過去拍手御礼novels2

□女の武器
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眼前で危うく揺らめく彼女はまさに、この手をかわしてひらりと逃げていく蝶々だ。



「……ナミさんどこ行くの?」


「言ったでしょう?これ以上、あんたと話すことなんて何もないわ」


じゃあね。そう嘘ぶいてひらひらと振られた後ろ手を掴む。

彼女が“魔性”と呼ばれる由縁はたとえこうして手の中に捕らえたとて、決して掴むことのできない心のせいかもしれない。

あるいはこの手の冷たさにも似た醒めた瞳がそう呼ばせるのか。

振り向いた彼女の冷えた呼吸を感じると、頭の中で火岩を打つような音がした。


「おれの話は終わってねェよ」


「誰があんたの話を聞くって言ったのよ?」


「約束してくれるまで放さねェ。もうこんな危ねェ真似はよしてくれ」


「あんた、私の保護者かなにか?海賊が甘ったれたこと言ってんじゃないわよ」


開き直られましたか、プリンセス。


彼女にしては珍しい袖の長いシャツをまくりあげると、雪のような手首は今や赤紫色に変色していた。

触れれば痛みを発するはずなのに、おれの手の圧迫にも色ひとつ変えないその瞳と睨むように見つめあう。

こうしてたまに、彼女は自分の心に重りをのせ、鍵をかける。

その頑ななまでの強さが逆に、おれの心を不安にさせる。


「……ルフィが通りかからなかったら、どうなってたと思ってる……」


「あんな連中私一人で追い払えたわよ」


「傷だらけにされて、まだそういうこと言うの?」


「かすり傷くらいでなによ。いちいちうるさい男ね」


ふうーっ……。ひとつ、煙と共に息を吐く。

それでも加速の止まらない苛立たしさの勢いに任せ、強く彼女の手を引いた。

小言も受け付けず医務室の扉を乱暴に開け、中に押し入れ足で出口をバタンッと塞ぐ。

両手を羽交い締めにすると軽い身体は驚くほど呆気なく、ベッドに捩じ伏せられた。


「……こんなに簡単に組み敷かれるほどか弱いくせに、強がらないでいただけますか、プリンセス」


「あら、だってあんたはカモでもなければ強姦魔でもないじゃない?自分の男に押し倒されて、抵抗する方が野暮でしょう?」


整った唇が妖しく笑うと、まるで人形でも相手にしているかのような錯覚に陥った。

しかし目の前にいるのは傷をつければ血が流れる、人間だ。

痛々しい手首を頭の上でひとつにまとめ、シャツのボタンを剥いでいく。

非難の目を無視して前をはだけさせると腹や胸元には新しい血の匂い。

激しく抵抗した際触れたのか、腰や脇にまで脅しの刃がかすっていた。


「……なんでチョッパーに診てもらってねェんだ。心配かけたくねェってのが理由なら、引きずってでも連れていきますよ?」


「……痛くないの。だから、」


「言い訳は聞きたくねェ。言葉で言ってもだめなら、おれだって何するかわからねェよ?」


「………………」


思いきり甘やかしていいときと、そうじゃないときがある。

大切な女なら、尚更だ。


「はやく誓ってくれねェと、どうなっても知らねェからな」


「……なに、本気になってんのよ…」


厳しい口調で凄んだおれを、ナミさんが探るように見上げている。

どこから見ても、何度見ても、綺麗な人だな。そんな不謹慎な考えが一瞬だけ頭を過る。

威圧するように体重をかけて、その綺麗な肌についた生傷を親指でなぞると、

ほんの少し彼女の身体がたじろいだ。

痛いのか。そう思って目をやれば、彼女の視線はおれの口元で燻る煙草に注がれていた。


あぁ、魔女でも、火炙りは怖いのですね。



「ナーミさん、ほら、約束してくれねェと、ずっとこのまま…」


「………………」


指で挟んだ煙草を彼女の視界の中で何気なく弄ぶ。

火傷を負わせる気なんてさらさらなかったが、

悪戯に揺れる炎にその顔が恐怖でひきつるのを見ていると、

支配欲、征服欲、そういったものがなんとも言えない優越をおれにもたらした。


「まだわからねェ?……んー、じゃあどうやってお仕置きしようか……」


「っ、や、……」


体勢を整えるふりをしてベッドに肘をつくと、一気に近づいた煙草の先に、彼女が微かな悲鳴をあげた。


……本当に、わかってねェんだな。

おれが君に、傷をつけるような真似、間違ってもするはずねェのに……


呆れのような、寂寥のような笑いがこぼれる。

それがますます恐怖を煽ったのか、彼女はぴくりと身体を揺らした。


「……なにが嫌なの?約束するなら、嫌なことやめてあげるよ?」


「……そ、それ…」


「なに?」


くるり、指の間で踊るそれに視線をあて、ナミさんは小さな声で呟いた。


「それ、……煙草、消してよ……」


「もっと他に言うことがあるんじゃねェの?」


「………………」


「お願いなら、約束の後に叶えてあげるよ」そう言って、燃える赤がよく見えるよう正面で煙を吸う。

そうして口から離したそれを指で挟んで同じ場所に肘をつくと、

その動きだけでナミさんは息をのんだ。


「………で?おれに、言うことは?」


「…………ない、わよ。なにも……」


「…………あァ、そう…」


どこまでも強情な唇。

強いのに壊れそうな瞳。

思い通りにならない生き物……


だけど一番憎たらしいのは、そんな彼女から離れられないおれの中の執着心。


「……っ、やめ、て…」


「…………なにを?」


表情を消したおれが細い煙を上げる棒を綺麗な顔の傍に近づけると、組み敷いた身体が強ばった。

こんなちっぽけな脅しの道具でそんなにも怯えるほど、臆病なくせに。

おれが本気じゃないことの判断さえつかないほど、恐怖でいっぱいのくせに。


煙草から剥がした涙でいっぱいの視線を、彼女はゆっくりとおれに向けた。



「おねがいサンジくん………いじわる、しないで……」


言葉の最後で上目遣いの目尻から、

綺麗な滴がほろりとひとつ、枕に落ちた。


意地悪は、どっちだよ。


できもしない黙認を、しろと言うのかこのおれに。

君を愛している男にとって、それはあまりにも酷ではないか。



「………卑怯だナミさん……こんなときに、女の武器をつかうなんてさ……」


眉を寄せて見下ろすおれをじっと見つめた彼女は、

いたいけに震えていた唇で、ゆっくりと薄い笑みをつくった。



「つまらない男ね……」


「………………」


「涙が女の武器ですって……?」


「………………」


「涙で強姦魔を倒せるの?……涙なんて、バカな男を煽るだけの弱さの象徴よ。刀やピストルの方がよっぽど役に立つ。……それにね、」


「………………」


頭を持ち上げて、重ねるだけの口付けをおれの唇に落とすと、

彼女は熱の通った魔女の笑みを浮かべた。



「本気で私に惚れてる男には、どんな攻撃だって効くものよ」


「っ、」



……あァ、どうして、


腹が立つほど、イイ女。


空のビーカーに煙草を投げ捨て、貪るように彼女の唇を奪う。

火炙りは、やめだ。

魔女の餌食にされたって、かまわない。


「……サンジ、くん……心配、した……?」


「……っ、当たり前だろ。死ぬほどっ、心配したんだ…」


「……ごめんね。でも、……約束は、できない……」


「……金が必要なんだろ……わかってるさ。船のためだってことくらい……」


「…………じゃあ、」


「……あァ、約束はしなくて構わねェ。その代わり……ナミさんに近づく野郎は片っ端から、おれが殺る」


「………………」


「今度から、梃子でも離れないボディーガードつきになりますが、それでもよければどちらへでも?」そう言って抱きしめると、

彼女はくすくす笑って細い指でおれの髪を鋤いてくれた。



……放っておけば、その魅力を駆使して誰彼かまわず騙し、欺き、振り回す、危ない女。

人の心配なんて知りもせず、ひらひらと頼りなく揺れる脆い存在感。


乱れた世の中のあらゆる危険が、


そんな彼女を襲ってくる。


だから…………





「…………戦います、君のために……」




だからおれが、刀にでも、ピストルにでも、


彼女の涙の代わりにだって、なってやる。






女の武器






愛されることが、女の強さ。





「おし!今から街に戻ってナミさんをこんな目に遭わせた奴等を海に沈めて…」
「やめなさい!もういいから騒ぎを大きくしないで!ルフィにやられてあいつら原型とどめてないわよ!」
「……だってさナミさん…」
「そんなことより、…ね?こんな格好にさせてあんた私を放っておく気?」
「…!そ、そんなわけないじゃないですか!!」
「ふふ、じゃあほら、続き……」
「は、はぁ〜いっ!」
(まったく、ほんとに弱いんだから……私に)
(しまった!また女の武器にやられた!)




END

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