だけど、無理だ。おれはしたい。おまえとまたしたい。

一度見て、触って、嗅いで、舐めて、感じたら、

その感覚を手放すなんて不可能だ。もう二度とできないと思うと、頭がおかしくなっちまう。

だけど、こんなに泣かせておいてそれでも身体を求めるおれを、ナミは絶対に良く思わない。

相性がいいと思ったのも、きっとおれだけだ。


「もういい…………」


「………………」


「もういいから……今日はもう、……帰って……」


最悪だ。初めてのふたりの夜が、こんなことになろうとは。

それもこれも、おれのせい。

こいつが初めてだと知っていながら、なにもかも、止めてやれなかったおれの責任。

冷静になった頭は「おまえが悪い」とおれを責める。

だけど身体は「止められるわけねェだろ」と反論する。

この二面性が、苛立たしい。


「ナミ…………」


「………………」


今度は手を伸ばさずに、その背中に声をかける。

ナミの身体を抱いていたときの燃えるような熱さの手は、

じわりと不快な湿りを残して既に冷たくなっている。



「……もし……気を悪くしたら、すまねェ……」


「………………」


「けどおれは、その……キスしたら、おさまりきかなくなっちまって…」


「………………」


「……おまえん中、……死ぬほどきもちいいしよ……」


「………………」


「繋がってんのが……嬉しくて………」


「………………」


「まじで……止まんなかった……」


「………………」


「すまねェ……怖がらせて…………」


「………………」


覗きこむように様子を伺う。

クルーたちが今のおれを見たら、大爆笑だ。

だけど本気で笑えない。

世の中の、誰になんと言われようと構わない。こいつがおれに何も応えてくれなくなるより、百倍良い。



「まだ…………痛むか……?」


ナミの痛みは身体だけなのだろうか。

死ぬほどの傷を負ってきたおれにも、女の痛みはわからない。

わかろうともしなかった。

だけどどうして、ナミの震える背中を見ていると、おれまで心が痛むのだろう。


「……………少しね。……でも、平気よ……」


「……………………」


何も言えずに渋い顔をしたおれを、徐にナミが振り返る。

暗闇でもわかるほどその瞳が赤みを帯びていて、冷たい色の罪悪感が頭を覆った。



「……どこで買ったの?」


「……は?」


唐突な質問に口を開けたおれから、ナミは気まずそうに視線を逸らした。


「だからその、…………ゴムよ……」


床に散らばるティッシュの中にくるまれたそれを指していることがわかり、

なぜかおれも気まずく目を逸らした。

用意周到、ヤル気満々みたいで嫌だったのだろうか。


「……この前の、島……あそこで買った」


「……あんたが?ひとりで?」


「あたりまえだろ」


「ど、…………」


どんな顔で買ったのよ……そう言われ、顔が火を噴くように熱くなる。

そうだ、そうだよ、おれは男だ。どうせそういうことしか考えてねェよ。


………………けど、



「…………ねェと困るだろ…」



ポツリと口にする。なんだか情けない、この状況。

ばつが悪くて瞳を泳がせるおれを、ナミは笑いもせずにじっと見つめたまま呟いた。



「……ゾロ…………」


「………………」


「………嫌いだなんて……私、言い過ぎたわ……ごめんね……」


「っ、ナミ……」


そっとおれの胸に置かれた小さなその手を握ってそのまま腕の中に閉じ込めた。

優しくする……なんて、柄じゃない。

けど、ほんとにそうしたかった。頭では、大切に、大切にって。

もしも言い訳させてくれるのならば、

…………従わないのはあくまで身体だ。



「……あ、あのね、思ってたよりほんとに痛くて……ちょっと、びっくりしちゃったのよ……」


「………………」


「あんたが、知らない人みたいに見えて、なんだか怖くて……けど………もう、大丈夫だから……」


「………………」


「つ、次は、たぶん、…………きっと大丈夫よ……」



俯くようにおれの胸の中に顔を隠したナミが、いたいけで、たまらなく愛しくて、

さっきまで、次があることを切望していたおれなのに、これ以上傷つけたくはないというさらなるジレンマが沸き起こる。


「…………おれに、気ィつかわなくていい…」


「…………ゾロ……」


「…………無理、すんなよ……」


無理をしているのはおれの方だ。

今だって正直、チラリと目に入るナミの胸の膨らみや、絹みたいな肌の感触が、

痺れるようなあのときの快感を蘇らせて、身体は苦しい。

かっこつけたこと言っといて、頭の中ではずっとナミを犯し続けてる。

泣き顔や息や揺れる肉感や卑猥な音を思い出し、息が上がりそうになっている。


止まれよ、止まれよ、


おれの、身体…………


おれはジキルでいたいんだ。



「ゾロ…………」


「っ、」



鈴のような声で名を呼んだかと思うと、おれの首に手を回して唇を重ねてきたナミに、ヒヤリとする。

密着を増した身体とふわりと香ったイイ匂いに目眩がして、咄嗟に身体を離した。


「…………ゾロ?」


「…………悪ィ」


「どうしたの……?」そう言って不思議そうに瞳を見開くナミから目を逸らし、仰向けになって自分の腕で視界を塞ぐ。

無防備すぎる。せめて服を着てくれなけりゃ、言った傍から我慢できない。


「……悪ィ……別に、そういうわけじゃねェんだが……」


「……なにが?」


「……ヤれればそれでいいとか思っちゃいねェ……ただ、」


「…………」


「……くっついてこられると、その………身体が…………」


反応しちまうんだよ、わかってくれ。

そういう思いを込めて、ナミに背を向けた。

キスばかりしたがる女は鬱陶しいと思ってた。

でも、今はしたいのに、それができない。



「…………ほんとだわ……」


「っ!!?てめ、なにして…!!!」


おれの腰に手を回して勃ち上がっているそこを確かめたナミは、

いろんな意味で焦るおれの背中でくすくすと笑い出した。


「痛かったのは、ほんとなんだけどね」


「……だッ、と、とりあえず手を放せ!」


「あぁごめんごめん」と笑って手を放したナミが、少し余裕を取り戻しているようで密かに息をつく。

しかしくっつくなというニュアンスが伝わらなかったのか、

ナミはおれの背中にこれでもかというくらいぎゅっと身体を擦り寄せた。


「痛かったのはほんとなんだけどね、ちょっと試したのよ、あんたのこと」


「……なにを」


「ん?……もしかして私が“しない”って言ったら、あっさり切り捨てるのかしらと思ってねー……」


「…………バカか、おまえは…」


ヤれればそれでいいって思われたくなかったから。と付け足して、ナミはおれの背中に顔を埋めた。


「けど……ちゃんとわかったわ……」


「………………」


「あんたが見てくれてるのは、私の全部だって……」


「……………ナミ…」


ナミの言葉に温かくなっていく頭とは裏腹に、柔らかい肌を背中に感じてどうしようもなく身体が高揚する。

こんなときさえ考える。


抱きたい抱きたい、抱きしめたい、違う、キスがしたい、やっぱり中に入りたい、そうじゃなくて、言葉を交わすだけでも幸せなんだ、でも、やっぱり……



「ねぇ、」


「…………なんだ?」


「……変なの、私、すごく矛盾してるの……」


「…………なにがだ?」


「死ぬほど痛かったのよ?なのに、……なのにね……」


「………………」



おれはおまえを前にしたら、理性的なジキルでばかりいられなくなってしまう。


だけどおれは、戻るんだ。


おまえがおれを、戻してくれる。


おれの中のふたりは、あくまでひとりの人間だ。


どちらかが、消えることなんてあり得ない。だって…………




ジキルがハイドの手を引いて、ハイドがジキルの手を引いて、





「私も、あんたと繋がれて…………嬉しかったよ」





愛しいおまえがいる限り、その手が放れることはないだろう。








ジキルとハイド








「……ナミ、」
「ん?なに?」
「………あー、いや、その、」
「……なによ?」
「…………もう一回しねェか?」
「……!あ、あんたね!!」
「こっちが我慢してんのに、おまえがんなこと言うからだろッ!それに……」
「………………」
「それに……おまえのことも、きっ、きもちよくさせてやりてェし…」
「……なっ、」
「力抜けよ、ほら、舐めてやる……」
「……〜ッ!!」







END

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