過去拍手御礼novels2

□売り言葉に、買い言葉
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「ナミさん貸してくんねェ?」


「……………………」



目だけを向けた先には、キッチンのカウンター席でこちらに身体を向けてやけにニコニコしているコックがいる。

ポケットに手を突っ込み腰だけで浅く座ってもて余した片足を軽く曲げ、

「火、貸してくんねェ?」そういうノリでさらりと言った。


既に火のついている煙草から昇る煙を見ていたら、何を貸してくれと言われたのか曖昧になってきて窓の外に視線を戻した。

酒瓶の底をテーブルにくっつけるとひやりとした木の冷たさがおれの腕からも伝わった。



「最近欲求不満でよ」



文句も言わずすんなり瓶ごと酒を差し出したかと思うとそういうことか。

長く浅い息を吐きもう一度奴に目を向けると、緩めた薄い口先が急かすように白い棒を弄んでいた。



「……レンタルしてねェ」


「あー、…おれは別に“3人”でもかまわねェ」


「そういう問題じゃねェ。どっか行け」


「そう言わずによ、おれとおまえの仲じゃねェか、な?」


おれとおまえの仲は“犬猿”じゃなかったのか。

そもそも問題なのはおれとおまえの仲なんかじゃない。おれとナミの仲だろう。ついに頭沸いたか?コイツ。



「…………おい、」


「あ?貸す気になったか?」


「なんかつまめるもんよこせ」


横に引きつらせた口でチッと舌打ちした奴は、ぶつぶつ言いながらキッチンの奥へ向かう。

つまみを待ちきれず一杯目を舌に乗せているとバタンッと乱暴に冷蔵庫の扉の閉まる音がした。


「張り合いのねェ野郎だぜ。もっと逆上するかと思ったのによ」


冗談じゃなかったら、とっくに逆上している。

そもそも本気でそういうつもりなら、こいつが律儀に許可を取りにきたりするもんか。

テーブルに頬杖をついて斜めの世界を眺めていたら、角切りの真っ白なチーズの脇に何種類ものジャムやソースをあしらったプレートが現れた。


「…………なんだこりゃ、女の食うもんみてェだな」


「うっせェマリモ。早くナミさんと別れやがれ」


「………………」


親指と人差し指で煙草を挟んで顎を突き出す嫌味な仕草が地味に憎たらしい。

元の位置に戻って灰皿を引き寄せた奴を無視して、白い塊を口の中に入れてみる。

咀嚼する度にねっとりとした甘さが口の中を支配していく。甘すぎる。これはなにか?当て付けか?


「けどなァ……おれは本気で欲求不満なんだよマリモくん。毎晩夢に出てくんだぜ、おれの愛しのプリンセスはよ。参ったねどうも」


「うぜェ。喋んな」


「夢の中で何してくれると思う?膝枕だぜ膝枕!見上げる先にはふたつのたわわな実!そしてその果実から覗く太陽のような笑みでこう言うんだ!“サンジくん、一緒にお風呂入る?”くはっ!なんつー破壊力!!」


「聞いてねェ。黙れ」


「導かれた先でゆっくりとタオルを開いていく彼女の恥じらい方ときたらそりゃもう新婚かっつーくらい初々しくてだな!その肌は目眩がするほど白くて綺麗でまるで天国にいるんじゃねェかと…………がぁぁっ!たまんねっ!!」


「逝っちまえ」


それがいい。おれの話なんて聞くはずねェ。こいつは。

夢の中の興奮を思い出しているのかくねくねと珍妙な動きで悶えている奴に白い目を一瞥くれて、窓の外に向き直る。

……毎晩そんな夢を見てんのか、このアホは。


くそっ、まじで逝け。



「……てめェ余裕ぶってんじゃねェぞ。自分はナミさんの裸なんて珍しくもねェってか?あァ?……くそっ、まじで逝け」


「おまえまじでうぜェ」


「じゃあてめェ今日のナミさんの下着が何色か知ってんのかよ?言ってみろ!」


「……なんでそういう話になる」


「はっはーん、知らねェんだろォ?残念だったな!おれは知ってるぜ?」


「あァ…!?」


思わず眉をしかめると、おれと目が合った奴はニタリと勝ち誇った顔をした。

さっきの嫌味な顔の百倍は憎たらしい。

ギロリと睨むおれの傍まで歩み寄った奴は、姿勢を低くして煙草を外した口で囁いた。



「し・ろ」


「………………」


「蜜柑の世話、脚立押さえて差し上げたときに見えたんだがよ」


「………………」


「いやぁ、さっすがナミさんわかってるよなァ!男のロマンってやつをさ!」


くふふっと楽しそうにおれの肩を叩いて戻ろうとした奴の服を掴む。

煙草の煙の染み込んだスーツからはむせかえるような男の匂いがして、猛烈に腹立たしかった。



「消せ、今すぐ。その記憶」


そしててめェも消えろ。

下から睨み上げると片目の隠れた方の横顔をおれに向けた奴は、ニタリと口元をつり上げた。



「やァなこった」


「……………てんめェ…」


おれの手を振りほどいた奴は鼻唄まじりにカウンター席に座り直すと、煙草の灰を二欠片、灰皿に捨てた。


「てめェはいつでも拝めんだからケチケチすんな、くそマリモ」


「アホか。そういう問題じゃねェエロコック。この煩悩の塊が。あいつが汚れるっつってんだ」


「偉そうな口聞いてんじゃねェよ。てめェが放置したプリンセスにどう近づこうがおれの勝手だろ」


「…………あ?」


小窓の外は宵の口に差し掛かったように真っ黒で、一日の終わりを告げていた。

へらへらした顔を一瞬で消し去った奴は、短くなった煙草の先をピシャリとおれに向けた。


「おれはなマリモ、今日の下着の色だけじゃねェ。ナミさんのことなら何でも知ってるぜ?」


「………………」


「好きな食い物、好みの香り、持ってるマニキュアの色、尊敬する人、寝起き一番のしゃがれた声、何時に日誌を書いてるか、体調が悪いときのサイン、強がってるときの口調、照れてるときの癖……」


「………………」


「ナミさんのプライベートなら恋人のおまえより、遥かに詳しい」


「……なにが言いてェ」


最初の発言から逆上してとっとと殴っときゃよかったか?

グラスの酒を飲み干すと、今頃怒りがのぼってきたのか身体がカッと熱くなった。

貧乏揺すりでもしそうな苛ついた面持ちで腰の刀に肘をかけたおれを、海の色によく似た蒼い瞳が見据えてくる。



「……んな怖ェ顔するくらいなら……どうして彼女から目を放してやがる……」


「…………あ…?」


「おれが、かっ拐ってもいいってことだよな?」


「っ、いい加減にしろよ……!」


テーブルに拳を叩きつけると、甘ったるい白い塊がガタリと皿の中で揺れた。

奴は青筋を刻むおれなんてどこ吹く風で短くなった煙草をじっと見つめると、

指先を滑らかに動かしてそれを灰皿へ導いた。



「レディとの喧嘩は男が折れてさしあげるべきだ。ま、おれなら喧嘩なんて無様なことにはならねェがな」


「っ、あァ!?知ったふうな口聞くんじゃねェ!」


「喧嘩でもしてなきゃわざわざキッチンで酒なんて飲まねェだろうが。くそ単純なんだよてめェの思考は」


「………………」


「どんな理由にしろだ、ナミさんに寂しい思いをさせてるてめェが全面的に悪いに決まってんだよ」


「……うっせェ。なんの事情も知らねェ部外者が」


「知ってるさ。ナミさんが今どこで、なにをしてるのか………」



そこで言葉を切ると、徐にテーブルに近づいてきた奴はおれのグラスを取り上げた。


「あ?……おい!」


「グラスなら彼女が持ってった…………てめェの分もな」


「………………」


「彼女は今……甲板で、……どっかのヘタレ野郎が来るのを待ってるはずだ……」


「………………」


「もっとも、ずっと外ばかり気にしてやがったソイツも、とっくに気づいてるとは思うがな……」


「………………」


じっと座って目の前の皿を睨む。

白い塊と、赤やオレンジのカラフルなコントラストが、

なぜかあいつの色を思わせた。



「言っておくが……さっきおれが言ったことは冗談だからな」


「あ……?どれのこと言ってやがる……」



くるり、首だけおれを振り返った奴は、

勝ち誇ったようなさっきの顔の、百倍は憎たらしい表情でニヤリと笑った。



「てめェから彼女を“借りる”なんてみっともねェ真似するかよ、このおれが」


「………………」


「“奪ってやる”さ……」


「…………ふん、やれるもんならやってみろ」



…………させるかよ。



女が喜びそうな甘い匂いのプレートと、酒の瓶を手に取って、扉に向かう。

敵に塩を送られるのは、これきりだ。



「マリモ」


「あ?」


「まじで別れろ」


「しつけェ」


「後で差し入れ持ってってやる」


「来んな。邪魔だ」


「ナミさんにだ、アホ」


「うぜェ。さっさと逝きやがれ。エロ眉毛」


「てめェがな。くそマリモ」





キッチンの扉を開けるとひんやりと冷たい風が頬を撫でた。


喧嘩仲間の奴が言うように、芝生甲板の端、いつもの場所で膝を抱えて座る彼女はおれに気がつくと、


2つ並べてあったグラスの1つを遠慮がちに掲げて見せて、


困ったように眉を下げた顔で笑った。






売り言葉に、買い言葉







「んナミすわ〜ん!おつまみの追加です!愛を込めて!」
「ありがとサンジくん」
「幸せ〜!!」
「どっか行け。今すぐに」
「てめェがどっか逝け」
「あ?やんのか!?」
「上等だ!」
「やめんかッ!!」
((くそっ、こいつまじで邪魔!))





END

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