過去拍手御礼novels2

□高嶺の花
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舐めるような男の視線にもまるで頓着しない、不用心な女だった。

それが、相手にするつもりがないからなのか、ただ単に鈍感なのか、

今となってはもう考えるのもバカバカしい程に、その手のことを顧みないやつだった。

とにかく迂闊で、それでいて他人事のように知らん顔をする気まぐれさがまた、

おれたちの目には魅力的に映った。

なかなか振り向くことのないお高い女、あの手この手を器用にかわし、時には利用する、手練れた魔女。

いくら隙だらけで危なっかしくても、そんな毅然とした姿に心のどこかで安心していた。


「こいつは、誰のものにもならない」と、


そう、高をくくっていたから…………





「……あいつが気になるか?」


得体の知れない色を宿した瞳の男に、妙な胸騒ぎを覚えた。

縁にもたれかかって持て余した足が、芝生に座るおれの顔の横でゆっくりと組み替えられる。

目線を女に向けたまま、その男は狼狽えるどころかどこか楽しそうに答えてみせた。


「あァ、気になるな」


「……やめとけ。あれでもあいつはうちの魔女だぜ?」


「へェ…ますます気になる」


「……おまえみてェなお医者様なんざカモにされて終わりだ」


「金で買えるのか?」


隣に佇む男を思わず見上げた。

怪訝な顔のおれと目が合うと、男は答えを促すように眉を上げた。

油断のならない不可解な言動が、向こうで無邪気にガキと戯れるあいつに、どことなく似ている。

それがまた、おれにとっては滅法つまらなかった。


「……そういう意味じゃねェ」


「まァ、安い女じゃねェだろうなァ……」


「それはてめェにとってもだ。あの女はな、どんな男にだって靡きゃしねェ」


「あんたにも……か?」


やけに好戦的な視線が、人間を挑発する猫のようにも見えた。

小バカにしたように小首を傾げた男の中には、もっと野性的なモノが巣食っている。


「………………」


「へェ…いよいよ手に入れたくなる」


腕組みをしたまま獲物を前にした狼のように細く光る、藍の瞳。

今までナミに言い寄ってきた星の数ほどの輩とは比べ物にならないほどの、圧倒的な存在感。

冷気を纏った火薬庫が、今まさに扉を開いてその女を招き入れようとしている。


危険、危険、


器用なその手に、大事なものを、横取りされる。


「悪いが女なら他をあたってくれ。あいつはれっきとしたうちのクルーだ」

「だから何だ。関係ねェなァ」

「……てめェなんざあの魔女にいいように遊ばれるだけだぞ」

「おもしれェ。丁度退屈していたところだ」

「……………本気か?」


命を操るその男の耳には、ドクドクと暴れるこの心音が、聞こえていたのかもしれない。

ニヤリと横に弧を張った口元が、ゆったりと呟いた。



「………………さァな」



油断していた。

突然現れた異彩な食わせものにナミを拐われたと気づいたのは、

その日の夜、女部屋の脇の通路でふたりが縺れるように重なり合って、

口付けを交わすところを目にしたときだった。




ーー−−



「見て見て!すっごい上物が手に入ったの!」


「……コックのやつにねだって奪ってきたんだろ」


「人聞き悪いこと言わないで」そう頬をふくらませてコルクを抜くと、

ナミはおれの隣に座ってグラスについだ酒を飲み始めた。


「……見せびらかしにきたのかよ」

「違うわよ。ちゃんと見張りやってるか確認しにね。見せびらかしてるのはついでよ」

「……おまえ、あいつのどこがいいんだ?」

「あいつ?サンジくんのこと?そうねー、簡単なところがいいと言えばいいけど、そこがつまらないところでもあるのよね、あいつは」


違ェよ。そいつのことなんて、眼中にもないくせして。

……惚けやがって。



「昨日の夜…………」


その言葉に、ナミは慌ててグラスから口を離した。

顎にこぼれた液を手の甲でぬぐうと、動揺を隠すように取り繕った瞳がおれを見上げた。


「……昨日の夜が…どうかしたの……」

「……よかったか?」

「……なっ、」


開いた口をそのままに、ナミは度肝を抜かれたような顔でおれを見た。

その反応に、昨日の夜目にしたあの場面が夢ではなかったことを確信した。


……ざまァねェ。


こうして隣にいることに胡座をかいて、誰のものにもならないと呑気に構えていたら、

何年も見続けてきた女はあっさりと、一人の男の手に堕ちた。

甘く見ていたどこの馬の骨ともわからねェ男に、見事なまでに鮮やかに、かっ拐われた。


…………たったの、一晩で。


「……なに動揺してんだよ。おれは何がとは言ってねェ」

「……あんた、カマかけたわね。いい度胸してんじゃない」

「カマかけられて困るような真似してんのか?」

「関係ないでしょ、あんたには」


傾けようとしていたその手からグラスを奪って飲み干した。

避難の目を向けてくるナミからさらに瓶を取り上げる。


「敵の頭の愛人にでもなるつもりかよ。滑稽だな」

「ていうかあんた、じゃあ、覗いたってこと?拝観料請求するわよ?」

「金を請求できるほど脱がされたってか」

「…………あんたね、」


とことんデリカシーのない男ね。そう呟きながら酒に伸びてきた手を捕まえた。

本心はいつだって、藪の中。否定もせず、肯定もせず、煙に巻いて核心をつかませない。

握った手は体温があるとは思えないほど冷たくて、

ヒラリ、宙に舞う木の葉のように手応えなんて微塵もなかった。


「……おまえ、遊ばれてるだけかもしれねェぞ?」


「……遊んでるのはお互い様でしょ」


むしろ好都合。平然と言ってのけたナミに、火にかけられたような熱さで頭が煮えた。

気が遠くなるほど長い時間、こんなにも近くで想っていながら、

おれは、その遊びの相手になることさえ許されない。

つり合う男なんていないと思われたこの女に、あの男の気まぐれさは、よく似ていた。


…………奪われた。


秀逸な手口で、抜かりのない貪欲さで、


宝箱の中にしまわれていた大事なものを、


……こんな形で。



「……そうかよ。てめェがそんなに軽い女だったとは、知らなかったぜ」


「……ちょっと、……なに?」


瓶を乱暴にソファに立てると、もう片方の手を掴んでその身体を床に投げ伏せた。

すかさず馬乗りになって、戯れに抵抗する両手をまとめて頭の上で拘束すると、

何度も頭の中で想像したシチュエーションに身体の中の熱が一気にせりあがった。


「溜まってんだ。おれともヤろうぜ……」


「……っ!やっ、……放して!どいてっ!!」


「暴れんなよ。まァそれもそそるけどな…」


「あんたっ、何考えてんの!?あんたと、こんなことっ、」


何もかも無視して服の中に手を入れた。

目を合わせたら罪悪感と苛立ちで、その首を締めてしまいそうだった。

現れた肌にそのまま顔を埋めると、ナミの身体が硬直した。


「……それで抵抗してるつもりかよ。遠慮すんな、相手ならいくらでもしてやんぜ?」

「やっ、……やめて……」

「へェ……やっぱおまえ、やらしいカラダ…」


胸の先で誘惑する薄い色のそれに舌を滑らせると、

ナミは弾かれたように息をのんで拒絶の声をあげた。


「い、やぁっ…!やめてよ!!あんたとするつもりなんてない!!放してよ!お願いだからッ!!」


自分でも驚くほどの大きな舌打ちが、口から漏れた。

その響きに、尚更むしゃくしゃしたものが込み上げる。

何からも隠せぬように服をひとつ残らず剥ぎ取って、あいつに抱かれたその身体を晒した。

嫌がるほどに、羞恥を煽るよう音を立てて愛撫をした。

ナミの身体はおれの想像なんて及ばないくらいに綺麗で、熱くて、濡れていた。


「っ、ナミ……挿れるぞ」


「……っ、やだ、……ほんとに、やめてよ……ゾロっ、」


掠れた声がおれの胸の中のまともな理性をちくりと責める。

身体の方は素直なのに、おれを、まったく男として見ていないわけではないはずなのに、


なにが、違う……


「黙れよ……あいつがよくて、おれがよくねェなんて言わせねェぞ……」


「っ、」


覆い被さるようにして唇に近づくと、ナミは哀しい瞳のまま寸前で顔を背けた。


「………んだよ。そんなに嫌かよ……」


「………………」


「……おまえ、本気なのか……あいつのこと……」


「………………」


何も答えないナミに、息を吐く度胸がキリリと音を立てて軋む。

もし本当に心まで奪われてしまったのなら、どうあがいたって、何もかも、もう遅い。


「……あんな奴の、どこがいいんだよ、おまえ……」


あんな、少し背が高くて、頭が回って、顔が小さくてスカしてるだけの男のどこがいいんだよ。

おれの方が、ずっと前からおまえだけを見てきた。

ずっと前から、おまえだけを守ってきた。


ずっと前から、おまえだけを、


…………ただ、一途に。



「……傷つかないところよ」


ポツリと口にしたナミに、おれは間の抜けた声を発した。


「…………は?」

「お互い遊びの相手なら、傷つかずにすむでしょう?だから、あいつの誘いに乗ったのよ……」

「…………」


「けど……」そう呟いておれを見上げた瞳から、大粒の涙がひとつ、転がった。



「けどっ、……あんたは、だめっ……」


「………………」


「あんたにとってはただの遊びでもっ、……私は……!」


ぽろぽろと、決して見えることのなかった本心と共に、溢れる滴。

誰にも振り向かないはずのその女が、真っ直ぐにおれだけを見つめていた。


「あんただけは、だめなのっ、どうしても、嫌なのよ……!」


「…………ナミ…」


「あんたとは、遊びでっ、キスなんてしたくないっ、」


「ナミ…………」


「だって、……そんな、そんなことしたら私……きっと、勘違いしちゃう……」


「っ、」


「それが、嫌なのっ、それが、苦しっ…………」



遮るようにキスをすると、ナミの瞳から次々と滴が溢れた。



「…………バカか、おまえは……」


「…なっ、」


「傷つくのが嫌だと?……そんなおまえのせいで、昨日の夜、どれだけおれが苦しんだと思ってやがる……」


「………………」


折れそうなほど細い身体だったけど、

抱きしめた手には確かに温もりが感じられた。



「……本気のキスならいいんだな?」


「…………え?」


「遊びで手ェ出せるほど、おれはおまえを安く見ちゃいねェよ」


「………………」



舐めるような男の視線にもまるで頓着しない、不用心な女だった。

なかなか振り向くことのないお高い女、あの手この手を器用にかわし、時には利用する、手練れた魔女。

もはやつり合う男など、この世に存在しないかと思われた。

どんな男が手を伸ばそうと、その心には、決して届くはずもない。



………………だって、



「後悔はさせねェ」


「………………」


「おまえはただ、……おれを信じろ」


「…!!」




この両手は、一度掴んだその花を、放さない。





高嶺の花







「だがおまえ、あいつとヤッたことは許さねェ!」
「なっ、だってそれは…!」
「黙れ!くそっ、今すぐ壊してやるから覚悟しやがれ…!」
「…!!」
(とにかく後でいっぺん斬ってやる、あんのインテリ隈男…!)
(め、眼が本気……!)




END

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