過去拍手御礼novels2

□視線トラップ
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「…………なァ、」



猫でも鳴いたのかと思った。


隣でグラスを膝に乗せた男が、あまりに気の抜けた声を出すものだから。


「……なによ?お腹でも痛いの?チョッパー呼んでくる?」


「……違ェよアホ」


「そうよねー。あんた毒でもカミソリでも消化するやつだもんね」


ゆっくりこちらに顔を向けたゾロは、私の皮肉をスルーして再び機嫌の悪い猫のように呟いた。


「さっきから…………すげェ見られてねェか………?」


眉を寄せてゆっくり目を合わせると、ゾロの顔も私と同じように怪訝に歪んでいた。


「……ちょ、ちょっとやめてよ!魔の海域なら2年前に抜けたわよ!あんたまだ迷子のつもり!?」


「そういう意味じゃねェ!あいつだ、あいつ!!」


ゾロの視線の先を追うと、向かいの甲板で自船のクルーたちと酒を煽る男の姿があった。

ルフィたちの騒ぎ声にも動じずに相変わらずクールな佇まい。


「…………トラ男くん?」


「おー…やたらに目が合う。宴が始まってからずっとだぞ」


なんだ、よかった、おばけじゃなくて。

ほっとした私は余裕を取り戻してゾロの耳に口を寄せ囁いた。


「あんたに気があるんじゃない?」


「殴るぞてめェ」


いまいましいものでも見るかのような目に睨まれて、私は思わず吹き出した。


「だって…!あははっ!頻繁に目が合うなんて互いに意識してる証拠じゃない!よかったわねゾロ!両想いよ両想い!」


「てめェいい加減にしやがれ!!」


「照れない照れない!もうっ!ツンデレなんだから!」


「…………たたっ斬る」


膝に置いたグラスを今にも握り潰さんばかりの怖い顔がどうにもおかしくて、

「恋愛だって自由よね〜?応援してるわ!あははっ!」とからかい遊んでいると、

一人でお酒を飲んでいたロビンがふわりと私の隣にやってきた。


「面白そうな話をしてるわね。私も混ぜていただける?」


「あっロービン!そうなのそうなの!ちょっと聞いてよ!こいつったらね!」


「てめェナミ!本気で怒るぞ!」


「“トラ男くんと目が合う気がする〜”なんて言い出すのよ!乙女かって!」


「アホか!!んな言い方してねェ!!」


「あらそう。でも私もさっきから気になっていたわ?彼がゾロを見ていること……今にも焼き殺さんばかりのそれはもう鋭い目付きでね」


「え?」


「ほらな」そう言ってドヤ顔で顎をしゃくったゾロから、渦中の人物に視線を向けてみた。

するとどうだろう。その目は文字通り刺すように、ちょうど私の隣の男に向かっていた。



「…………なに?あんたたち喧嘩でもしたの?」


「まともに喋ったこともねェぞ」


「それにしては物騒な雰囲気ね。突然斬りかかってこなきゃいいけど」


「やだー!やめてよ!あんな強そうな人なんて敵に回したくなーい!ちょっとあんたトラ男くんに謝ってきなさいよ!」


「なんでだよッ!?あっちが勝手にガンつけてんだろ!!」


きっと何かの拍子にゾロが気に障ることでもしでかしたに違いない。

勘弁してよ。せっかく同盟組んでるのに。


「あー神様、私は悪くありません。天罰ならどうぞこいつに…」


「あのなァおまえ……」


「あんたトラ男くんに何したのよ?」


「知るかよ」そう言ってゴロリと寝そべったゾロをじとりと睨む。

知るかよ。で済んだら海軍はいらないのよ。ちゃんと謝んなさい。


「だがまァ……喧嘩なら、売られりゃ買うまでだ……」


「……………………」


全く反省の色のない悪顔に、お酒でもひっかけてやろうかと思ったときだった。


「あら、噂をすれば……気をつけて?いきなり解剖されないように……」


うふふと微笑むロビンにつられて目を向ければ、まさにトラ男くんがゆっくりこちらに歩いてくるところだった。

ドキドキと、心臓が速くなる。

なにかがヤバいセンサーがピコッと微かに反応を示したため、私は即座に置物と化した。




「コイツをいただいていく」



「………………」



私とゾロの間の酒瓶に手をかぶせた彼の声は、思ったほど刺々しいものではなかった。

しかし視線を向けられたゾロの方はそんな彼を険しい目で睨み上げている。

かの七武海を前に憮然とした態度でいつまでも返事をしないゾロに痺れを切らせて、私は咄嗟に愛想笑いをつくった。


「……あ、お酒無くなっちゃったの?いいわよ持ってって。それあげるから」


ゾロを向いていた彼が、ゆっくりと振り返る。

帽子の鍔で影になった瞳が抜けるような色で私を捉えた。



うわ、……憎たらしいくらい整ってるわねー。

やっぱり、近くで見ると男前なんだ。

ふーん……


そんなことを考えながらぼんやり眺めていると、その整列された薄い唇が左右非対称にニヤリと歪んだ。



「そうか……なら遠慮なく」


「……え?……えっ!?なに!?」


刺繍だらけのその手でそのままお酒を持って行くのかと思ったら、

お酒と反対の手には私の腕が握られていた。

ぐいぐい引っ張られながら「ちょっ、ちょっと!」と呼び掛けるも無反応。

助けを求めて振り返れば、ロビンは美しい顔で手を振っていて、

その奥ではゾロが相変わらず鋭い目で私たちを見ていた。



「あーっ!例のかわいこチャン持ち帰ってきたんすか!?さっすが船長!」


「やたら滅多に女に絡むな。まったくおまえは……」


「いいじゃんよペンギン!これも出会いだッ!なっ?そうだろォ?おれはシャチ!」


「……おまえら他所へ行け」


彼のその一言で、シャチという男をペンギンという男が引きずって行った。



「………どこの一味にもなれなれしい男っているのね……」


「かまうな、座れ」


まだ私に手を振っているツナギの男に呆れていると、腕を引かれて隣に促される。

そうして座った目の前にはさっきの酒瓶がズンッと現れた。


「…………お酌しろってこと?」


「あァ」


ここ飲み屋じゃなくて船の上なんだけど。

それに私は水商売の女じゃなくて海賊なんだけど。

と思いつつ、長いものには巻かれる主義の私は不本意ながらお酒をつぐ。

まぁ、近くに仲間もいるし何かあっても大丈夫だとは思うけど。



「トラ男くん、もしかしてうちのマリモがなにか迷惑でもかけた?」


「……あ?」


「ずっとゾロのこと見てたでしょ?さっき」


「あァ…」と呟いた彼が、思い出したように芝生と同化しているゾロを見た。

その目は先程の鋭いものではなく、嘲りに満ちた冷笑だった。


「いやァ…?別に……」


なんだ、よかった。

もし機嫌でも損ねてたら、いつ奇襲がかかるかわからない。

なんたって今一番近くにいるか弱い私が最も危険。


「ふーん…じゃあどうして見てたのかしら?なにか気になることでも?」


何気なく話の繋ぎに聞いてみる。

あ、聞いといてなんだけど、本当にゾロに気があるとかだったらどうしよう。

どんなリアクションすれば、




「あいつの隣に、欲しいものがあった」


「………………」


「おれは、欲しいと思ったものは必ずもぎ取る主義だからなァ……」


「………………」


「どうやって引き剥がしてやろうか…ずっと考えてた……」


「………………」


「アイツと、…………あんた」


「………………」


世界の常識みたいな顔でそう言うと、彼は喉仏を上下させてお酒を煽った。


戸惑うという反応すらできずにその様子を凝視する。

必死に頭の中を動かそうとしているせいか、瓶を抱えたまま身体の動きが停止した。


「…………なんだ?おれに見とれてんのか?」


ニヤニヤと口元を歪めた男にハッとして、お酒の瓶をそれごと押し付けた。


「ばっ、バッカじゃないの!?わっ、私仲間のとこに戻る…!」


「戻すかよ」


「っ、」


立ち上がろうとした私の腕は強引な手に引かれ、自分の意には反して男のすぐ傍に留め置かれた。

捕まった。そう思った。

切れ長の瞳が一度ゆっくりとまばたきをして私を見据えたその瞬間に。




「 お れ の も の 」




耳たぶに口を寄せた彼が息だけで囁くと、まるでスイッチが入ったかのように顔も身体も沸騰した。


「……な、なにがっ!わけわかんないわよ……!」


「あ?きちんと断りをいれただろう……“いただく”と……」



“コイツをいただいていく”



「…………あっ、あれはお酒のことでしょ!?」


「酒が欲しいなんざ一言も言った覚えはねェ」


「だ、だって普通お酒だと……」


「おまえが勝手に勘違いしたんだろう。おれはあの剣士に聞いたつもりだったが……まさか本人が承諾してくれるとはなァ……」


「なっ、そんなつもりじゃ……!」


「今さらなにを言おうがもう遅い」


切り捨てるようにそう言うと、

酒瓶などにはもはや見向きもせずに、彼は私の身体を引き寄せた。



「ちょ、ちょっと待って、」


「待たねェ」


「だって…!」


「だってじゃねェ。“くれる”んだろう……?」



あんたを……



オモチャをねだる子供のように私の身体に擦りよって、白々しく首を傾げた道化者。


危険、危険、


なんたって今一番近くにいるかわいい私が最も危険。



「っ、あげるなんてっ、言ってな…」


「言っただろうが…………」


「………………」


「おれはこの耳で、ちゃァんと聞いたが……?」


「っ、だって、」



確かに、言った。


言ったけど、でも、そんな……


ドキドキと、心臓が速くなる。


謎めいたその眼差しが、妖しく細められた。



「今後、おれの言うことは一度で理解しろ。首を横に振ることは許さねェ」


「……なっ、に言って……」


「今さら逃げられるとでも思ってんのか?あんたはもうこのおれに、鎖で繋がれたも同然なんだよ……」


「………………」


「くくっ、……安心しろ、」



言うこと聞くなら、死ぬほどかわいがってやる。




深い藍色が、今までで最も私に近づいた。

吸い込まれるような熱の瞳は、私を捕らえるための罠。




あれ、おかしいな。



私はてっきり、ゾロが睨まれてるんだと、そう思ってた。



だけど、







視線トラップ







目をつけられたのはどうやら私。








「持ち帰られてしまったわね。ナミ……」
「持ち帰られたっておまえ……そもそもおれは“やる”なんて言ってねェ」
「けれど本人が承諾してしまったものね?」
「……………………」
(くそっ、あの鈍感女まんまと騙されやがって…!)
(ふふ、思った通り、おもしろいことになったわ)





END

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